2024年9月16日 (月)

続・灯浮標35(日付を超えて介護の顛末。)

9月12日(木)夜10時過ぎからSのお姉さまと電話で1時間ぐらい、Sを交えて話す。

お姉さまは、せめて短期入所を勧められる。

13日(金)深夜から14日(土)未明にかけて。

いつの間にか眠っていて、目覚めるともうすぐ日付が変わるとき。

階下の様子がふと不安になる。降りてみると、S、ベッドの脇で頭を床につけて動けなくなっている。紙おむつを下ろしたままだ。排便をしたもののお尻が拭けていない。しかも、ジャージズボンも汚れている。処理をして体を起こし、導眠剤を飲ませてベッドに寝かしつける。

腕が痛い。

汗が出る。極度の疲労。

15日(日)Sの友人Kがお昼前に訪ねてくる。久しぶりだが、ありがたい。

午後、3人でカラオケに行く。Sの気持ち、高揚している様子。

2024年9月12日 (木)

続・灯浮標34.明け方のサイレン!!パーキンソン病患者の妄想の果てに。

9月10日。朝7時過ぎ。Sが二階に何者かがいると、上がってくる。私の制止を振り切る。結局、二階の廊下で倒れこむ。私一人では動かせず、ヘルパーさんを急遽呼ぶ。8時過ぎ、男性ヘルパーさんが来られる。何とか階下のベッドへ移動させてもらう。10時過ぎ、デーサービスへ連れていく。夕方、デーサービスから予約していた歯科へ。

9月11日。早朝、5時半ごろ。救急車我が家へ。Sが、携帯で119 を押していた。Sによると、二階の私を呼んでも返事がなく、それで不安になり、救急車を頼んだとのこと。

救急隊員が、5.6人、いやもっとか。家の周りや室内に。まさかこんなことになるとは。

心が折れる。救急隊員がSと私のバイタルを確認、いろいろと状況を聞かれる。救急隊員に謝り、帰ってもらう。

Sは自分のしたことがよく理解できていない。

朝9時前、訪問リハビリ。その後、10時半から訪問入浴。それぞれに朝の顛末を話す。

一様に驚かれる。このままでは在宅介護は破綻する。

12日。朝9時。訪問看護。看護師さんは、Sの入院か、或いは短期の施設入所を勧められる。

看護師さんがかかりつけ医に連絡を取っておられ、それによると、ネオドパストンを減薬しなさいとのことだが、本人は拒否する。八方ふさがり。

とにかく、私はSの幻覚によって連日嘘つき呼ばわりされている。メンタルが壊れそうなのだが、それをまず打開するには、Sと距離を置きたいのだが、私を嘘つきと罵倒しながらも、依存してくる。

どうしたものか。

Sの幻覚、幻聴はやまない。そして、認知的な傾向も強まっている。

先日、Sのお姉さまと電話で話し、手紙を差し上げたのだが・・・。

私一人では、どうしようもなくなっている。

2024年9月 4日 (水)

続・灯浮標33.パーキンソン病と幻覚の朝。ほぼ徘徊初期?

日付が変わった9月4日午前2時過ぎ。ふと目覚めて、Sが気になり階下へ降りる。

ベッドに車いすをつけ、体がベッドに不自然に横たわった状態で、足は車いすに残っている。

体制を整え、導眠剤を飲ませる。

朝6時、玄関の扉が開く音。階下へ降りる。Sの姿がない。玄関ドアを開けると、ガレージわきに、Sが杖と歩行器を支えに立っている。帰ろうとしない。制止を遮って庭に移動する。

何者かを探してのことらしい。幻覚が激しい。

そのまま動けなくなる。振戦も激しい。草むらに倒れこむ。

倒れこんだ庭先で、朝7時の薬を飲ませる。

庭からガレージわきに移動。車のドアを開けようとしている。

そのまま動けなくなる。車いすに乗せ、どうにか室内へ入れる。

ベッドに横たわらせる。私は疲労困憊。

9時前、訪問リハビリ。10時半から入浴介護。

午後、傾眠状態が続く。

バイタルは正常。

こうしたことは初めてではないが、私のメンタルがやられる。もちろん体力的にもつらい。

これから先どうなるのだろ。不安が募る。

本当にこれからが不安。私がSの介護を引き受けて、この7月から10年目に入った。

2024年7月23日 (火)

改行できない歴史。「月ぬ走いや、馬ぬ走い」読了。

単行本の定価買いは十数年振りか。

豊永浩平著「月(ちち)ぬ走(は)いや、馬(うんま)ぬ走(は)い」(講談社刊)読了。

「琉球弧」と言う言葉が頭をよぎる。

これは、小説であり叙事詩である、琉球弧の改行できない歴史を幾重にも紡いだ。

・・・芭蕉布を揺らす歴史の風。

(抹消線の下を読もうとするのだが。)

さて。

2024年7月18日 (木)

うつせみのはかなくて。ただひとはうつりぎ。(冷笑の薄気味悪さよ。)

石〇某の人を見下したかのような言説に酔いしれて我を見失うひとの。

例えば日々の暮らしのやり場のない憤りや閉塞感の救いとしての。

やり逃げそれも途中でだから始末が悪いし悉く裁判に負けてその独りよがりの結末を見ても。

薄気味の悪さよ冷たさよその空疎な実態に震えるがいい。

恐らくであるが精神的に満たされないある一定層の人々を取り込んで大きな潮流を作ろうとしているそのやり口に怖さを感じるしそれはその多くは超保守(的)とも呼べる層でもあろうしそしてそれは時代から取り残され零れ落ちている層とも言えるがそれ自体が磁石のようにくっつき力を持つならば怖い。

(彼は思想を持たない。彼は具体化しない。彼は安易である。)

2024年7月 1日 (月)

先々週からの雨は、止まない。(「雪朝」翻訳始めるも手強し。)

今日から7月。文月。七夕月とか。

先々週6月21日金曜日から断続的に降り続いている雨、昨夜は愈々激しく、市内各所に避難指示も。

肩の調子も一進一退。なんだかなあ。気分も晴れない。梅雨明けは何時か!!

(メモ)

「雪朝」の翻訳、先週6月24日一応スタート。

先ずは第一集、朱自清の『睡能小小的人』から。手強し。

完訳まで5年で済むか、十年かかるか、果たして。

生きなきゃ!」


YouTube: 「蛍の唄」lulu&tonys

2024年6月24日 (月)

梅雨入りの日を過ぎて。

中国地方、2024年の梅雨入りは6月22日。昼前から雨。

私は整形外科へ。6月8日に続いて2回目のブロック注射。

今回はどうしたわけか、軽い眩暈。医師、すぐにベッドに横たわらせる。

血圧も一瞬下がったようだが、気分は2分程度で収まる。

ここのところの右肩の痛みはやはり腱断裂から来ている。腕もなかなか上がらず。

医師はアンカーに拠る縫合など手術の話もされる。まあ、それは最終手段。

そこまで行かないまでも、なんとかしないと・・・・

クリニックを出たらお昼はとっくに廻っていて、土砂降りの中、スーパーなどで買い物。

日曜日は来客あり。(sの友人。)

そして月曜日は、どうにもこうにも体がだるい。

Sの入浴介護や、昼からも生活介助でヘルパーさん。

今日は雨は止んでいるがどんより空。気分も沈みがち。

2024年6月21日 (金)

「買わなかった」二人それぞれの「櫂の音に灯影の揺れる秦淮河」

俞平伯「奖声灯影里的秦淮河」を翻訳しました。

2020年2月に翻訳した朱自清版に続いて、2024年5月にやっと俞平伯版「櫂の音に灯影の揺れる秦淮河」を翻訳しました。

今から百年余り前、同じ日同じ船に乗り、中国の南京を流れる秦淮河の一夜を楽しんだ若き日の作家二人の、同じ題名による散文です。

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2024年6月 9日 (日)

右腕。右肩。カルボカインアンプル注入!

6月3日月曜日夜から喉の痛み、咳が強くなる。Sの発症からほぼ3日遅れ。ただ発熱は無い。

6日で、Sの新型コロナ陽性による5日間の自宅待機期間が終わるが、濃厚接触者になる私の症状は、まだ完ぺきに治っているとは言い辛い。

激しい倦怠感を伴っている。ただ、相変わらず発熱は無い。

平熱が36.0前後と低めの私としては、ここのところ36.6前後で若干高いと言えば高いが。

8日。土曜日。Sはデーサービス。

私は、どうにか8割がた体調持ち直した感があり、延び延びになっていた整形外科受診!

凡そ2ゕ月前ぐらいから右肩の痛みが強くなり始め、一ゕ月前には、右肩が左肩を添えてやらなければ自力で上に挙らなくなっていた。最近では運転時、左手操作も辛くなっていたわけで。

ほぼ一年前とよく似た症状で、再発か。

その時は、左ひじの痛みが主だった。一年前と同じ整形外科クリニックへ。

ここはいつ来ても患者が多い人気?のクリニックらしい。

1時間半余り待って、診察。

X線、エコー、問診、触診など。

神経は少し切れてはいるようだけれど、手術までは必要ないだろうと。

結局、先ずは注射からと。

肩の患部に、

「カルボカインアンプル注1% 5mL、1菅」

「デカドロン注射液1.65mL、1菅」

太めの注射器から、肩の奥の関節部分へ液がじんわりと浸潤して行くのが実感できる。

注射が終わり針が抜かれた直後から、医師に促されるまま腕は、まだ軽い痛みを伴いながらも既に上へと動く。

2週間後にもう一度来なさいとのこと。

痛み止め薬「セレコキシプ錠100㎎<VTRS>」、胃薬「レバミピド錠100㎎<オーツか>」湿布薬「ロキソプロフェンNaテープ100mg<ユートク>」それぞれ1週間分処方。

クリニックを出たのは12時半近く。

それから市内中区で用事を済ませ、月1回の太極拳教室へ1時間遅れで。痛みが軽くなったものの、完全には遠いが、腕から肩が幾分上がりやすくなってきたわけで、なんとかがんばってみた。

同じ日、所用で出た市内中区三川町あたりは、広島の浴衣の着始めとかいう「とうかさん」(7.8.9日)が始まっていて、大混雑だった。曇天、4時過ぎには雨模様。

2024年6月 3日 (月)

続・灯浮標32(新型コロナ2回目の罹患)

6月1日(土)午前2時過ぎ、階下のSの様子が気になり下りてみる。体温37.8度から37.5度。ベッドの防水シーツ、衣服は排尿で濡れている。服を脱がせて体を拭き着替えさせる。シーツも換える。

朝9時前、再び、シーツ、衣類等排尿で濡れている。全て換える。

Sが、尿や水、汗などでべたつく体を流したいと、シャワーを浴びる。体温、37.8度前後。

訪問看護師に電話。看護師の指示で私が持っていたカロナール500㎎を服用させる。

お昼過ぎ、訪問看護師に来てもらう。熱は37度台。

夜になって、発熱は38.3~38.7。

翌日、カロナール服用もなかなか効かない。昼には体温38.9度まで上がる。

看護師と相談し休日救急医(内科)へ。

車で20数分。

検査の結果、2度目のコロナ陽性。

日曜から木曜まで5日間自宅で安静にしておくようにと言われる。

点滴。ピーエイ配合錠(毎食後)、ラスビック錠(夕食後)をそれぞれ2日分処方。

カロナールと併せ服用指示。

夜10頃から熱下がり始める。36.6度。

翌月曜、3日。熱次第に下がる。36.6前後で落ち着く。

少し咳は残ってる。

朝、訪問看護師来られる。肺の状態は問題なさそうとのこと。

血圧、酸素量とも問題ない。

私の体温は36度前半から35度台まで。夕方36.8度。体調はすぐれない。

軽い咳。倦怠感。(もしかしたら私もコロナ菌を持っているのかも。)

S,体調良くなってくると、ごそごそと落ち着かない。

(4日朝~)

Sの体温は36.3度。峠は越えたようだ。

私の体温も36.3度。ただ喉がいがらっぽく、からだがだるい。