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2015年5月28日 (木)

朱自清「荷塘月色」(月下の蓮池) <訳文>

「荷塘月色」(月下の蓮池)   朱自清

   ここ数日、心穏やかではない。今宵、庭に座り涼をとりながら、不意に思い起こす蓮池の日々。それらの総ては、特別な趣を湛えて満月の光の中にある。月は次第に高く昇り、塀の外から聴こえていた大通りで遊ぶ子供たちの歓声は、既にない。妻は部屋でルンを寝かしつけている。ぼんやりと掴みどころのないあの鼻歌は、子守唄。私は、袖の長い一重の服を着ると、門を閉めて我が家を後にした。

 蓮池に沿って、小さな石炭屑の道が、折れ曲がりながら続いている。この道は、いつもひっそりと佇んでいて、昼間も人通りは少なく、夜は更に寂しい。蓮池の周囲には木々が立ち並び、草木が生い茂っている。それらは楊柳や名も知らない木々だ。月明かりがなければ、この道はただ陰鬱で、人を怯えさせる。月のその光は弱く、今晩は却ってそれが良い。

 道には私一人、後ろ手にしてぶらぶら歩く。この世界の有り様こそは私の思うところ。自己をありのままにさらけ出し、そうして平常とは異なる別の世界に到達するのだ。私は喧噪を愛し、静けさにもまた惹かれる。私は群れを成すことを欲し、独りでいることもまた求める。今宵は、私一人この蒼茫たる月光の下で、どんなことでも出来ると思ったり、思わなかったり、言うなれば、私は自由である。昼に必ず成すべき事や、言っておかなければならない事があっても、今は、その何一つをもしなくて済む。これはこうして一人で居るからこそ許される。そして私は、この無限に漂い続ける蓮の花の香り、月の光が好きだ。

 くねくねと曲がりながら広がる蓮池の水面は、蓮の葉で見渡す限り埋め尽くされている。葉は、水から首を高くもたげて、それは踊り子の優美なドレスにも見える。重なり合う葉の中ほどに目を遣れば、あちらこちら白い花で彩られ、その花はひたすらたおやかで、まるで人見知りをしているかのように俯き恥らう。まさに、花一輪一輪が玉(ぎょく)の一粒一粒。それはまた青空の星々であり、湯浴みをしたばかりの美女か。そよ風が吹き渡れば、爽やかな香りが絶え間なく私の元に届き、はたまた風の音は、遥か高殿からの歌声にも似ている。この時季の葉と花は弾かれた糸のように震え、その震えは稲光のように一瞬にして蓮池の畔に伝わる。葉は互いに肩を並べて密生し、窮屈さを辛抱しているが、その様は青い波の重なりの如くだ。葉の下には池を血管のように巡る無数の水流があり、葉は、視界を遮って池の底を隠す。葉は、風を目に見える形にして、その風情を私に教えてくれる。

 月の光は水のように流れ落ちて蓮を濡らしているし、静かで淀みのない流れには、池一面蓮の葉と花が立ち上がっている。蓮池の上には青い霧が薄く揺蕩う。葉と花は、まるで牛の乳で洗われたようでもある。或いはまた、薄衣の夢で覆い包まれているようだ。満月とはいえ、天上には淡い雲がたなびいて、一点の曇りもなく照り輝いているというわけではない。ただ、私の気分にはこれでちょうど好い。―もとより、熟睡するに越したことはないが、とろとろ浅い眠りもまた格別だ。月光は木立を浮かび上がらせ、高く茂っている灌木が、不揃いでまばらな陰影をつくる。地には黒い影が落ちている。木々のシルエットは、まるで鬼のように表情険しく私の前に立ち塞がっている。池の湾曲に沿って楊柳がそこかしこに影を落としていて、それは蓮の葉に描かれた一幅の水墨画だ。池に届く月の光は均等ではなく、バイオリンが奏でる名曲にも例えられようか、光と影が織りなすハーモニーだ。

蓮池を巡れば、遠く近く、高く低く木立に囲まれて、そのなかでも楊柳は最も多い。木々は、蓮池を幾重にも囲んでいる。そこに小路が延び、所々に出現する不意の空間に光が漏れ、月光は殊の外と言うべきか、そこに留まっている。木々には靄がかかっているようで、陰鬱な表情をしている。それでも楊柳が繁茂している様子は、靄の中にも見分けることが出来る。梢の向こうにぼんやり見えるのは遠い山並みで、山容のだいたいがやっと確認出来る。木々を縫って街路灯の光が漏れているが、まどろむ人の目には、目を覚ますほどの鮮やかな色彩ではない。この時分賑やかなのは、樹上から落ちてくる蝉の声と水面から沸き上がってくる蛙の声。そう、賑やかなのは彼らであって、私といえば何もない。

(以下、「採蓮」のお話は次回。)

一九二七年七月、北京清華園。

 

*底本「朱自清散文集」百花文艺出版社

2014.12.28.洋文:訳了)

<転載、流用、引用等厳禁。読んでお楽しみください。>

昨年末纏めた、私家版「朱自清作品集<一>から、まだネットにアップしていなかった

荷塘月色」(月下の蓮池)」の一部をご紹介します。

 

20155 (画像は我が家の近くの沼)

2015年5月17日 (日)

ラクダのチーズ。

很好吃!《骆驼奶骆》

先日、留学生からラクダのチーズをいただきました。

ほろほろ甘く優しい味でした。

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2015年5月 3日 (日)

HIRO訳漢詩25:「題春晚」(「晩春に」)周敦顧

HIRO訳漢詩25

 

「題春晚」    周敦顧

 

花落柴门掩夕挥,

昏鸦数点傍飞。

吟馀小立阑干外,

遥见樵渔一路归。

 

 

 

「晩春に」 (周敦顧

 

花は散り日は落ちて、

数羽の鴉が渡って行く。

ひと時欄干に佇めば、

樵や漁夫や家路を急ぐ。

 

(訳:洋文、2015.4.29

周敦顧:宋の人、1017~1073

 

 

 

2015年4月26日 (日)

山襞の春

ここ数日、穏やかな晴天が続いています。土曜日の今朝と言わず、日がな一日、なんだか眠気の淵を行ったり来たり、それで今日が暮れていきます。

孟浩然の有名な漢詩「春暁」の冒頭、「春眠暁を覚えず・・・」そのまんまなわけですが。我が家の近くの山は、まさに糀色、糀山。新緑の一歩手前と言ったあんばいでしょうか。山襞からそんな風に色づき始めています。

庭の雪柳も連翹も椿も花はほぼ終わり、今は山吹が満開。藤の花はこれからといったところです。そして、連休には、早くも田植えが始まるようです。皆さんのお住まいの辺りはいかがでしょうか。街暮らしの方には、たまには春の山襞にでも、分け入って見られたらいかがでしょう。

 

 

・・・そういえば、数年前、上海のホテルに泊まった時、ベッドメイキングの済んだ枕の上に、「春眠不覚暁」とプリントされた小さなカードが置いてありました。ほっと気分が寛いだ思い出です。

PS:

本日のジェロさん。

夜7時半~NHKBSプレミアム「新BS日本のうた」にご出演。

夜10時半~FMヨコハマ「Break It Down」にレギュラー出演。(ネットでも聴けます。)

 

2015年4月 6日 (月)

清明節の雨。

昨日は、雨の止み間に薄日が出たので、友人と友人のワンちゃんとお花見をしました。

おはようございます。 昨日から断続的に清明節の雨です。

なんか、毎年この時期に投稿しているような気がしますが、なかなか納得がいかないわけで、というわけで、今年も杜牧の「清明」を訳しなおしてみました。

画像は、昨日の朝の庭の沈丁花です。

(この雨が上がれば、近くの農家で杏も咲き始めるかも。)

「请明」    杜牧

请明时节雨纷纷

路上行人欲断魂

借问酒家何处有

牧童遥指杏花村

(HIRO訳) 「清明」    杜牧

清明節の雨しとと降り、

路上の人は震えるばかり。

酒場は何処かと問えば、

牧童の指先に杏の花の村。

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2015年1月11日 (日)

記録:翻訳して纏めました。「背影、春、その他」(朱自清作品集<一>)

<記録>

昨年末2014年12月28日付。

中国を代表する散文家、詩人「朱自清」の作品を数編翻訳し、小冊子にまとめました。

ホッチキスで綴じ製本テープを張っただけの極めて簡易なものですが、

28部作成し、親しい友人、知人へ配りました。

その目次を記しておきます。

朱自清作品集<一>  「背影、春、その他」

 <散文>

 ばたばた(原題:匆匆)                 

 背影(原題:背影)                    

 月下の蓮池(原題:荷塘月色)                          

 (原題:                     

 

 <詩>

 新年(原題:新年)                     

 除夜(原題:除夜 

 

 ***

 あとがき

*尚、散文の「月下の蓮池」と詩2編以外は、既に本ブログで内容を公開しています。

 

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2015年1月 1日 (木)

未来の種子!

夜のとばりは重く、 大地を覆っている。

新年は翅を開き始めている。

ああ!なんと麗しく鮮やかな赤い翅!

彼女の口には深く澄んだ黄金の粒―

 「未来」の種子。

(朱自清「新年」より:拙訳)

2015年、世界中に幸多くありますように。

2014年12月20日 (土)

朱自清の「父の背中(原題:背影)」を、私の翻訳でご紹介します。

12月16日の夜から降り始めた雪は、我が家の庭先では18日までに30センチほど。

19日は久し振りの青空だったのですが、雪は溶けず。

20日の今日は朝から雨。やっと、路面が見え始めています。

私の家のあたりでこんなに雪が溶けないのは、この10年記憶がありません。

さて、今年は朱自清の作品をご紹介していますが、春の「春」、秋の「ばたばた」に次いで、冬は「父の背中」です。

ではどうぞ。

「父の背中」(原題:「背影」 )        朱自清

 私と父はもうニ年余り会っていない。私が忘れることのできない記憶は、父の背中にある。その年の冬、祖母が亡くなった。泣きっ面に蜂で、父は職を失っていた。私は北京から徐州に着いた。そこで父と落ち合って祖母の家に帰り、葬儀の支度をするつもりだった。私は徐州で父と会った。父の住まいは荒れ果てていた。私はそこでまた祖母を思い、涙が頬を伝うのだった。父は言う。「過ぎたるはかくの如し、なんの困難があろうか、天に人の道の絶えざるは無し」と。

祖母の家に帰ると、あれこれ質に入れてお金を工面したのだが、それでも父はまだ借金をしなければならなかった。その借金で葬儀の費用を賄った。数日というもの、家の中は惨憺たる有り様だった。それは、一つは葬儀の為、また一つは父の無職であるがゆえのことだったのだが。葬儀が終わり、父は職探しの為に南京行きを算段した。私もまた勉強の為に、北京へ帰らなければならなかったので、私たちは一緒に発った。

 南京に着くと、その地の友人と街に出て、一日を過ごした。二日目は午前の便で長江を渡り浦口へ。午後、ここから北京行の汽車に乗る。父は、忙しいので私を送らないと言っていた。ちょうど宿に父と旧知のボーイが居り、私のことを任せようとしたのだった。父は事の仔細を話して、ボーイにあれこれ私のことを頼み込んでいた。しかしながら、結局のところはボーイを信頼できないのか、不安は隠せない様子だった。だが実際、私はその時、既に二十歳で、北京とニ、三回は往復していたし、特に急がなければならない旅でもなかった。父は、思案の挙句、結局、父もまた私を駅へ送って行くことにした。私は何度も父に、その必要はないと言ったのだが、父は「大丈夫、それにあいつらにお前を任せるわけにはいかないから」と、言うのだった。

 私たちは長江を渡ると、駅に向かった。私は切符を買い、その間も、父はせわしなく荷物を見ていた。多過ぎる荷物のため、ポーターに幾ばくかのお金を渡して、その荷物を運ばせようとした。父はせわしなくその金額を掛け合っていた。私は、その時はまだあまりにも世間知らずだったのだろう、父のその値段交渉といったらみっともなく見え、かといって、私にはどうしても口を挟むことが出来なかった。父はどうにか金額を決めると、私と汽車に乗り込んだ。父は入り口の椅子を私の席に決めた。私は、父が確保したその席に、紫色のオーバーコートを敷いて、座り心地を整えた。父は、周囲に油断をしないように、そして夜はよく眠れないだろうから風邪をひかないようにと、言った。私の面倒を見るようにか、ボーイにまた何やらくどくど頼んでいた。私は心の中で、父の度を越した心配性を嘲笑った。ボーイやポーターは父のお蔭で濡れ手に粟、幾ばくかの小遣い銭をせしめた。彼らにとっては思いがけない儲けだったに違いない。しかも私ときたら、もういい年をしているにもかかわらず、自分の目の前の蠅が追えないのだ。ああ、今にして私は思う。あの時私は、傲慢なばかりで何も分かってはいなかったと。

 「お父さん、もう行ってください」と言う私の言葉には応えず、父は汽車の外を見て「蜜柑を買って来る。お前はここに居なさい。動くんじゃないぞ」と言った。私が目を遣ると、ずっと向こう側のプラットホームの柵外で物売りが客を待っていた。蜜柑を手に入れるには、そのプラットホームまで辿り着かなければならない。線路を跨ぎ、柵の外へ飛び降り、それからまた柵をよじ登るのだ。父は太っていた。そこまで行くには些か時間がかかった。私が行けばよかったのだろうが、父がそれを許す訳もなく、父は既に行動を起こしていた。私は、父が被っている黒い布製の小さな帽子を見た。それから黒くて大きな上着を見た。丈の長い紺の綿入れを見た。父は、よろよろと線路脇へ辿り着いた。ゆっくりと身を乗り出した。それはまだよかった。問題はそこからで、父は線路を跨ぎ、それからプラットホームの柵をよじ登るのだ。それは容易な事ではなかった。父は両手で柵にしがみつき、両足をばたつかせていた。父の太った体は、左へ僅かに傾いた。力の限りあがいている様子が見て取れた。私は、この時、父の背中を見ていた。私の目に涙があっという間に溢れてきた。私はあわてて涙を拭った。父に気付かれることは無く、周りの人々にも気付かれること無く。私が再び目を上げたとき、父はもう朱(あか)く熟れた蜜柑を抱えてこちらへ向かっていた。線路を跨いで、蜜柑を地面に一旦置き、ゆっくりとホームに上がると、再び蜜柑を抱えた。こちらへやってきた父の体を、私はホームに出て支えた。父と私は連れだって車内に戻った。それから、父は蜜柑を私の皮のジャンパーに押し付けた。ジャンパーに付いた泥を払うと、私の心の内はなんだか軽くなった。父が口を開いた。「じゃあ私は行くから。あっちに着いたら手紙を書きなさい」。私はその時、父が車内から一刻も早く出て行ってくれたらと願った。父は数歩歩いて振り向いた。父は言った。「さあ、自分の席に戻りなさい。荷物を置いたままじゃないか」。私は、父の背中が人混みに紛れるのを待った。もう父を探さなくても良いのだ。私は席に戻った。私の目に涙がまた溢れてきた。

 ここ数年来、父と私は東奔西走で、家の状態と言えば、ますます悪くなるばかりだった。父は若くして家を出て働き、一人で身を立てていた。多くのことを成し遂げたのだった。だが、老境を知ってから全くもって意気消沈した。父は、時に、自分ではどうにもこうにも思うようにならない自分の感情に、苛立つ。家の、こまごまとした些事にさえ、父の怒りは触れるのだ。父はもう昔の父ではない。その父に私は、ここ数年会っていない。それでも父は、あれやこれやと私を思い遣り、私の子供を心配する。私が北京に行ってから、父は私に手紙を一通寄越した。手紙の中で父は、「体は大丈夫だが、ただ肩が痛い。箸や筆の上げ下げが辛いし、それがはなはだ不便だ。この世を去る時も、そう遠くはない」と。私はここまで読むと、私の透明な涙の中に、また、あの太った父の姿が浮かぶ。青い綿入れ、黒い上着の背中。ああ!私はまたいつ父に会うことが出来るのだろうか!

(一九二五年十月北京にて)

 

*底本「朱自清散文集」百花文艺出版社

(訳:洋文 2014.1130

 <転載、引用厳禁!>

2014年11月17日 (月)

朱自清「春」を訳しました。

「春」

                                                朱自清

 

待ってた、待ってた、東風(こち)が吹く。春の足音が近づいて来る。

万物は目覚め、その瞳は輝く。山は朗らかに笑い、水は滔々と流れ、太陽も一層赤い。

土を穿って草は、瑞々しく鮮やかだ。庭に田野に、そこかしこに青々と春。人は、座ったり、横になったり、転がったり、ボールを蹴ったり、駆けたり、鬼ごっこに興じたり。風はふんわり軽やかで、草はなんとも柔らかだ。

 桃、杏、梨、どれもこれもが咲き競い、どれもこれもが満開の時。その花弁の紅は火のようで、その咲き乱れる様は霞のようで、その白さは雪のよう。花は甘美に香る。目を閉じれば、たわわに実った桃、杏、梨!花に誘われ無数の蜜蜂が羽を唸らせている。アゲハやシジミ、様々な蝶が、舞い寄っては去り、去っては舞い寄って来る。野の花は遍く地上に姿を現す。名も知らぬ野草、誰もがその名を口にする春の花、そのことごとくが里を埋めている。まるで野に瞳があるように、そしてまたそこが星の世界であるかのように、花の瞳が瞬いている。

「柳の風の心地よさよ」。その優しさ暖かさにお母さんの掌を思う。大地に命は芽生え、若草は丈を伸ばし、花々は香り、大気は潤う。花と若葉に包まれて、鳥は安らかに巣篭る。楽しいではないか。鳥は自慢の喉を震わせて、その心地よい音色を聴かせてくれる。歌声は風に乗り、流れる水と溶け合って行く。牧童が牛の背で笛を吹く。その笛の音は、天高く響き渡る・・・。

  雨が数日降り続いたからといって、この時期ならば、どれほどのことがあろう。悩ましくはない。ご覧なさい。雨はまるで牛の毛のように艶やかで、花のめしべのようにたおやかで、そしてまた、その細密さは絹の糸。雨は、精緻に織り上げられて、家々の屋根を隈なく包み込み、一層仄暗く煙っている。それでも、木々の緑は鮮やかに輝いているし、あなたが目を落とせば、下草も青く染め上げられている。やがて日は暮れ、灯が点り、点々と淡い光が夕闇に滲む。しめやかで平和な夜が訪れる。里の小路の石橋の畔に、とぼとぼ傘を差して行く人があり、 野良には、夜のとばりに追われながら、蓑を纏い笠を被り仕事に精を出す農民がいる。彼らの家々は、春の雨に、あまねく黙している。

この空が晴れたなら無数の凧が舞い、子どもたちが群れ遊ぶ。家並の軒先を老いも若きも行き集い、今この春を楽しんでいる。春は体に生気が宿り、精神は奮い立つ。それぞれの春を謳歌しよう。「一年の計は春にこそある」。いろんな夢や希望が、頭をもたげてくる。

春は、生まれたばかりの女の子のようだ。つま先から頭のてっぺんまで伸び盛り。

春は、娘のようだ。ほら、まるでしなやかに揺れる花の枝で、その娘ときたら、笑い転げる、走り回る。

春は、りりしい青年のようだ。腕っぷしは強く腰まわりは逞しく、彼らは、もはや老いたる私たちの先を歩む。それを使命と、よくよく分かっているのだ。

 

*底本「朱自清散文集」百花文艺出版社

 

(訳:洋文 2014.5.17.)

 

*朱自清:18981948.近代中国を代表する詩人、エッセイスト。

*先日のブログで、今春に「春」をUPと書きましたが、私の勘違いで、1月に一部分の訳だけをUPしていました。改めて「春」の全訳をUPしておきます。

 

 

2014年11月15日 (土)

 朱自清「ばたばた」(原題:匆匆)を訳しました。 

中国のエッセイストで詩人、朱自清の作品紹介第2弾です。

前回の「春」が確か5月ごろだったので、半年ぶりですか。今回は「ばたばた(匆匆)」。あくまで自分なりの自己満足訳ということで。ではどうぞ。

    「ばたばた」(原題:匆匆)                       朱自清

  燕は去り、また再び飛来する。楊柳は枯れても、また再び緑の時が訪れる。桃の花は散り、また再び花が咲く。時よ、あなたはご存じだろうか、私たちの営みが、何故にこうして過ぎ越しを繰り返すのかを。 時の盗人よ。あなたはいったい何者なのか?そして、過ぎ去った時をいったい何処に隠したのか?いやいやそうではなく、時は、自らの意志で逃げ去ったのだろうけれど。では、果たしてその逃げ去った時は、今何処に居座っているのか。

  もっとも、彼らが私にどれだけの猶予を与えてくれているのか、私は知る由もないが。ただ言えるのは、私の手は何かを確実に掴み取ったわけではなく、掴み取った筈の何かは、手ごたえも無く虚ろであるということだ。時は何も語らず、二十年以上も私の手の中から流れ落ち続けている。もともと、時の一滴は海に消えた針の先端ほどで、私の時はその僅かな一滴の連続に過ぎず、音も無く、影も形も無い。様々に思いを馳せれば、私は涙を禁じ得ないのだ。

  去るべきものは去り、来るべきものは来る。去るもの来るもの、その狭間で時は何故にこうも慌ただしいのか。朝起きると、我が家の狭小な一室にも、太陽の光はあちらこちらから差し込んでくる。太陽には脚があり、それは軽々と音も立てずに移動する。私もまた似たようなものなのか、日がな一日ただ黙々とせわしなく同じ所を回転しているにすぎない。時は、手を洗うたびに手水鉢から零れ落ちる水のようにあっけないし、そしてまた、食事時に御碗から飯粒が零れ落ちるように、去っていく。私がぼんやりしている間に、時は私の目の前から消える。しかもそれは、いつだって慌ただしく、手を伸ばして遮ろうとしても、遮ったその手の端から遠ざかる。未明、私はまだ寝床に横たわっているのだが、よくしたものでそれは私の体にまたがり、私の足元から飛び去って行く。目覚めてまた再び太陽に別れを告げて、私の一日が終わる。私は大きく溜息をつく。一日は私の溜息に始まり、瞬く間に過ぎて行くのだ。

  飛ぶが如くに逃げていく時よ。無数の営みがひしめくこの世界の中で私には、いったい何ができるというのだろう。ただ当てどなくうろつくだけか。ただせわしなく動き回るだけか。私には、これまでの人生、日数にすれば八千日以上をばたばたうろつく以外に、時を費やす術は無かった。過ぎ去った時は、僅かな風にも吹き散る煙の如く。朝の太陽に溶ける薄い霧の如く。私は、いささかでも私の痕跡をこの世に残せるのだろうか?これまでに私の残したものは、頼りなく揺れる、か細い絹糸一本にでも例えられるのだろうか?私はこの世に裸で生まれ落ちた。そしてまた一瞬にして裸で帰っていく。だから私は、無駄にせわしないこの生き方を、そう易々と受け入れたくはない。

  時よ、聡明なあなたは私に答えなければならない。我たちの「時」は、何故に繰り返すのかと。  [1922.3.28.]

*底本「朱自清散文选集」百花文艺出版社

(訳:洋文 2014.11.13.)