先日(2016.10.30.)、初めての山口市内へ。
訪れたのは、山口大学吉田キャンパス内から出土した「音義木簡」がちょうど展示されていた山口大学埋蔵文化財資料館、そしてザビエル記念聖堂、国宝五重塔で知られる瑠璃光寺です。
その瑠璃光寺裏手に広がる墓地の一角に、「中国残留婦人 慰霊の碑」があります。 碑文を書き写しました。
<中国残留婦人 慰霊の碑>
[碑によせて]
聖戦を信じ王道楽土建設のため 満州に渡った開拓移民は昭和二十 年の敗戦を境に言語に絶する悲惨 な運命の人となった
父を憶い母の名を呼び一歩いま 一歩の逃避行にたおれた姉妻子た ちは中国人の救護によって命を助 けられた
昭和四十七年ようやく日中の国 交が回復したものの中国残留婦人 対策は戦後四十七年目の今も回復 されていない
「祖国へ帰りたいけれども帰れ なかった!」これは国に見捨てら れ中国の地で生きてきた残留婦人 たちの思いである
私たちはこの冷厳な事実をつた え望郷の想いの中に天の星となら れた残留婦人たちのみたまを祖国 に迎え永遠に慰め平和への祈りを こめてこの碑を建てた
一九九二年十月一日
中国残留婦人交流の会
(HIRO訳漢詩26)
<原詩>
「长干曲」
逆浪故相邀,
菱舟不怕摇。
妾家扬子住,
便弄广陵潮。
<HIRO訳>
「長江の畔」
寄せては返す浪よ浪
菱の実採りの舟揺れる
私のうちは揚子江
寄せる潮に遊ばれる
底本:「中国古今民歌选译
~Chinese Folk Songs and Their English Translation~」(王宏印选译)
<商务印书馆出版>(2014.北京)
久しぶりのブログ更新。久しぶりの漢詩訳です。
今回は、中国で古くから歌われてきている歌から、この時期に合いそうな一曲を訳してみました。
そういえば、私が子供の頃、近くの沼に遊びに行き菱の実を採って帰ると、母がそれを茹でてくれた思い出が微かにあります。栗のような味だったかなあ・・・・。
因みに、菱の実の形は、忍者が使うマキビシのそれで、鋭い角があります。
画像は、詩とは直接関係ありません。数年前の夏に訪れた上海市内の公園です。
2016年の初めに、朱自清の詩から一篇、 私の拙訳でご紹介します。
<朱自清>
「漆黒」(原題:黒暗)
漆黒の夜、
私は独りぼっちで広場の隅に座り込んでいる。
遠くの家から漏れた灯りは、
稲妻の花紋となって、黒い絨毯に散る―。
それは自らが発光する。
彼らの意志に関わらず、
微弱な力で揺れ動き。
ごらん、きらめきを輝きを、
これこそは闇の眼差しじゃないか!
震える闇夜に、
憧憬の人影がぶらついて。
周囲の柏樹は黙しながらも咆哮する。・・・・
おお、―世界の底の声よ。街の声、人の声よ。
遠くから近くから吹き寄せて、
怒涛のように沸き上がり、溶け合いながら。・・・・
闇夜の底で心が波立っているじゃないか!
広場は拡大して、
もうこれ以上の広がりようは無く。
闇夜の底は翼を広げて、
誰も彼らの実態を掴むことは出来ないのだろう?
彼らは慈愛、そしてまた暖かく、
そこにある全ての意志は彼らに覆われて。
自己たる所以のその全てを忘れさせられたのだ。
その一切が漆黒、
「我らと共にある!」
(一九二一年十一月七日、杭州。)
(翻訳:HIRO)
*転載流用一切厳禁です。
北京も、雪。
*6月下旬に投稿した朱自清の「荷塘月色」(月下の蓮池)前半部分に続いて、やっと後半部分です。翻訳をしたのは昨年末でしたが、どうにもこうにも困難を極めた部分です。
「荷塘月色」(月下の蓮池)~後半部分~
(承前)不意に私は「採蓮」の故事を思い起こす。「採蓮」は江南地方の旧い習わしだが、とても早くから有るもののようで、六朝時代に最も盛んだった。詩歌からその様子を伺い知ることが出来る。「採蓮」は少女が主役、彼女たちを乗せた小舟が揺れて、恋の歌が遠く聴こえる。「採蓮人(採蓮を愉しむ人)」については、多くを語るまい。私たちは「採蓮」を遊ぶ人々を今将に、間近に見る。あれは賑やかな季節で、そしてまた風雅な季節。梁元帝の<採蓮賦>に尋ねれば好い。
<そして艶やかな少女よ、揺蕩う船に少年と心を通わせる。水鳥が首をもたげれば、共に羽杯を交わす。藻を絡めて櫂を漕げば、船は浮草を除けて航路を開く。少女は腰に帯を結び、恋を孕んで船は行きつ戻りつ。夏の始まりにはまだ春があり、葉は瑞々しく花は咲き初めて、濡れた衣に少女は微笑み、船が傾くのを恐れて密やかに身頃を整える。>
当時の楽しげな舟遊びの光景が目に浮かぶ。この風趣よ!惜しむべきは、私たちは今や、とうにこの楽しみを忘れ去っていることだ。 それからまた、<西洲曲>の一句を思い起こす。
<採蓮その南の池は秋にして、蓮の花は頭をよぎる。頭を低くして蓮の実を遊べば、蓮の実の清らかさは水の如し。>
今宵、もしも採蓮の人有れば、蓮の花は<西洲曲>に詠う「頭をよぎる」と重なるのだろう。ただ、水の流れに、些かも人影を見ることはできず、その興趣はない。私はこの蓮池に、ふと江南の面影を見て、それを懐かしんでいたのだ。 ―思いを巡らせ、その果てに顔を上げれば、不覚にも既に我が家の門前に辿り着き、私は軽く門を押して中に入った。何の声もそこには無く、妻はとっくに深い眠りに落ちていた。
(一九二七年七月、北京清華園。)
*底本「朱自清散文选集」百花文艺出版社
(2014.12.28.洋文訳了)
*尚、私の拙訳、転載等禁ということで、読んでお楽しみ?くださいね。
*画像は、廿日市市極楽寺山蛇の池(2015.7.29.)
先月23日から25日(2015.6.23~25)まで茨城県水戸市に滞在していました。
<水戸>
先月下旬、茨城県水戸市へ行く機会があって、水戸芸術館へも足を延ばしました。大げさではありますが、ずっとずっと私にとっては憧れだった「水戸芸術館」。訪れた当日は、演劇は数日前に幕を下ろし、コンサートの類も、美術展も特別なものはなかったわけで、人影まばら。それでもその静かな空間を満喫できました。
パイプオルガンの下あたりだったか、壁に音楽評論家で初代館長、故吉田秀和氏(1913~2012)の銅版が埋め込まれてありました。その銅版には肖像画(サインから察するに横尾忠則氏によるものかなあ)と併せて論語が彫ってありました。
私なりの訳でご紹介します。
「知之者不如好之者 好之者不如楽之者」
「それを知っているからってそれが好きな人にはかなわないし、
それが好きだからってそれを楽しむ人にはおよばない」
水戸へ着いた時は土砂降りで、翌日は打って変わって、晴天猛暑。
水戸芸術館の塔から海は見えませんでしたが、芝の緑と共に、なんだか水平でゆったりとした時間を楽しむことが出来ました。
皆さんも、もしまだ行かれて無いようでしたら、いつかぜひ。(偕楽園公園へも。)
それにしても梅雨明けが待ち遠しい・・・・