2024年2月12日 (月)

2月11日、殿敷侃(TONOSHIKITADASHI)の命日に。

没後32年。2024年2月11日は、環境アーチスト殿敷侃(とのしきただし)の命日です。

「夢は見るものではなく 夢は生きるものである」by 殿敷侃


YouTube: 「夢岬賛歌」(ゆめみさきさんか)(試作)

2024年2月 9日 (金)

癒しと救いを求めて。「冬かたみ」「そんなもんなんですよ」「えみうた」

癒しと救いを求めて作ったのかも知れない。

LULU&Tonysのこれまでに作った曲の中から3曲をUPしておきます。

「冬かたみ」


YouTube: 「冬かたみ(FUYUKATAMI)」lulu&tonys(試作)

「そんなもんなんですよ」


YouTube: 「そんなもんなんですよ」(Full version) lulu&tonys

「えみうた」


YouTube: 「えみうた」lulu&tonys

2024年2月 5日 (月)

続・灯浮標26(メモ:起立性低血圧など。)

(メモ)

2月2日午後3時過ぎ。例によって車いすに座ったままSは傾眠状態。垂涎も相変わらず。揺すってもなかなか起きない。血圧を測ると89~47。脈拍は48.起立性低血圧か。どうにか車椅子からベッドに移動させて寝かせる。(因みに、朝8時半、食前の数値は165~71.脈拍59)

1時間もしないうちに、意識もはっきりして、夕方からの入浴介護も受けた。相変わらず日内変動が激しい。

長期にわたるパーキンソン病薬の蓄積がこういう症状を引き起こすのだろう。介護者の疲労もまた蓄積していく。

以前も何度か触れているが、パーキンソン病治療は、対症療法的なものが相変わらずメイン。国が認定する難病であり、ある程度の医療費免除があるわけで、介護者の私には過剰とも思える薬の投与が副作用を増幅させている、と思う。国、医師、製薬会社、そして患者本人の要求が複雑に絡み合って、そこにはやはり、闇があるように思えてならない。

3日~5日ショートステイ。毎回相変わらず嫌がるが、どうにか行ってくれる。そつかのま私は休息できる。

2024年2月 2日 (金)

暮れて行く日々に。もう、そしてまだ1か月。

2月1日で発生から1か月経った令和6年能登半島地震。報道に拠れば2月1日付で石川県の死者は240人、安否不明者は15人。まだ1万4643人が避難生活。そのうち1万人近くが体育館や集会所で避難生活とか。しかも、床に雑魚寝状態。断水が続いているとはいえ、未だ入浴もしていない高齢者の方などが多数。国は一体何をしているのか。憤りを覚える。神戸や東日本など、過去の災害に何を学んだのだろうか。政府には今一つ危機感が感じられない。国民の命を預かっているというその重さが感じられない。自衛隊の初動が遅かったとも言われている。自治体と政府、自衛隊などとの連携はうまくいっているのだろうか。

棄てられてよいものなどは何もないと思う。

2024年1月31日 (水)

続・灯浮標25(2024.1.31)パーキンソン病とSの蜜月。

昨日30日早朝、異臭が二階まで届く。一階のSのベッドへ。

多量の軟便と尿でベッドの上は悲惨極まりなく。

防水シートを越えて下のシーツや毛布も汚れている。

医療用手袋をはめて処理。具体的には書かないが、ほとほと疲れ果てる。

S、風呂場でシャワー。

多量の洗濯物、そしてベッドを整えなおす。

Sの陰部が炎症を起こしている。蒸れや尿、便の影響か。

急遽、デーサービスは休みにして皮膚科へ連れて行く。待ち時間1時間半。

診察の結果、炎症を抑える軟膏(副腎皮質ホルモン(ステロイド))などを処方される。

当日、そして今日で殆ど炎症は収まる。

1月が終わる。介護は果てしなく。Sの幻視、或いは妄想の世界は何処までも深く。

日常は昏い。

2024年1月27日 (土)

続・灯浮標24(2024.1.27)パーキンソン病と幻視、幻覚。20年の闘病の果てに。

(メモ)

昨年後半から激しくなってきたSの幻視幻覚は今年、止むどころか日々激しくなっていくように思う。

夜中からの症状は昼ごろまで続く。居るはずのない犬や人をはっきりと認識しているようだ。

時には家じゅうを捜し回る。そこここに隠れていると疑っている。

今朝6時前ごろも杖を振り回し、ベッド周りには物が散乱し、廊下で立ちすくんでいる。そして朝7時の薬を欲しがる。起床時のマドパーは早いうちに飲んでしまったらしい。

飲ませて再びベッドに寝かしつける。

ここ数日、排便が上手くいかない。トイレに移動するまでに紙おむつの中に便が溢れる。

昨日は、朝、排尿と多量の便でベッドの上が汚れている。私の処理も早朝から大変。S、シャワー。その後着替えさせてベッドメイキングも。私の体力も不安材料の一つ。

22日。5年ぶりにSがかつて所属していたパーキンソン病患者で構成されていたコーラスグループのメンバー数人とカラオケ屋さんに集まる。(街中へ車椅子で連れて行くのは大変だったが。)Sの気分は高揚したようだ。

そうしたことも影響しているのか、精神状態が不安定気味になっている。それも幻視幻覚の増加と関連しているのかも。パーキンソン薬を欲しがる。かかりつけ医は減薬したままの方がよいと。

パーキンソン薬の服用の果てに幻視幻覚の捕囚となったsの今があると思う。将来への不安は募るばかり。介護サービスなどを利用しているとはいえ、私一人だけでの介護がいつまで出来るか・・・。

23日(火)夜から25日(木)夜まで断続的に降り続いた雪、やっと治まる。今シーズン最強の寒波だった。積雪も我が家の庭で10センチ以上はあった。それでも26日には道路の雪だけはほぼ溶けた。

2024年1月14日 (日)

続・灯浮標23(2024.1.14)夢の中で浮沈が激しい。浮遊物多しパーキンソン病。

ここ数日、例によってSの幻視幻覚激しい。

今朝の悲喜劇は、目を覆うばかり。

排尿と排便で、ベッドのSの下半身は汚れがひどく。

朝7時の薬服用を経て、やっとお風呂場へ移動させ、シャワーで下半身の酷い汚れを洗い流させる。

洗濯物は3回に分けて何時間もかかる始末。

部屋に籠った臭いを換気扇と消臭剤で拡散させる。

先の読めない介護が続く。

幻視幻覚の強さやその種類、また不眠の度合い、夜間尿の量などは日によって大きく差があるが、ここ数日はどうもそれがどれも強い。昼間の気分が何かしらハイになっているような気もする。

私の精神的な疲労、不眠、肉体的な限界も実感しつつ。

1月も後半に。時は早い。

2024年1月 9日 (火)

茜さす大空に母還り来て(母の14回目の命日に。)

今年の始まりは心痛以外の何ものでもなく。

今日2024年1月9日は母の14回目の命日。

母が旅立った2010年に詠んだ短歌3首を投稿します。

茜さす大空に母還り来て

旋回せよ隼の如く

茜さす天の裂け目を縫い閉じて

あなたの涙を忘れられたら (6.15)

茜さす空腹ならばお母さん

私を食べたらよかったろうに

                  永洋

<私家版 歌集「茜さす歌 百日の祭り」(2010年9月9日 限定15部)所収>

2023年12月16日 (土)

この狭い世界の果てに灯を点し

今日は昼前に自宅を出て遠出しました。来月初めが母の命日という事もあって故郷へ。

お墓参り。風が強かったので、高速道をやめて地道を往復丁度222キロ。

疲れましたがいい気分転換に。さて、天気予報に拠れば明日は雪になるかも。

短歌近作二首です。

眠れない秋の終わりに悲の器

書棚の隅に見つけし我は

(2023.12.2)

この狭い世界の果てに灯を点し

うつつの空のシミを数える

(2023.12.2)

2023年12月 2日 (土)

続・灯浮標22 眠れない秋の終わりに、空のシミを数える。

ここ10日間ほどの、Sのパーキンソン病メモ。

11.23(木):

0:33 階下のSから電話。下りて、Sのベッドの中の体勢を直してデエビゴ錠を服用させる。

2:33 再び電話。排尿で濡れた体を拭いてやる。紙おむつを取り替える。

11.24(金):

4:03、4:05、4:06、4:06、4:23、4:25、4:25、とSが連続して電話で私を呼ぶ。幻視幻覚で荒れるsをなだめる。私は疲れと眠気で苛立つ。怒る。そして6:32、7時の薬を飲ませる。午前、ケアマネージャーへ電話。ベッドの部屋の移動を相談。業者に、お昼すぎ、ベッドを床の間からリビングに移動してもらうことに。少し環境を変えてみることに。午前、ヘルパーさん。午後、ケアマネさんと業者さん。ベッド移動。ケアマネさんは、一週間ほどのショートステイを勧められるが本人は納得しない。

11.25(土):

3:25、階下から呼ばれる。うがいをさせる。デエビゴ錠を服用させる。顔を拭いてやる。体のシップを剝がして体勢を直す。

11.26(日):

朝5時頃呼び起こされる。マドパー半錠飲ませる。朝7時に7時の薬(マドパー1、ノウリアスト2、ミラベックス1、ランドセン0.5)飲ませる。尿で濡れたシーツなど交換。尿が染みた衣服をすべて脱がせてシャワーを浴びさせる。Sが自分で浴びる。午後、気分転換にとカラオケに連れて行く。

11.27(月):

午前3時、階下から呼び起される。悪夢を見たようでひどく怯えている。体をさすってやり、デエビゴ錠を服用させる。そのうち眠り始める。

11.28(火):

3:30、Sに起こされる。体勢を直す。その夜10時頃か、S、私が外から呼ぶ声がしたからと庭先に一人歩行器で出ている。その時私は2階に居たわけで。転倒はしていなかったが、こういった幻聴は色々な面で怖い。強く窘める。言い争いになる。

11.29(水):

朝4:30、6:30と相変わらずSの幻視幻覚で呼び起こされる。朝8:45訪問リハビリ。10時半、訪問入浴。お昼前、4年ぶりにSのお姉様が大阪から来られる。S、嬉しそう。午後3時過ぎ、ケアマネ、訪問看護師を交えて今後の事など話す。結局のところは当面は大きな変更は無くも、ただショートステイを増やすことに。将来的には入院、施設入所等も視野に。Sは良くは納得してはいないものの、一応は考えておかなければ、私の健康状態にしても何があるか分からないわけで。夕方5時過ぎ、私の運転でお姉様を駅まで送る。Sも同乗。

11.30(木):

朝、訪問看護。昼前、H内科受診。sの先日の血液検査の結果など問題無し。sのリハビリ。昨日の事もあり、Sの気分が昂ぶっている。精神的にも様子が不調。昨夜から朝にかけても幻視幻覚は酷かった。

12.1(金):

久しぶりに夜、Sが私を呼ばなかったが、未明2:30ごろ団地内で火事があり、パトカーや消防車のサイレン音などがうるさく、結局眠れず。午前ヘルパーさん生活介護、夕方入浴介護。そしてその後、緊急でショートステイに3泊4日。たまたま個室が開いていたわけで、助かる。私の睡眠不足、疲労はピーク。Sに持たせるものを忘れたりで、何度もショートステイ先と往復する羽目に。とにかく疲労が溜まっている。

12.2(土)

久しぶりに穏やかで静かな朝。ただ、疲れは簡単にはとれない。頭痛がひどい。私は午後、月に一回の太極拳教室に。

今秋、初冬とカメムシが今年は特に多かった。ピークを過ぎたがそれでもまだ時折室内を飛び交う。その都度捕獲を試みる。

天井にそれが止まると、まるで染みのようにも見える。Sが怯える。