2023年5月28日 (日)

続・灯浮標9(2023.5.28)眠れないままに・・・・・

今日、5月28日午前。Sと私、集団接種会場にて新型コロナワクチン6回目接種。

(夕方から私は、副反応か注射を打った左腕及び左足が強い筋肉痛。そして倦怠感。)

午後、Sの旧知の合唱同好会60回目の定期演奏会。招待チケットを頂いていたので、Sと私、久しぶりに鑑賞。コロナ禍、4年ぶりの開催。数日来、夜、十分な睡眠がとれていず、本音は休みたかったのだが、S、どうしても行きたいと言うので止む無く。

ここ数日、夜中に何度もSに起こされる。恒常的な寝不足は深刻。体が悲鳴を上げている。

sとの間に感情的な行き違いが多し。原因は私の疲労の蓄積。

Sの病状の進行か、毎食後Sは強い傾眠状態となる。血圧が大きく下がる。そのため毎食後、Sを横たわらせる。

また、S、先日、ベッド周りに出現したムカデから、それに対する恐怖心もあり、眠りがこのところ特に浅い。

さらには、日常的に、言葉が出にくくなっているようだ。思考していることが整理できず、混乱している。表情筋も衰え顕著。老いが貌を覆う。

自我の主張が以前より更に強くなってきている。

私一人で抱えるには、正直しんどい。

2023年5月26日 (金)

G7HIROSHIMAの茶番。

と言えば言い過ぎなのだろうか。

あの喧騒から数日経った今、溜息と怒りと空しさ、そうした感情がうすら寒く湧いてくる。

彼ら権力者たちは結局のところ、原爆資料館見学や原爆慰霊碑献花を単なるセレモニー化して、HIROSHIMAを利用し、悪く言えば核抑止論を正当化したようなもんだ!と思えてくるのだが。

ウクライナ大統領来広に熱狂する市民たちを遠く眺めながら、私は、武器供与を要望する大統領と握手を交わすG7メンバーにある種の嫌悪感を覚えた。

例えば、ウクライナ大統領を呼ぶのであれば、無理を承知の上でもロシアや中国を招待するとか、そうした「実績」だけでも残すことは出来ただろうに、結局はあれである。

優れた記事がある。中国新聞2023年5月21日付第一面の署名記事「「広島ビジョン」に値せぬ」だ。それを読みながらぶつぶつあれこれと、思った私である。

2023年5月25日 (木)

2020年5月25日を忘れない。(ジョージ・フロイドの死から3年)

<Murder of Geoge Floyd ジョージ・フロイドの死>

2020年5月25日、アフリカ系アメリカ人のジョージ・フロイドが、ミネアポリス近郊で警察官によって拘束殺害された。

「怒りと希望」はその記憶と共に在る。

 「怒りと希望」~2020年5月25日の夜に~

                  作詞:AZMI 作曲:KAMAL

(1)

光を浴びて 幹は立ち

枝を落とせば 葉は繁る

たわわに実った 希望をもいで

口に含めば いのちこぼれる

*私は悲しみ 私は怒り

 私は希望 私は歌う

(2)

あなたが残した 言葉には

寄る辺ない岸 ゆれる船

差し伸べたなら ふたつの手

必ずつながる 結ばれるから

*~*

(3)

袖をまくって 進もうか

膝を落として 祈りを

今は闇でも その先に

我らがかざす 灯(ともしび)がある

*~*

*~*

(2020.6.2)


YouTube: 「怒りと希望」(lulu&tonys:ハモリバージョン)

2023年5月20日 (土)

ささゆり一輪、野に挿して・・・

2023年5月19日金曜日。夜は明けたけれど、どす黒い雨が降っている。

道を叩く雨粒にしぶきが上がり行く手を遮って激しく降っている。

ああもう5月が過ぎて行く。

警護車両に守られてトラワレビトたちの列が続く。

ブルース!

アイルランド、キルデア郡の5月はまだ寒く、セーターにコートは必需。

彼の祖先が眠るとか、

ラタンガンの教会で

橋のたもとで

雲の行方を見つめる。

その先に、歌が響くのだ。

 「ささゆり一輪、野に挿して」

           作詞:AZMI 作曲:KAMAL

朝(あした)に草刈れば

光はとび散り けものは潜(ひそ)む

ささゆり一輪、野に挿して

あなたの香りは

時の忘れもの 野の悪戯(いたずら)よ

ささゆり一輪、野に挿して

ささゆり一輪、野に挿して

野に挿して

(2020.6.17)


YouTube: 「ささゆり一輪、野に挿して」(試作2)lulu&tonys

2023年5月18日 (木)

赤い折鶴(2019.1.12)

 「赤い折鶴」

              作詞:AZMI 作曲:Kamal

赤い折鶴 本棚の隅で眠っていたよ

あなたと生きて あなたと別れた その名残り

願いを込めたはずだけど・・・

指で羽先つついたら

ゆっくりゆっくり羽ばたいて

風をつくって 舞い上がる

忘れたいけど忘れられない思い出は

握りつぶして屑籠に ぽいと捨てればいいものを

叶ったことは 何と何?・・・

指で嘴(くちばし)つついたら

ゆっくりゆっくり背伸びして

風をはらんで 上(うわ)の空

忘れたくない思い出さえも振り払い

気ままに窓から飛んでった 振り向かないで 碧空へ

(2019.1.12)


YouTube: 「赤い折鶴(AKAIORIZURU)」(試作)lulu&tonys

2023年5月16日 (火)

`灯浮標8.(2023.5.16)パーキンソン病患者の低血圧、傾眠と対処など。

先週水曜日の低血圧による意識消失についてはこのブログ灯浮標7に投稿しているが、それからの経過など。

Sは、その後も、食事や排便などの後、強い傾眠状態に陥る。

それはほぼ毎日。ここ数週間はそうした傾向が強く、医師に話しても、季節柄、或いはSの長い闘病歴などから、致し方も無い、難しい局面で在ろうと言う話になるのだが。

なかでも、日曜日もかなりな状態に陥った。

水曜日から数日を待たずで、どうしたものか。

日曜日は、すこし多めに血圧の変動もチェックしてみた。

5月14日日曜日

(朝8:00) 111~78 脈拍67

 (9:00)  73~49 61 指先冷たく酸素量測れず。

 (9:30) 130~57 53

 (11:30) 117~74 61

(午後4:00) 102~70 85 酸素濃度96

  (8:00) 119~71 58

5月15日月曜日

(朝7:30) 140~102 61

 (9:00) 93~67 59

特に日曜日の朝食後9時時点での数値が低すぎる。ただ、水曜日とは異なり、意識はあり、マットレスに横たわらせると30分程度で血圧は上昇した。

いずれにしてもこの血圧の波は問題。

月曜日午前はヘルパーさん、午後はN病院で言語リハビリ。それから区役所での用件を済ませて、かかりつけ医のMクリニックへ。

タリージェを夕食後2.5㎎だけ飲むことに。減薬して様子見。

原因はそれだけではなく複合的、かつパーキンソン病歴20年近いその事実に直面しているというわけなのだろうが、先ずはこれでしばらくやってみる。

それにしても、Sの傾眠は多くなったし、頭の覚醒しない時間が増えた。私とのコミュニケーションもうまくいかないことが多い。

将来に亘って不安。もちろん、私の介護体力、その気力も落ちてきているわけで。

2023年5月14日 (日)

中村憲吉忌(2023.5.5)を過ぎて。

私の本棚から手にした「中村憲吉歌集 斉藤茂吉・土屋文明選」(岩波書店)で、命日が数日前の5月5日だったことに気づく。

歌人中村憲吉<1889年(明治22年)1月25日~1934年(昭和9年)5月5日>は私の通った高校(旧三次中学)の大先輩で、中村の在学当時、倉田百三と共に校友雑誌「白帆」を編集、投稿もしていたらしい。

数年前、三次市布野町の生家を改造した中村憲吉文芸記念館を訪ねたことがある。

庭に一本のアララギ。濃い緑が輝いていた。

晩年、広島市郊外の海辺で療養もしたとか。没したのは尾道。

憲吉の初期の歌を一首。

明治41年「竹」から、

  月の夜を霧に濡れたる竹垣のひかるが上に吾が影行けり

そして晩年(昭和9年)の作品から一首。

  悲しみが心に沁みて亡き君を夜々に夢みて寝がたかりける

広島はG7開催を前に厳戒態勢。

巣篭りとまでは行かないけれど、市中に出る気は無し。

2023年5月11日 (木)

続・灯浮標7(2023.5.11)意識消失、血圧測定不能の果てに。

改めて、Sはパーキンソン病である。発症して20年近くになる。

要介護5認定。

10日、午前10時半から男性ヘルパーさんによる入浴介護。

1時過ぎから食事。お好み焼きを作ってやる。ぺろりと完食。

ふと気がつくと、1時45分ごろには傾眠状態。

いつもの事と思っていたが、なにか気になり、食器洗いなど後片付けが済んだ2時15分ごろ、Sを揺するが反応がない。垂涎、若干の吐瀉物。

血圧を、腕を替えて何度か測るがエラーばかり。起立性低血圧かと思うが不安が募る。

オキシパルメーターは97から95程度。瞬間80になることも。

脈拍は56から70程度。鼻の下に手をあてがうと、ほぼ規則的に息をしている。

それでも、いくら呼びかけても全く反応がない。体がぐったりしている。

訪問看護師ステーションに電話。代表が出るが担当看護師とは繋がらない。

Sをとりあえず車椅子からなんとか降ろし、マットレスに横たわらせて、足を高くしてやる。

Sの体調をよく知っておられるW先生に電話。留守電に状態を話して置く。

3時、訪問リハビリのI先生定刻に来られる。

症状を話す。先生が血圧を測られるが、下が低すぎてとれない。

救急車を呼ぶかどうかの瀬戸際、

何度か呼びかけをしているうちに、Sが反応し始める。

反応がゆっくりと強くなってくる。顔に赤みが戻る。

I先生から訪問看護師のYさんに電話繋がる。

駆けつけて下さることに。

血圧、上は100ちょっと、下は50台まで戻る。

取り敢えずは、大丈夫だろうと。

最近、傾眠状態が日中多い。

数日前の月曜日、かかりつけ医受診。Sの足の痛みが強いので、

リリカ錠の代わりにタリージェ錠を処方。朝夕の食後に服用することに。

この影響があるのかとも思うが、分からない・・・・。

取り敢えず、夕食後だけ服用することに。

看護師さんからかかりつけ医のM先生に伝えてもらうことに。

そのまま夜はベッドで就寝。

深夜、軟便。

朝、まずまずの体調か。

血圧は144~96.脈拍56。体温は35.6度。Sの場合は、まあ、普通である。

看護師さん、今朝も来られる。

今日は1日安静にしといたらと言われるが、歯医者の予約、新コルセットの出来上がりがあり、Sは行くという。

私の疲れも酷いのだが・・・・

午前、歯医者受診。左上奥歯に被せる。虫歯治療終了。

午後、Hクリニックへ。新しいコルセット装着、W先生リハビリ。

昨日の事を話す。先生は脱水ではないかと。圧倒的に水分不足か。

この季節、不調を訴えるパーキンソン病患者、非常に多いと言われる。

昨日の今日。さすがに疲れた。

記憶を辿ると、ほぼ一年前にも、Sが低血圧で意識を失うことがあった。

このブログの以下の日付に記録を残している。

*2022年4月26日(火)付

<灯浮標34(2022.4.26)パーキンソン病と血圧、日内変動など。>

この前後各十数日を含めて読めば当事者及び介護者の置かれていた当時の状況も分かる。

また、

2022年5月19日(木)付

<灯浮標45.(2022.5.15)>パーキンソン病と不眠、むずむず症候群、そして若干の経過メモ>もそれに関連している。

2023年5月 9日 (火)

あおぎりの花咲く空へ!

5月3日は、憲法記念日でした。

現在、政治の世界では、日本国憲法改正が俎上にあり、与野党間で様々な考え方がせめぎ合っているようです。

その一番の要となっているのが、第9条の扱いです。言うまでも無く、与党勢力を中心に9条改正への動くが高まっています。

私は、第9条はもちろん、現憲法堅持の立場をとります。

さて、日本のマスメディアにおいて、それはリベラル系、保守系でかなりの幅が有りますが報道の仕方に注意を払う必要もあるようです。

そして残念ながら、3日当日のNHK報道は、まるで改正へ向けての世論誘導をもくろんでいるのではないかとも思える報道内容には、危惧を禁じ得ませんでした。

その一例、NHKによる世論調査の結果は、憲法改正への積極的な肯定派が30パーセント台にも拘らず、あたかも世論としての改正派が多数派と言った内容などは、報道姿勢に多く疑問の残るところでした。

憲法改正へ向けての世論醸成の大きな一翼を担っていると思われるNHKのそのやり方を、これからも注視しなければならないのではないかとも思うのです。

さて、G7広島開催が近づいてきました。

交通関連を中心に、G7の名のもと、様々な規制が強まって来ています。大国と自負する7か国プラス1の「威圧的セレモニーの演出」を前に、複雑な思いがします。

話は変わります。もう5年前になりますが、平和公園に移植されている被爆あおぎりをテーマにした歌を作りました。丁度、歌に在るように、あおぎりの青葉若葉が目にまぶしい季節です。

昨日、朝方までの長い雨もやっと上がって、あおぎりの木はその葉に光の粒を纏い、瑞々しく命を輝かせていることでしょう。


YouTube: 「あおぎりの花咲く空へ」(試作)lulu&tonys

  「あおぎりの花咲く空へ」

              作詞:Azmi h eijima  作曲:Kamal 歌:lulu&tonys

1)

ぬかるみに 足をとられて

つまずくことも あるけれど

たゆまず ひるまず 希望を胸に

あなたといっしょに 歌おう

緑まばゆい ひろしまで

あおぎりの花 咲く空へ

生きる歓び 歌おう

生きる歓び 歌おう

2)

雨は止み また雨は降り

雨にぬれても かまわない

たゆまず ひるまず 希望を胸に

あなたといっしょに 歌おう

あおぎり育む 大地から

いくさの絶える その日まで

平和の尊さ 歌おう

平和の尊さ 歌おう

あおぎりの種 風に乗せ

みんなの願い 届けよう

明日へ いのち 育てよう

明日へ いのち 育てよう

             (2018.7.12)

2023年5月 7日 (日)

続・灯浮標6.(2023.5.7)振顫振顫振顫振顫心痛!!パーキンソン病なれどされど。

昨日5月6日は立夏。一年早いなあ・・・・

その日、Sは一泊のショートステイだったのだが、朝、いざという時になって行かないと言い出す。

私は土曜日午前中に、眼科に行く予定あり。ここ一週間右目の痛みが続いていた。

午後は私の友人と一か月ぶりに会食予定も。

困り果てる。

どうしようもなく、Sのお姉様に電話をして、Sを励ましてもらう。が、それでもなかなか難しい。

お姉様に電話を掛ける前に連絡(留守電)していたケアマネージャーさんが急遽駆けつけて下さる。

ケアマネさんがなだめすかし・・・・少しずつSの心がほぐれて行く。

体の振顫が次第に治まって行く。

予定の時間より遅くなったが、ショートステイにSを私の車でやっと送り届ける。

Sの病気は、精神と深く関連している(と私は思う)のだが、パーキンソン病は神経内科での受診が一般的である。

このカテゴリー分けは、私には甚だ疑問だ。

ただ、パーキンソン病の当事者(たち)には、かかりつけ医が精神科ではなく、神経科ということになるという、その現実がある種の意味を持つ(のだろう)。ここに、パーキンソン病当事者や家族、介護するものにとっての、病気と向き合う上での、”やっかいな問題”も介在している。

さて、私は、どうにか午前中に眼科へ。眼球に植物の極小さな種子のようなものが貼りついていたらしい。無事に取り除いてもらえた。一瞬で痛みが消えた。放置していた緑内障の検査の予約をする。

それにしても、Sとのこれからも続く暮らしに不安が募るばかり。