日に背き頭を垂れし向日葵は生を宿して朝に斃る
日に背き頭を垂れし向日葵は
生を宿して朝(あした)に斃る
永洋 (2023.8.22)
朝から酷暑の今日22日は、私の父の17回目の命日。生きていれば93歳、か。
だからと言って特別な何事も、まあ、しない。
冒頭の短歌は、今日に日付が変わった深夜にふと頭に浮かんだもの。
17年前、2006(H18 )年の8月21日夜には雨が降った。そして翌22日朝方、父は病院で母と私に看取られて旅立った。
それから、葬儀、納骨など・・・、が、私は余り泣かなかったような記憶がある。
テレビドラマや映画のように、ことはそうドラマチックではない。
淡々と過ぎて行った。そして、淡々と17年。
当時、うっすらと涙が滲んだことは数回あったような気がするが、父の事で慟哭した記憶はない。
ただそれは、父に対する思いの濃淡、そうした結果からではない。
神棚の榊を換え、水を換え、父の好物のメロンパンを供え。
今年の夏は殊の外暑い。
そして晩夏。窓の外で、雨を待ちながら秋の虫が鳴いている。挽歌、かな。
網戸に張りついたヤモリが餌の到来を待っている。
野良猫が何ものかを威嚇する唸り声が聴こえる。
明日23日は天気が崩れるとか。
コメント