没後32年、殿敷侃の眼差しを想う。
(以下の文章は、2024年2月10日に私が作成したものです。改めてここに投稿します。)
「没後32年、殿敷侃の眼差しを想う」
2月11日は環境アーチスト殿敷侃(とのしきただし)の命日だ。1942年広島市に生まれた殿敷は、1945年8月6日広島に原爆が投下されたその日、母と共に父を捜して広島市内に入り、二次被爆している。
長じて1970年には殿敷の油彩「は(2)」が「朝日ジャーナル(12月6日号)」の表紙に採用され、社会的にも注目を浴びる一つの契機となった。
彼の作品は油彩画、シルクスクリーン、インスタレーションなど多岐に渡り、環境アーチストとして活動の場は広島から国内外に広がっていた。油彩「自画像の風景」、シルクスクリーン「ケロイド」「爪」、インスタレーション「まっ赤にぬられてヒロシマが視えた」「タイヤの生る木」、そして、移り住んだ山口県長門の海岸で、多くの賛同者と共に行ったインスタレーション「山口ー日本海ー二位ノ海、お好み焼き」など、極めて刺激的だ。
遺された映像や作品は、私に「平和」、「環境」そして「いのち」について問い掛けてくる。私は、殿敷の眼差しの先には決して諦めない未来への希求があったと思う。1992年、50歳で世を去った彼の絶筆「僕は夜明けを信じた」が、時代を越えて生き続ける彼の作品群と共に私の心を揺さぶる。そして日々の暮らしに追われ老いの前に右往左往する私の背中を、今もなお明日へと押し続けてくれる。(2024.2.10)
追記:
今日3月11日は、東日本大震災の起きた日。あれから13年。だが、その傷は未だ大きく癒えてはいない。汚染水の問題も解決していない。さらに、今年1月1日に起きた令和6年能登半島地震は、未だ多くの被災者が避難し、水道などのインフラも一向に復旧していない。志賀原発も故障した。
あの長門の海岸に打ち寄せる波、そして海は、遥か日本海の対岸ユーラシア大陸にも打ち寄せる。そして大陸を西に辿れば、ウクライナとロシアの戦禍が待ち受ける。更に西に向かえば、パレスチナの地。イスラエルの砲撃が止まないガザ地区がある。
世界は、未だまっ赤に塗られてある。
殿敷の信じた未来は今此の地、そして地球には無い。
コメント