2024年2月28日 (水)

続・灯浮標27 パー―キンソン病の闇。幻覚幻視、連日のピーク&ヒート!!

先週から今週にかけて、Sの幻視幻覚はこれまでになく激しかった!昨晩から今朝にかけて、久しぶりに落ち着いていた。

夜通し、現れるのは犬、人物、得体のしれないもの。そして、目は宙を見つめ、声を上げ、怒り、罵り、下半身も脱ぎ捨て・・・どうしようもなかった。それは時に昼間も続いた。

私の疲労もピーク!

まさに崖っぷちだったわけで、一旦は落ち着いたものの、それはこれまでもそうだったわけで、断続的に現れる。

ケアマネさんやかかりつけ医、訪問看護の方などにも話してはいるものの、出口が見えない。施設に入所させるにしても、私一人では判断がつきかねる。

春はまだ遠い。

2024年2月26日 (月)

月日は百台の貨客と打ち間違えてしまったが、これはこれであながち外れているとも思えない。

「月日は百代の過客」とは松尾芭蕉。

振り返ってみればつくづく・・・・

30数年ぶりに会った知人の変貌に私は翻弄されたのだが。それだけならまだしも・・・、

Sも無防備でそのしわ寄せは全て私が被り、その皺を伸ばす羽目に。具体的には言い難く・・・。

我が身を振り返れば、この30数年の間にほとんど何もかも大きく変わってしまったわけだが、それにしても曾ての知人の変貌は私を混乱させて余りあったわけで。

ああ、それでもそれでも生きて行かなければならない、誰も。

(メモ)

2月22日木曜日。午後古い知人をホテルまでSと共に私の車で迎えに行き、そのまま市内のカラオケ店へ。カラオケ店で3時間ほど歌ったり喋ったり。(これが肝要。知人のセールスを断る。私の中に失望が沸き上がってきたわけでそれでも・・・)その後、ホテル経由で新幹線駅まで送る。

(メモ)

2月24日土曜日は元宵節。春節(2月10日)から2週間。旧暦(農暦)で、新しい年が本格的に始動する。空は晴れたり雨が降ったりの荒れ模様。

2024年2月12日 (月)

2月11日、殿敷侃(TONOSHIKITADASHI)の命日に。

没後32年。2024年2月11日は、環境アーチスト殿敷侃(とのしきただし)の命日です。

「夢は見るものではなく 夢は生きるものである」by 殿敷侃


YouTube: 「夢岬賛歌」(ゆめみさきさんか)(試作)

2024年2月 9日 (金)

癒しと救いを求めて。「冬かたみ」「そんなもんなんですよ」「えみうた」

癒しと救いを求めて作ったのかも知れない。

LULU&Tonysのこれまでに作った曲の中から3曲をUPしておきます。

「冬かたみ」


YouTube: 「冬かたみ(FUYUKATAMI)」lulu&tonys(試作)

「そんなもんなんですよ」


YouTube: 「そんなもんなんですよ」(Full version) lulu&tonys

「えみうた」


YouTube: 「えみうた」lulu&tonys

2024年2月 5日 (月)

続・灯浮標26(メモ:起立性低血圧など。)

(メモ)

2月2日午後3時過ぎ。例によって車いすに座ったままSは傾眠状態。垂涎も相変わらず。揺すってもなかなか起きない。血圧を測ると89~47。脈拍は48.起立性低血圧か。どうにか車椅子からベッドに移動させて寝かせる。(因みに、朝8時半、食前の数値は165~71.脈拍59)

1時間もしないうちに、意識もはっきりして、夕方からの入浴介護も受けた。相変わらず日内変動が激しい。

長期にわたるパーキンソン病薬の蓄積がこういう症状を引き起こすのだろう。介護者の疲労もまた蓄積していく。

以前も何度か触れているが、パーキンソン病治療は、対症療法的なものが相変わらずメイン。国が認定する難病であり、ある程度の医療費免除があるわけで、介護者の私には過剰とも思える薬の投与が副作用を増幅させている、と思う。国、医師、製薬会社、そして患者本人の要求が複雑に絡み合って、そこにはやはり、闇があるように思えてならない。

3日~5日ショートステイ。毎回相変わらず嫌がるが、どうにか行ってくれる。そつかのま私は休息できる。

2024年2月 2日 (金)

暮れて行く日々に。もう、そしてまだ1か月。

2月1日で発生から1か月経った令和6年能登半島地震。報道に拠れば2月1日付で石川県の死者は240人、安否不明者は15人。まだ1万4643人が避難生活。そのうち1万人近くが体育館や集会所で避難生活とか。しかも、床に雑魚寝状態。断水が続いているとはいえ、未だ入浴もしていない高齢者の方などが多数。国は一体何をしているのか。憤りを覚える。神戸や東日本など、過去の災害に何を学んだのだろうか。政府には今一つ危機感が感じられない。国民の命を預かっているというその重さが感じられない。自衛隊の初動が遅かったとも言われている。自治体と政府、自衛隊などとの連携はうまくいっているのだろうか。

棄てられてよいものなどは何もないと思う。

2024年1月31日 (水)

続・灯浮標25(2024.1.31)パーキンソン病とSの蜜月。

昨日30日早朝、異臭が二階まで届く。一階のSのベッドへ。

多量の軟便と尿でベッドの上は悲惨極まりなく。

防水シートを越えて下のシーツや毛布も汚れている。

医療用手袋をはめて処理。具体的には書かないが、ほとほと疲れ果てる。

S、風呂場でシャワー。

多量の洗濯物、そしてベッドを整えなおす。

Sの陰部が炎症を起こしている。蒸れや尿、便の影響か。

急遽、デーサービスは休みにして皮膚科へ連れて行く。待ち時間1時間半。

診察の結果、炎症を抑える軟膏(副腎皮質ホルモン(ステロイド))などを処方される。

当日、そして今日で殆ど炎症は収まる。

1月が終わる。介護は果てしなく。Sの幻視、或いは妄想の世界は何処までも深く。

日常は昏い。

2024年1月27日 (土)

続・灯浮標24(2024.1.27)パーキンソン病と幻視、幻覚。20年の闘病の果てに。

(メモ)

昨年後半から激しくなってきたSの幻視幻覚は今年、止むどころか日々激しくなっていくように思う。

夜中からの症状は昼ごろまで続く。居るはずのない犬や人をはっきりと認識しているようだ。

時には家じゅうを捜し回る。そこここに隠れていると疑っている。

今朝6時前ごろも杖を振り回し、ベッド周りには物が散乱し、廊下で立ちすくんでいる。そして朝7時の薬を欲しがる。起床時のマドパーは早いうちに飲んでしまったらしい。

飲ませて再びベッドに寝かしつける。

ここ数日、排便が上手くいかない。トイレに移動するまでに紙おむつの中に便が溢れる。

昨日は、朝、排尿と多量の便でベッドの上が汚れている。私の処理も早朝から大変。S、シャワー。その後着替えさせてベッドメイキングも。私の体力も不安材料の一つ。

22日。5年ぶりにSがかつて所属していたパーキンソン病患者で構成されていたコーラスグループのメンバー数人とカラオケ屋さんに集まる。(街中へ車椅子で連れて行くのは大変だったが。)Sの気分は高揚したようだ。

そうしたことも影響しているのか、精神状態が不安定気味になっている。それも幻視幻覚の増加と関連しているのかも。パーキンソン薬を欲しがる。かかりつけ医は減薬したままの方がよいと。

パーキンソン薬の服用の果てに幻視幻覚の捕囚となったsの今があると思う。将来への不安は募るばかり。介護サービスなどを利用しているとはいえ、私一人だけでの介護がいつまで出来るか・・・。

23日(火)夜から25日(木)夜まで断続的に降り続いた雪、やっと治まる。今シーズン最強の寒波だった。積雪も我が家の庭で10センチ以上はあった。それでも26日には道路の雪だけはほぼ溶けた。

2024年1月14日 (日)

続・灯浮標23(2024.1.14)夢の中で浮沈が激しい。浮遊物多しパーキンソン病。

ここ数日、例によってSの幻視幻覚激しい。

今朝の悲喜劇は、目を覆うばかり。

排尿と排便で、ベッドのSの下半身は汚れがひどく。

朝7時の薬服用を経て、やっとお風呂場へ移動させ、シャワーで下半身の酷い汚れを洗い流させる。

洗濯物は3回に分けて何時間もかかる始末。

部屋に籠った臭いを換気扇と消臭剤で拡散させる。

先の読めない介護が続く。

幻視幻覚の強さやその種類、また不眠の度合い、夜間尿の量などは日によって大きく差があるが、ここ数日はどうもそれがどれも強い。昼間の気分が何かしらハイになっているような気もする。

私の精神的な疲労、不眠、肉体的な限界も実感しつつ。

1月も後半に。時は早い。

2024年1月 9日 (火)

茜さす大空に母還り来て(母の14回目の命日に。)

今年の始まりは心痛以外の何ものでもなく。

今日2024年1月9日は母の14回目の命日。

母が旅立った2010年に詠んだ短歌3首を投稿します。

茜さす大空に母還り来て

旋回せよ隼の如く

茜さす天の裂け目を縫い閉じて

あなたの涙を忘れられたら (6.15)

茜さす空腹ならばお母さん

私を食べたらよかったろうに

                  永洋

<私家版 歌集「茜さす歌 百日の祭り」(2010年9月9日 限定15部)所収>