S,水曜日から、かかりつけ医の提案でニュープロパッチ(4.5㎎)の使用開始しました。
実は、ほぼ十年ぐらい前、現在とは違うかかりつけ医の勧めで同じ処方を試したことがあったのですが、その当時は、当人が肌に合わないと、早々に止めた経緯があったのですが、今回はどうなることか。
先ず、本人を昼夜を問わず苦しめている、むずむず症候群を何とか収めたいと言うのが大前提です。
貼付して2夜、今のところは効果を発揮しているようで、これまでのようなむずむず症による不眠は訴えていないようです。ただ、経過を注意深く見守る必要があるように思います。
この薬はシール状になっていて、腕や肩、太もも、お尻などに貼り、24時間効果が持続すると言うもの。
効果としては、パーキンソン病やレストレスレッグス症候群(下肢静止不能症候群、別名:むずむず脚症候群)の諸症状が改善することが期待できると説明書にはあります。
ただ、併せて、ギャンブル依存症(病的賭博)、買物依存症、性欲及び食欲の病的亢進も明記されています。曾て激しいギャンブル依存症となり、今もなおその傾向が全くないとは言えないSにとっては、文字通り「賭け」の様な気もするのです。
また、依然として幻覚幻聴の類は続いており、そうしたことへの危惧は拭えません。
扉を開けて誰か、何者かが侵入すると言い張ること、それに関連して、寝る前など玄関ドアや窓の鍵が開いていると主張し何度も私に確かめさせるなど、所謂、強迫性障害も進んでいるような気もします。
前のブログでも触れた「承認欲求」の強さは相変わらず。例えば、ヘルパーさんなどへ、Sの現役時代を記録したDVDやカセットテープを見せたり聞かせたりしています。本人の満足感がそこである程度は得られるのでしょうが・・・。
ひたすら私の神経と体力がすり減って行く、特に、右肘周辺の痛みはどうにも治まらず、苦しんでいる現状は変わりません。
日に背き頭を垂れし向日葵は
生を宿して朝(あした)に斃る
永洋 (2023.8.22)
朝から酷暑の今日22日は、私の父の17回目の命日。生きていれば93歳、か。
だからと言って特別な何事も、まあ、しない。
冒頭の短歌は、今日に日付が変わった深夜にふと頭に浮かんだもの。
17年前、2006(H18 )年の8月21日夜には雨が降った。そして翌22日朝方、父は病院で母と私に看取られて旅立った。
それから、葬儀、納骨など・・・、が、私は余り泣かなかったような記憶がある。
テレビドラマや映画のように、ことはそうドラマチックではない。
淡々と過ぎて行った。そして、淡々と17年。
当時、うっすらと涙が滲んだことは数回あったような気がするが、父の事で慟哭した記憶はない。
ただそれは、父に対する思いの濃淡、そうした結果からではない。
神棚の榊を換え、水を換え、父の好物のメロンパンを供え。
今年の夏は殊の外暑い。
そして晩夏。窓の外で、雨を待ちながら秋の虫が鳴いている。挽歌、かな。
網戸に張りついたヤモリが餌の到来を待っている。
野良猫が何ものかを威嚇する唸り声が聴こえる。
明日23日は天気が崩れるとか。
ここ数日、というか、あいも変わらず私は眠れない日々。
パーキンソン病を患っているSの介護に明け暮れている。
特に8月14日の夜はほとんど眠れなかった。
気がつけば日付が変わって15日「敗戦の日」を迎えていた。
その15日、Sと同じパーキンソン病を長く患っているNさんから朝、電話。
現在入院中のNさんは、一人暮らしが長く、高齢でもあり将来が不安とのこと。
お子さんたちはNさんとの同居は困難と。
Sと話していた。その後、昼に私に再度電話。あなたの考えが聞きたいと。
返答に困ったのだが、ただ一つ、もう頑張らないでいいのではないかと。
一人暮らしにはリスクが多すぎるのではないかと。
そうした上で、身の振り方をゆっくり考えられたらどうかと、お話しした。
施設等の入所も、はっきりとは提案しないものの、一つの検討候補ではないかと、それとなく。
Nさん、泣かれる。でも、ほんの少し霧が晴れたご様子だった。
Sの場合、彼の性格を病気が更に押し上げているような、承認欲求が強い。
在宅時も、デーサービス等を利用しているときもそのようだ。
介護する側とすれば、しんどい。
かといって、その性格はもうどうしようもないのだろう。
彼が今から十数年前に作った曲に「パーキンソングを歌いながら」がある。
友の会の全国大会や、コーラスグループの発表会のみならず、多くの人々に様々な機会を通じて歌って頂いている。S自身にとっても、心の励みとなっている。
以下に紹介します。
尚、この曲の歌詞及び楽譜は、Sの著書「パオ~ンおじさんとの夏」(2013年.新日本出版社刊)に掲載されています。
いつのまにか、8月6日、広島原爆忌は過ぎ、8日、立秋を迎え、9日、長崎原爆忌も終わり、台風6号の風や雨がまだ残っている。
東京電力福島第一原子力発電所の放射能汚染処理水を、政府は2023年(今年)8月下旬にも太平洋福島県沖に放出する方針とか。
これに反対している福島県の漁業者に対して、政府は風評被害等に対する補償費800億円を用意しているとか。これで漁業関係者が納得するのかどうか。
果たして、漁業者が納得したとして、国民はどうなのか。世界はどうなのか。
実際、中国は処理水の放出計画に厳しく反対している。
先日CCTV(中国中央電視台)を見ていたら、海外向けテレビニュースでこの漁業関係者への補償費を「封口費」と呼んでいた。まさしくそう言う訳である。これで漁業関係者の口を封じられるのだろうか。そして、国民は納得するのだろうか。
少なくとも私は、「否」。福島原発の廃炉も一向に進展しない中、運転休止中の古い原発を再稼働させ、新規に原発建設を目論む政府と経済界の方針は、どうにも納得いかない。
*おりしも、8月2日、中国電力は、山口県上関町に、原子力発電所から出る使用済み核燃料の「中間貯蔵施設」建設を検討と発表。同日、そのための調査の実施を地元の上関町に申し入れた。しかも、同施設建設が進まない関西電力と共同で建設する計画とか。なんなのこれ?結局、地元を金で懐柔してってことか?これもまた「封口費」が動く。
この国の未来が見えない。地域の明日が見えない。私たちの拠って立つところは、原発エネルギーではないだろうに。あの悲惨な現実、歴史をどう見るのか。目を塞ぎ続けるのか。「否」!
新たな自然エネルギーの活用についても、政府は積極的であるとは言い難い。
こんなんええの? やっぱりね、様々な海洋汚染が世界中で問題になっている現在、これでええの?深くやりきれなく、そう思う。
最近、Sの瞼が開け辛いという。訪問リハビリの先生は、眼瞼下垂の初期かもとおっしゃる。全体の筋力が落ちて行っているわけで、瞼も例外では無いらしい。先生の患者さんで、同じパーキンソン病の方が、眼瞼下垂(ガンケンカスイ)で瞼の二重手術をされたそうだが、また次第に垂れて来ているとか。今のところはそう日常性格に差し障りがあるわけでもないので、経過観察。
あいかわらず昼夜逆転生活。また夜中の足のむずむず症候群やパーキンソン痛でさらに眠れず。
介護者の負担も増える。
因みに私はテニス肘。タオルを絞ることさえままならない。
ここ数週間断続的に降り続く雨は、特に西日本各地に甚大な被害をもたらしている。
特に、先週からの熊本県、島根県、そして福岡、佐賀、大分の被害は甚大だ。
11日朝までには九州では5人死亡など、人的被害も深刻。
九州、中国地方を中心に、線状降雨帯が発生。過去例を見ないほどの雨が降り続いている最中。その10日夜には、岸田首相は東京六本木のステーキハウスで、自民党の世耕参院幹事長、野上参院国対委員長と2時間半会食。それを表立って批判するメディアは私が知る限り無かったようだし、確かにそれは大きな批判の対象にはならないのかもしれないが、私は、なんだかもやもやするのだ。
あの首相の、いつもの、なんとも人を食ったような紋切り型の記者会見の表情が目に浮かんできてしまう。
翌11日には欧州外遊に出発。なんだかもやもやするのだ。
やはりもやもやするのだ。
この国の為政者の有り様を考えてしまう。
10日。九州の豪雨災害記事と共に、「袴田事件有罪立証へ」と新聞一面に在る。検察権力の非情に対して、袴田巌さんはすでに87歳。国家権力の有り様に、やはりなんだかもやもやするのだ。
早ければ今夏にも、東京電力福島第1原発の処理水を海洋放出とか。これもまたなんだかもやもやするのだ。
この国の霧は深い。深い靄の中に沈むこの国のこれからを思うほど私の思考力は明晰ではないが、やはり、なんだかやはりもやもやしてしまうのだ。・・・やりきれない。(この疲労感は日々のそして果てのない介護にも起因するのだが。)
今日も終日曇り。晴れない。
7月に入っても先月からの雨は止まない。断続的に或いは連続して、時に激しく時に音を消して降り続いている。
6日、7日と、Sは特に排便が思うようにならない。動かない体では、便座に腰を掛けるのも間に合わず、ここには書きにくい状況が展開される。本人の辛さはもちろんだが、それは介護者の負担を激しく増加させる。後始末とトイレの復元に相当の体力と時間を要するのだ。
また、例によって、むずむず症候群や、特に足先に強く現れるパーキンソン痛などによる睡眠障害も一向に収まらず、私は夜中度々起こされるなど、疲労感は積み重なるばかり。ついつい言葉もけんか腰になる。ほとほと・・・である。
さて、ちょうど昨日のブログで書いているが、私の創作「キリエ~京橋川の泥に塗れて~」の中では、ギャンブル依存症に纏わる部分が物語の結末に向かっての重要なファクターとなっている。
改めて、言うまでもなくパーキンソン病とこの依存症は深くかかわっている。(もともと、本ブログ「灯浮標、続・灯浮標」は、これまであまり公にはされていないパーキンソン病におけるギャンブル依存症の現実を記録することから始まっている。)
これこそが、パーキンソン病当事者と介護者(家族等)を強く苦しめ続けているのかもしれない、とも推察する。あくまでSと私の場合を振り返ってだが・・・。ただ、ここに、単に楽観主義では容易に看過できないこの病の深い闇があるのではなかろうか。多く、薬の副作用によるところが多いとか。改めて、このことは、医療や製薬開発の現場で、もっと重要視されるべきと思う。(尚、この病には、他に性的依存症や買物依存症なども見られるという。)
8日も雨。各地で被害が発生している。Sはデーサービスである。
日に日を乗せ、歳を重ね、拭っても拭っても老いは纏わり付き、雨に降られて季節は過ぎて行くばかり。感傷などでは決してなく、単に事実として。夕方、土砂降りの中、Sを迎えに行く。
私の永洋名義での数少ないと言うか、小説は実質この3作だけなのだが、纏わるメモを。ふと。
脱稿直後、この3作をそれぞれ数部づつプリントし、紐で綴じ、ホッチキスで綴じ、数人の友人にのみこちらから勝手に送りつけ、もう見返すことは読み返すことは無いだろうと思っていたのだけれど、本棚を整理していて、零れ落ちたこれらをぱらぱらと読み返せば、やはり胸苦しい程の思いが込み上げてくるのだ。当時、読んでくれた友人には、こっぴどく哂われたのだが・・・
いいよ、これで、・・・と言う気持ちがやはりある。まあ、記憶を記録しておくと言った思いもある、「わたくし小説」なのだから。
永洋<「私」を巡る三部作>
「キリエ~京橋川の泥に塗れて~」(2017.10.31~2020.10.17)
「蛙」(2016.7.6~2020.12.15)
「或いはH君のこと」(2006.12.30~2021.5.11)
「キリエ」の殆ど最後に(憐れみ給うな!)と記している。
まさに!である。