2024年5月22日 (水)

古代出雲を訪ねて。~荒神谷遺跡~加茂岩倉遺跡~出雲大社~稲佐の浜~

<メモ>

2024年5月19日日曜日。薄曇。

朝7時半自宅出発。

ほぼ一般道を走る。久しぶりにR54で広島から島根へ県境をこえる。

11時半、荒神谷遺跡。12時45分発~13時、加茂岩倉遺跡着

14時、加茂岩倉遺跡発

15時、出雲大社に隣接する「古代出雲歴史博物館」着、

特別展「誕生、隠岐国」最終日。

常設展にて、荒神谷で発掘された本物の銅剣358本、銅矛16本、銅鐸6個。加茂岩倉で発掘された銅鐸39個と対面。壮観!!

出雲大社お参り。

稲佐の浜に立ち寄る。

出雲17時49分発。自宅21時47分着。

*帰路、大田から川本町に到る道がよく分からず、R261も一部通行止めの為、結局、浜田から浜田自動車道を大朝まで走り、一般道で帰宅。

走行距離467.4㎞。

行き当たりばったりのぼっちドライブも楽しいもの。

*R261は桜江大橋の先から川本大橋まで、一部土砂崩れで通行止め。

*荒神谷遺跡:1983(S58)年発見。古墳時代の遺跡。弥生時代の銅剣、銅矛、銅鐸発掘。

*加茂岩倉遺跡:1996(H8)年発見。弥生時代中期から後期の銅鐸発掘。

2024年4月16日 (火)

続・灯浮標31.日々乱気流の如く。(概日リズム(体内時計)~日中過眠)

以前からの傾眠は、日ごとに強くなる。起立性低血圧は取り敢えず影を潜めたが、日中、血圧は下がらないままでうつらうつら。概日リズムの乱れに拠るのだろうか。自律神経の失調だろうか。

そして、朝から夜まで覚醒しない。それに加えて幻覚幻聴も貼りつく。

いずれも、パーキンソン病の代表的症状の一つではあるらしいが、介護の側からすれば、しんどい。

ただただ、しんどい。私にはどうしようもないのだが・・・。

今日も一日酷かった。朝、訪問看護師、ケアマネージャー、そしてKのお姉さんにも電話するなど。私はただひたすら疲れ果てる。(介護者である私、どうしても感情的になってしまう。)

明け方、喉に針があると騒ぐ。どう見てもそんなものは無い。多分、口の中が乾いて、ひりひりとしているのではないかと思われる。Kは普段から無呼吸症候群があり、ほぼ一晩中口を開けたままで眠って居る。それによって様々な症状を併発する。これまでも、無呼吸症候群については、色々処置をしたが効果は無いし、本人も詳しい検査など受けようとしない。

血圧や酸素量、体温などはほぼ問題ないのだが、とにかく本人が言うことを聞いてくれない。目を覚まさない。恐らく夜、充分な睡眠をとっていないと思われる。

急遽。看護師さんの力を借りて、紙おむつを換え、車に乗せ、午前11時近くやっとデーサービスに送って行く。

2024年4月 5日 (金)

花蓮のマグネット。

4月3日午前7時58分(日本時間8時58分)、台湾花蓮県海域で発生したマグネチュード7.3の地震で、4日現在、死者10人、負傷者1100人、連絡がつかない人が約10人、そして約700人が孤立。山崩れや建物崩壊など大きな被害が出ています。亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。また、被害に遭われた方々に心からお見舞い申し上げます。

今から十数年前の初夏(2012.6.9)、台北から花蓮まで電車に乗って一人旅をしたことがあります。電車内では、たまたま乗り合わせた台北から太魯閣へ向かう家族と話が弾み、私の拙い中国語に付き合ってもらった記憶があります。また、花蓮では、レンタサイクルで郊外まで足を延ばしました。

こんな形で花蓮を思い出すことになるとは・・・。

花蓮県や被害に遭われた地域の人々の暮らしが、一日も早く元に戻りますように。

あの花蓮の旅の記念に花蓮駅で買い求めた、マグネットを眺めながら心からそう思います。

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2024年3月15日 (金)

続・灯浮標30.パーキンソン病と低血圧、幻覚、そして介護疲労。

灯浮標29の続き。

14日、行きつけのクリニックでSのリハビリ&問診。

起立性低血圧に対応して、降圧剤を減薬。

Sがこれまで飲んでいた降圧剤は、アムロジピンOD錠5mgとオルメサルタンOD錠10㎎。

これの内、アムロジピンOD錠を2.5mgに減薬することに。

夜、Sのお姉様にSの現況などショートメッセージで送信。あなたの思うようにしてくださいと返信。(まあ、分かってはいるが正直気分は・・・・・である。辛い。孤立感だけが募るわけで。)

夜から15日朝方にかけて、相変わらずSの幻覚酷く、私を呼び続ける。眠れない。

2024年3月13日 (水)

続・灯浮標29.パーキンソン病患者における起立性低血圧のこと。

(メモ)

今日3月13日木曜日。お昼前、S,入浴介護を受けて、続いて私が30分程度入浴。その後1時ごろリビングへ行くと、S、車椅子でぐったり。揺さぶっても起きない。涎有り。意識消失状態。私が入浴前は意識ははっきりしており、僅か30分程度の間に血圧が急激に低下した様子。

血圧測れず。体もぐったり。車椅子からベッドになんとか移す。呼吸はしている。顔色も悪くは無い。

血圧を測るが両手首ともエラーを繰り返す。数分後なんとか測れる。

血圧75-57、脈59.酸素は94.

一時間後、107-68、脈波47.酸素は78から98まで。(もう何年も無呼吸症候群有)

やっと落ち着くが、念のため訪問看護師さんに来てもらう。

起立性低血圧か。

看護師さんは、状態も落ち着き問題なしと。

脈が取れなく、顔色が悪い場合は救急車を呼ぶしかないとのこと。

*

昨日12日。かかりつけ医受診の際は、連日の幻覚に対応して、レスパイト入院を考えたらともいわれる。悩ましい。

2024年3月11日 (月)

没後32年、殿敷侃の眼差しを想う。

(以下の文章は、2024年2月10日に私が作成したものです。改めてここに投稿します。)

  「没後32年、殿敷侃の眼差しを想う」

 2月11日は環境アーチスト殿敷侃(とのしきただし)の命日だ。1942年広島市に生まれた殿敷は、1945年8月6日広島に原爆が投下されたその日、母と共に父を捜して広島市内に入り、二次被爆している。

 長じて1970年には殿敷の油彩「は(2)」が「朝日ジャーナル(12月6日号)」の表紙に採用され、社会的にも注目を浴びる一つの契機となった。

 彼の作品は油彩画、シルクスクリーン、インスタレーションなど多岐に渡り、環境アーチストとして活動の場は広島から国内外に広がっていた。油彩「自画像の風景」、シルクスクリーン「ケロイド」「爪」、インスタレーション「まっ赤にぬられてヒロシマが視えた」「タイヤの生る木」、そして、移り住んだ山口県長門の海岸で、多くの賛同者と共に行ったインスタレーション「山口ー日本海ー二位ノ海、お好み焼き」など、極めて刺激的だ。

 遺された映像や作品は、私に「平和」、「環境」そして「いのち」について問い掛けてくる。私は、殿敷の眼差しの先には決して諦めない未来への希求があったと思う。1992年、50歳で世を去った彼の絶筆「僕は夜明けを信じた」が、時代を越えて生き続ける彼の作品群と共に私の心を揺さぶる。そして日々の暮らしに追われ老いの前に右往左往する私の背中を、今もなお明日へと押し続けてくれる。(2024.2.10)

追記:

今日3月11日は、東日本大震災の起きた日。あれから13年。だが、その傷は未だ大きく癒えてはいない。汚染水の問題も解決していない。さらに、今年1月1日に起きた令和6年能登半島地震は、未だ多くの被災者が避難し、水道などのインフラも一向に復旧していない。志賀原発も故障した。

あの長門の海岸に打ち寄せる波、そして海は、遥か日本海の対岸ユーラシア大陸にも打ち寄せる。そして大陸を西に辿れば、ウクライナとロシアの戦禍が待ち受ける。更に西に向かえば、パレスチナの地。イスラエルの砲撃が止まないガザ地区がある。

世界は、未だまっ赤に塗られてある。

殿敷の信じた未来は今此の地、そして地球には無い。

2024年3月 6日 (水)

雨の啓蟄にポリープ(胃)の話、などなど。

(メモ)

先週2月27日火曜、2年ぶりに胃カメラ検査。自覚症状があってと言うわけではなく、市が勧める胃がんの定期検診。そして、そのとき、前回と比べて一部ポリープに変化が見られるという事で、ポリープを二か所つままれて病理組織検査。その結果を今日、行きつけのクリニックで聞いた。結果は、胃底腺ポリープと、過形成性ポリープで、腺腫性ポリープとは異なり、今のところ胃がんのリスクは考えなくても良いとのこと。ただ、両方とも慢性炎症細胞浸潤が認められる。特に過形成性ポリープの方は、私の目にも炎症が確認できた。それで今度はピロリ菌の検査もしましょうと、さらに血液検査!の日でありました。実際、2年前の検査時と比べて同じ個所のポリープの数が格段に増加している・・・。

診察の後、最近市内に新しくできた私立の屋内プールで、少し泳いだ。

屋内プールは映画「ドライブ・マイ・カー」のロケ地にもなった、海岸端にある中工場に隣接しており、雨の中、中工場にも少し立ち寄ってみた。海鳥が一羽、海中に潜って中々浮上してこない。凄い心肺機能だ。

因みに、今回、別の行きつけクリニックで肺がん、大腸検査も行っているが、いずれも問題は無かった。

これらとは別に、先月、泌尿器科で半年か一年ごとに検査している前立腺癌の検査(PSA値5.77で、前回とは少し上昇している。)その結果から更に来月辺りMRI検査も言われており、まあ、年相応、老化の典型的コースに乗っかっているということか。(一般成人男性の2倍と言う前立腺肥大のレーザー手術も考慮したらと、やんわり勧められているわけで。)

未明から雨。庭の梅の花が雫を垂らしている。

(2024年3月5日(火)。啓蟄、記)

2024年3月 4日 (月)

続・灯浮標28.(5年ぶりのステージ~パーキンソン病講演会にて。)

(メモ)

2024年3月2日(土)

県民文化センターホールにて。

毎年恒例(コロナ禍で一時中断)のパーキンソン病講演会が開催されました。

講演1「これから上手に付き合うための パーキンソン病の話」

    (Yクリニック院長 Y先生)

講演2「パーキンソン病の最新の外科的治療」

    (O大学病院 S先生)

講演3「薬学教育研究者として、パーキンソン病患者となって見えてきたこと、考えたこと」

    (K大学名誉教授 K先生)

当日は朝からドカ雪。春の雪。にも拘らず、ほぼ満席の盛況でした。

SとS所属していたパーキンソン病患者によるコーラスグループの有志、そして私や友人のK君、ほかにメンバーの友人、知人など十数人で講演1と講演2の間の休憩時間にステージに立ち3曲ほど歌いました。

曲目「パーキンソングを歌いながら」(オリジナル曲)

  「春の小川」「ふるさと」

ステージに立つのは5年ぶり。Sはスピーチもどうにか無難にこなしました。

休憩時間にも拘らず、会場内のお客様は殆ど席を立つことなく、熱心に聴いておられ、中には一緒に歌われる方など。大きな拍手もあり当事者も嬉しかったようです。

翌3日、ひな祭りも朝から雪がちらつく天気でした。


YouTube: 「パーキンソングを歌いながら」(試録音)lulu&tonys with puff

2024年2月28日 (水)

続・灯浮標27 パー―キンソン病の闇。幻覚幻視、連日のピーク&ヒート!!

先週から今週にかけて、Sの幻視幻覚はこれまでになく激しかった!昨晩から今朝にかけて、久しぶりに落ち着いていた。

夜通し、現れるのは犬、人物、得体のしれないもの。そして、目は宙を見つめ、声を上げ、怒り、罵り、下半身も脱ぎ捨て・・・どうしようもなかった。それは時に昼間も続いた。

私の疲労もピーク!

まさに崖っぷちだったわけで、一旦は落ち着いたものの、それはこれまでもそうだったわけで、断続的に現れる。

ケアマネさんやかかりつけ医、訪問看護の方などにも話してはいるものの、出口が見えない。施設に入所させるにしても、私一人では判断がつきかねる。

春はまだ遠い。

2024年2月26日 (月)

月日は百台の貨客と打ち間違えてしまったが、これはこれであながち外れているとも思えない。

「月日は百代の過客」とは松尾芭蕉。

振り返ってみればつくづく・・・・

30数年ぶりに会った知人の変貌に私は翻弄されたのだが。それだけならまだしも・・・、

Sも無防備でそのしわ寄せは全て私が被り、その皺を伸ばす羽目に。具体的には言い難く・・・。

我が身を振り返れば、この30数年の間にほとんど何もかも大きく変わってしまったわけだが、それにしても曾ての知人の変貌は私を混乱させて余りあったわけで。

ああ、それでもそれでも生きて行かなければならない、誰も。

(メモ)

2月22日木曜日。午後古い知人をホテルまでSと共に私の車で迎えに行き、そのまま市内のカラオケ店へ。カラオケ店で3時間ほど歌ったり喋ったり。(これが肝要。知人のセールスを断る。私の中に失望が沸き上がってきたわけでそれでも・・・)その後、ホテル経由で新幹線駅まで送る。

(メモ)

2月24日土曜日は元宵節。春節(2月10日)から2週間。旧暦(農暦)で、新しい年が本格的に始動する。空は晴れたり雨が降ったりの荒れ模様。