2023年9月29日 (金)

続・灯浮標19.要介護5、パーキンソン病とシャイ・ドレーガー症候群の近似。

要介護2から要介護5に判定が変わって1年が経つ。

Sのパーキンソン病は確実にそしてゆっくりと止まることなく進行している。

特に夏から秋にかけて、一旦落ち着いていた幻覚幻聴が再び頻繁と言うか、毎夜酷い。それは鼠や犬らしき小動物であったり、或いはもののけであったり。感触など実感を伴うようだ。

夜間尿が多い。紙おむつがずれて防水シートに溢れることはほぼ連日。

当然ながら足のむずむず症候群、幻覚や尿漏れなどでのsの不眠も連日。そして私も頻繁に呼び起される。私もまた不眠が続く。

加えて、Sは、ここ数週間、血圧の日内変動が激しい。朝、食前は上が150前後で下が100前後。昼間は反対に上が80前後で下が50前後。自律神経が影響していると医師は言う。血圧降下剤を服用しているが、それをどうするか悩ましい所。また、右腕左腕で血圧の値が大きく違う。特に右腕が高めの値になる。本人は、血圧が低くても意識はある。結局、担当医師は、今しばらく血圧降下剤等の処方は変えず様子を見ましょうと・・・。

日中、オン状態が極めて少ない。歩行器で歩ける距離も少なくなりつつある。殆ど車椅子で終日を過ごす。また、訪問STにより隔週で言語リハビリもしているが、その時は調子がいいものの、日常的には、言葉が直ぐに出てこなくなりつつある。

これは以前このブログに投稿しているのだが、パーキンソン病患者を多くリハビリされているかかりつけの作業療法士さんによれば、Sの場合、その症状は、シャイ・ドレーガー症候群に似ていると言われる。確かに自律神経障害に伴う様々な症状はそう言える。

それにしても、これから長きにわたってどう介護していくか私の疲労の蓄積と共に悩ましい所だ。

因みに現在のルーティンは次の通り。月曜は午前、介護ヘルパー、午後、隔週で訪問言語療法。火曜はデーサービス。水曜日は毎週訪問リハビリと男性ヘルパーさんによる入浴介護。木曜は月1回の通所リハビリ&診察、隔週の訪問看護サービス、金曜日は午前、介護ヘルパー、午後男性ヘルパーによる入浴介護。土曜日はほぼ隔週でデーサービス。月2回のショートステイ(土日の1泊2日)。加えて月1回パーキンソン病のかかりつけ医受診。月1回の歯科受診。

2023年9月10日 (日)

汚染水であり、性的児童虐待である、ということ。

東京電力福島第一原発から排出された汚染水を処理水と言い換える。

言い換えても、トリチウム、セシウムなどの放射性物質によって汚染された汚染水である事実は薄められない。

芸能事務所のトップが長年にわたって数百人、いやそれ以上とも言われる少年たちに性的虐待を加え続けた事実を性加害と言い換える。

言い換えても、その犯罪行為の事実は薄められない。

そして、多くのメディア、マスコミも、その処理水、或いは性加害の呼称を使う。

根っこは同じではないのか。

恐らく多くの市民は、国民は、たいしてそれを気に掛けること無く日々を過ごし、やがて何事も無かったかのように、風化していくのか、いや、それはまずいのだ、まずいのである。

知りながら知ろうともせず、自分自身の立ち位置を曖昧にして、楽な方へ傾いて行く。そうしてきた「私たち」が、これからもそうであるなら、曾て多くの国民が戦争へ戦争へと雪崩を打って熱狂した歴史は繰り返されないとも、限らない。

過去を掘り起こしながら、今、少なくとも私は、処理水ではなく汚染水と呼び、性加害ではなく、性犯罪として、ニュースを(正しく)読み換える。

許されざる日々を忘れてはならない。

2023年9月 8日 (金)

甘南備寺再訪。(江津市桜江、2023.9.3)

昨秋10月以来、2023年9月初め、江の川沿いの古刹、甘南備寺にお参りしました。

門前、昨秋は既に終わっていた百日紅の紅い花が、今年はまだ火を灯すように咲いていました。

ここのところ体力の衰えを実感するばかりで、情けないなあと思いつつも、もうひと踏ん張り、かなあ、なんて。

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2023年8月31日 (木)

続・灯浮標18.パーキンソン病患者の介護。ニュープロパッチ始めました。

S,水曜日から、かかりつけ医の提案でニュープロパッチ(4.5㎎)の使用開始しました。

実は、ほぼ十年ぐらい前、現在とは違うかかりつけ医の勧めで同じ処方を試したことがあったのですが、その当時は、当人が肌に合わないと、早々に止めた経緯があったのですが、今回はどうなることか。

先ず、本人を昼夜を問わず苦しめている、むずむず症候群を何とか収めたいと言うのが大前提です。

貼付して2夜、今のところは効果を発揮しているようで、これまでのようなむずむず症による不眠は訴えていないようです。ただ、経過を注意深く見守る必要があるように思います。

この薬はシール状になっていて、腕や肩、太もも、お尻などに貼り、24時間効果が持続すると言うもの。

効果としては、パーキンソン病やレストレスレッグス症候群(下肢静止不能症候群、別名:むずむず脚症候群)の諸症状が改善することが期待できると説明書にはあります。

ただ、併せて、ギャンブル依存症(病的賭博)、買物依存症、性欲及び食欲の病的亢進も明記されています。曾て激しいギャンブル依存症となり、今もなおその傾向が全くないとは言えないSにとっては、文字通り「賭け」の様な気もするのです。

また、依然として幻覚幻聴の類は続いており、そうしたことへの危惧は拭えません。

扉を開けて誰か、何者かが侵入すると言い張ること、それに関連して、寝る前など玄関ドアや窓の鍵が開いていると主張し何度も私に確かめさせるなど、所謂、強迫性障害も進んでいるような気もします。

前のブログでも触れた「承認欲求」の強さは相変わらず。例えば、ヘルパーさんなどへ、Sの現役時代を記録したDVDやカセットテープを見せたり聞かせたりしています。本人の満足感がそこである程度は得られるのでしょうが・・・。

ひたすら私の神経と体力がすり減って行く、特に、右肘周辺の痛みはどうにも治まらず、苦しんでいる現状は変わりません。

2023年8月22日 (火)

日に背き頭を垂れし向日葵は生を宿して朝に斃る

日に背き頭を垂れし向日葵は

生を宿して朝(あした)に斃る

        永洋 (2023.8.22)

朝から酷暑の今日22日は、私の父の17回目の命日。生きていれば93歳、か。

だからと言って特別な何事も、まあ、しない。

冒頭の短歌は、今日に日付が変わった深夜にふと頭に浮かんだもの。

17年前、2006(H18 )年の8月21日夜には雨が降った。そして翌22日朝方、父は病院で母と私に看取られて旅立った。

それから、葬儀、納骨など・・・、が、私は余り泣かなかったような記憶がある。

テレビドラマや映画のように、ことはそうドラマチックではない。

淡々と過ぎて行った。そして、淡々と17年。

当時、うっすらと涙が滲んだことは数回あったような気がするが、父の事で慟哭した記憶はない。

ただそれは、父に対する思いの濃淡、そうした結果からではない。

神棚の榊を換え、水を換え、父の好物のメロンパンを供え。

今年の夏は殊の外暑い。

そして晩夏。窓の外で、雨を待ちながら秋の虫が鳴いている。挽歌、かな。

網戸に張りついたヤモリが餌の到来を待っている。

野良猫が何ものかを威嚇する唸り声が聴こえる。

明日23日は天気が崩れるとか。

2023年8月16日 (水)

続・灯浮標17.承認欲求のことなど。(パーキンソン病との日々)&パーキンソングを歌いながら

ここ数日、というか、あいも変わらず私は眠れない日々。

パーキンソン病を患っているSの介護に明け暮れている。

特に8月14日の夜はほとんど眠れなかった。

気がつけば日付が変わって15日「敗戦の日」を迎えていた。

その15日、Sと同じパーキンソン病を長く患っているNさんから朝、電話。

現在入院中のNさんは、一人暮らしが長く、高齢でもあり将来が不安とのこと。

お子さんたちはNさんとの同居は困難と。

Sと話していた。その後、昼に私に再度電話。あなたの考えが聞きたいと。

返答に困ったのだが、ただ一つ、もう頑張らないでいいのではないかと。

一人暮らしにはリスクが多すぎるのではないかと。

そうした上で、身の振り方をゆっくり考えられたらどうかと、お話しした。

施設等の入所も、はっきりとは提案しないものの、一つの検討候補ではないかと、それとなく。

Nさん、泣かれる。でも、ほんの少し霧が晴れたご様子だった。

Sの場合、彼の性格を病気が更に押し上げているような、承認欲求が強い。

在宅時も、デーサービス等を利用しているときもそのようだ。

介護する側とすれば、しんどい。

かといって、その性格はもうどうしようもないのだろう。

彼が今から十数年前に作った曲に「パーキンソングを歌いながら」がある。

友の会の全国大会や、コーラスグループの発表会のみならず、多くの人々に様々な機会を通じて歌って頂いている。S自身にとっても、心の励みとなっている。

以下に紹介します。

尚、この曲の歌詞及び楽譜は、Sの著書「パオ~ンおじさんとの夏」(2013年.新日本出版社刊)に掲載されています。


YouTube: 「パーキンソングを歌いながら」(試録音)lulu&tonys with puff

2023年8月11日 (金)

「封口費」~福島原発放射能汚染処理水海洋放出のことなど~。

いつのまにか、8月6日、広島原爆忌は過ぎ、8日、立秋を迎え、9日、長崎原爆忌も終わり、台風6号の風や雨がまだ残っている。

東京電力福島第一原子力発電所の放射能汚染処理水を、政府は2023年(今年)8月下旬にも太平洋福島県沖に放出する方針とか。

これに反対している福島県の漁業者に対して、政府は風評被害等に対する補償費800億円を用意しているとか。これで漁業関係者が納得するのかどうか。

果たして、漁業者が納得したとして、国民はどうなのか。世界はどうなのか。

実際、中国は処理水の放出計画に厳しく反対している。

先日CCTV(中国中央電視台)を見ていたら、海外向けテレビニュースでこの漁業関係者への補償費を「封口費」と呼んでいた。まさしくそう言う訳である。これで漁業関係者の口を封じられるのだろうか。そして、国民は納得するのだろうか。

少なくとも私は、「否」。福島原発の廃炉も一向に進展しない中、運転休止中の古い原発を再稼働させ、新規に原発建設を目論む政府と経済界の方針は、どうにも納得いかない。

*おりしも、8月2日、中国電力は、山口県上関町に、原子力発電所から出る使用済み核燃料の「中間貯蔵施設」建設を検討と発表。同日、そのための調査の実施を地元の上関町に申し入れた。しかも、同施設建設が進まない関西電力と共同で建設する計画とか。なんなのこれ?結局、地元を金で懐柔してってことか?これもまた「封口費」が動く。

この国の未来が見えない。地域の明日が見えない。私たちの拠って立つところは、原発エネルギーではないだろうに。あの悲惨な現実、歴史をどう見るのか。目を塞ぎ続けるのか。「否」!

新たな自然エネルギーの活用についても、政府は積極的であるとは言い難い。

こんなんええの? やっぱりね、様々な海洋汚染が世界中で問題になっている現在、これでええの?深くやりきれなく、そう思う。

2023年7月21日 (金)

茜さす天の母までネジバナの螺旋を伝い届けもの有り  (永洋)

先日、いつものジョギングコースをいつものようにとろとろと走っていたら、用水路脇の茂みの中に、捩花が数本咲いていました。

昔詠んだ捩花の短歌を思い出しました。

茜さす天の母までネジバナの螺旋を伝い届けもの有り

                     永洋(2010.7.6)

この歌は、母が旅立った年、2010年の9月9日に、それまでに読んだ歌186首を、「茜さす歌 百日の祭り」として纏め、私家版15部を作製したその歌集の最後186首目に載せたものです。

今日も夜明け前、階下から同居人の呼ぶ声。紙おむつを替えベッドの上の体勢を直す。

介護に果ては無い。果ては無い。

昨日7月20日、広島は梅雨明けとか。

画像は、道端の捩花。

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2023年7月13日 (木)

続・灯浮標16(2023.7.13)パーキンソン病末期の諸症状の一つ?

最近、Sの瞼が開け辛いという。訪問リハビリの先生は、眼瞼下垂の初期かもとおっしゃる。全体の筋力が落ちて行っているわけで、瞼も例外では無いらしい。先生の患者さんで、同じパーキンソン病の方が、眼瞼下垂(ガンケンカスイ)で瞼の二重手術をされたそうだが、また次第に垂れて来ているとか。今のところはそう日常性格に差し障りがあるわけでもないので、経過観察。

あいかわらず昼夜逆転生活。また夜中の足のむずむず症候群やパーキンソン痛でさらに眠れず。

介護者の負担も増える。

因みに私はテニス肘。タオルを絞ることさえままならない。

2023年7月12日 (水)

この国の向うところ。この国の為政者のありよう。なんだかもやもやするのだ。

ここ数週間断続的に降り続く雨は、特に西日本各地に甚大な被害をもたらしている。

特に、先週からの熊本県、島根県、そして福岡、佐賀、大分の被害は甚大だ。

11日朝までには九州では5人死亡など、人的被害も深刻。

九州、中国地方を中心に、線状降雨帯が発生。過去例を見ないほどの雨が降り続いている最中。その10日夜には、岸田首相は東京六本木のステーキハウスで、自民党の世耕参院幹事長、野上参院国対委員長と2時間半会食。それを表立って批判するメディアは私が知る限り無かったようだし、確かにそれは大きな批判の対象にはならないのかもしれないが、私は、なんだかもやもやするのだ。

あの首相の、いつもの、なんとも人を食ったような紋切り型の記者会見の表情が目に浮かんできてしまう。

翌11日には欧州外遊に出発。なんだかもやもやするのだ。

やはりもやもやするのだ。

この国の為政者の有り様を考えてしまう。

10日。九州の豪雨災害記事と共に、「袴田事件有罪立証へ」と新聞一面に在る。検察権力の非情に対して、袴田巌さんはすでに87歳。国家権力の有り様に、やはりなんだかもやもやするのだ。

早ければ今夏にも、東京電力福島第1原発の処理水を海洋放出とか。これもまたなんだかもやもやするのだ。

この国の霧は深い。深い靄の中に沈むこの国のこれからを思うほど私の思考力は明晰ではないが、やはり、なんだかやはりもやもやしてしまうのだ。・・・やりきれない。(この疲労感は日々のそして果てのない介護にも起因するのだが。)

今日も終日曇り。晴れない。