2023年5月31日 (水)

続・灯浮標10.(2023.5.31)猜疑心。聞く耳持たず。パーキンソン病の迷路。

一昨日から雨。気象庁、5月30日梅雨入りと発表。

その5月30日の事。

いつから起きていたのかは分からない。

Sの呻き声に呼ばれて朝6時前、階下へ降りる。

S、全裸でベッドに上半身もたれた状態で激しい振顫。

未明、染髪、シャワーを浴びたらしい。危ないことこの上ない。

すぐに朝7時の薬(マドパー、ノウリアスト、ミラベックス、ランドセン(半錠))を服用させる。

少し落ち着く。体を持ち上げて、体勢を整えて、服を着せる。

車椅子でリビングに移動。

朝7時:血圧78~47 脈拍60 体温36.5

低血圧、リビングのマットレスに横たわらせる。意識はほぼある。

朝7時半:血圧89~58 脈拍52 酸素97

血圧、若干上がる。

朝8時:血圧108~67 脈拍48

血圧、ほぼ平常値に近い。

朝9時:血圧143~96 脈拍51

血圧。平常値、というか、少し高め。まあ、これがS、ほぼ普通。

この血圧の変動は怖いくらい。

S、食事をして、10時前、デーサービスへ。

相変わらず私とは言葉の応酬。私がどうしても感情に走ってしまう。

疲れが蓄積するばかりなのだが、自分のことで精いっぱいのSにはそれが理解できていない。

誰かにこの介護を分担してほしいが、これは無い物ねだり。

夕方4時半前、Sを迎えに行って帰宅。

夜7時半過ぎ、激しい振顫、全身が痙攣したようで、息苦しさもあると言う。

コルセットを外しマットレスに横たえる。

30分ぐらいたって落ち着いてくる。マドパー半錠、ランドセン半錠服用。

午後8時:血圧135~89 脈拍66 酸素98

振顫状態、普通に戻る。

一時は脈拍100を超え、酸素量も激しく上下して、救急車も考慮した。目も血走り怖かった。

急に自分の事は自分ですると言い始める。が、すぐにはそうはいかないことは分かったことなのだが。私の心が苛立つ。

ベッドに自分で行くものの、食後の薬を中なかなか用しようとしない。意固地である。

やっとベッドの上で飲ませる。

私が夜11時二階へあがってほぼ1時間後。12時過ぎ、Sが私を呼んでいる。

下りてみると、ベッドの上で、頭から枕が外れて、無理な体制になっている。

直して、導眠剤を服用させる。

本当に難しい、私の心も体も、最悪な状態に近い。

左腕に加え右腕、腰も痛む。

そのことをSに伝えると、激しく拒否反応。私の状態については効く耳を持たないのだ。私が言う事でまたオフになり、振顫が激しくなると言うのだ。

どうしようもない。(溜息)

そして31日。五月が終わる。雨は昼ごろに上る。

午前、訪問リハビリ(理学療法士)と入浴介護(介護ヘルパー)。

S、食後や排便後などの傾眠症状は相変わらずだが、一日、まずまず気分落ち着いている。血圧などの状況も、まずまず安定。

2023年5月29日 (月)

海浜の風車の羽を追いかけて影ふみ遊ぶ吾は生きたし

明日で五月も終わり。明け方から雨。予報では、ほぼ一週間降り続くらしい。

今月またひとつ歳をとった。だからと言う訳ではないが、近作2首。まあ、戯れ歌のようなものだけれど。

一首目は、昨年何度か一人で訪れた日本海の風景を詠んだもの。

二首目は、まあ、・・・・そんなもの。

 海浜の風車の羽を追いかけて

 影ふみ遊ぶ吾は生きたし

      ~江津、浅利海岸にて~     

                    永洋

   (2023.5.14)

 小便の吾を哭かすか夜啼き鳥

 階下の君の寝息を聴きつつ        

                    永洋

   (2023.5.25)

2023年5月28日 (日)

続・灯浮標9(2023.5.28)眠れないままに・・・・・

今日、5月28日午前。Sと私、集団接種会場にて新型コロナワクチン6回目接種。

(夕方から私は、副反応か注射を打った左腕及び左足が強い筋肉痛。そして倦怠感。)

午後、Sの旧知の合唱同好会60回目の定期演奏会。招待チケットを頂いていたので、Sと私、久しぶりに鑑賞。コロナ禍、4年ぶりの開催。数日来、夜、十分な睡眠がとれていず、本音は休みたかったのだが、S、どうしても行きたいと言うので止む無く。

ここ数日、夜中に何度もSに起こされる。恒常的な寝不足は深刻。体が悲鳴を上げている。

sとの間に感情的な行き違いが多し。原因は私の疲労の蓄積。

Sの病状の進行か、毎食後Sは強い傾眠状態となる。血圧が大きく下がる。そのため毎食後、Sを横たわらせる。

また、S、先日、ベッド周りに出現したムカデから、それに対する恐怖心もあり、眠りがこのところ特に浅い。

さらには、日常的に、言葉が出にくくなっているようだ。思考していることが整理できず、混乱している。表情筋も衰え顕著。老いが貌を覆う。

自我の主張が以前より更に強くなってきている。

私一人で抱えるには、正直しんどい。

2023年5月26日 (金)

G7HIROSHIMAの茶番。

と言えば言い過ぎなのだろうか。

あの喧騒から数日経った今、溜息と怒りと空しさ、そうした感情がうすら寒く湧いてくる。

彼ら権力者たちは結局のところ、原爆資料館見学や原爆慰霊碑献花を単なるセレモニー化して、HIROSHIMAを利用し、悪く言えば核抑止論を正当化したようなもんだ!と思えてくるのだが。

ウクライナ大統領来広に熱狂する市民たちを遠く眺めながら、私は、武器供与を要望する大統領と握手を交わすG7メンバーにある種の嫌悪感を覚えた。

例えば、ウクライナ大統領を呼ぶのであれば、無理を承知の上でもロシアや中国を招待するとか、そうした「実績」だけでも残すことは出来ただろうに、結局はあれである。

優れた記事がある。中国新聞2023年5月21日付第一面の署名記事「「広島ビジョン」に値せぬ」だ。それを読みながらぶつぶつあれこれと、思った私である。

2023年5月25日 (木)

2020年5月25日を忘れない。(ジョージ・フロイドの死から3年)

<Murder of Geoge Floyd ジョージ・フロイドの死>

2020年5月25日、アフリカ系アメリカ人のジョージ・フロイドが、ミネアポリス近郊で警察官によって拘束殺害された。

「怒りと希望」はその記憶と共に在る。

 「怒りと希望」~2020年5月25日の夜に~

                  作詞:AZMI 作曲:KAMAL

(1)

光を浴びて 幹は立ち

枝を落とせば 葉は繁る

たわわに実った 希望をもいで

口に含めば いのちこぼれる

*私は悲しみ 私は怒り

 私は希望 私は歌う

(2)

あなたが残した 言葉には

寄る辺ない岸 ゆれる船

差し伸べたなら ふたつの手

必ずつながる 結ばれるから

*~*

(3)

袖をまくって 進もうか

膝を落として 祈りを

今は闇でも その先に

我らがかざす 灯(ともしび)がある

*~*

*~*

(2020.6.2)


YouTube: 「怒りと希望」(lulu&tonys:ハモリバージョン)

2023年5月20日 (土)

ささゆり一輪、野に挿して・・・

2023年5月19日金曜日。夜は明けたけれど、どす黒い雨が降っている。

道を叩く雨粒にしぶきが上がり行く手を遮って激しく降っている。

ああもう5月が過ぎて行く。

警護車両に守られてトラワレビトたちの列が続く。

ブルース!

アイルランド、キルデア郡の5月はまだ寒く、セーターにコートは必需。

彼の祖先が眠るとか、

ラタンガンの教会で

橋のたもとで

雲の行方を見つめる。

その先に、歌が響くのだ。

 「ささゆり一輪、野に挿して」

           作詞:AZMI 作曲:KAMAL

朝(あした)に草刈れば

光はとび散り けものは潜(ひそ)む

ささゆり一輪、野に挿して

あなたの香りは

時の忘れもの 野の悪戯(いたずら)よ

ささゆり一輪、野に挿して

ささゆり一輪、野に挿して

野に挿して

(2020.6.17)


YouTube: 「ささゆり一輪、野に挿して」(試作2)lulu&tonys

2023年5月18日 (木)

赤い折鶴(2019.1.12)

 「赤い折鶴」

              作詞:AZMI 作曲:Kamal

赤い折鶴 本棚の隅で眠っていたよ

あなたと生きて あなたと別れた その名残り

願いを込めたはずだけど・・・

指で羽先つついたら

ゆっくりゆっくり羽ばたいて

風をつくって 舞い上がる

忘れたいけど忘れられない思い出は

握りつぶして屑籠に ぽいと捨てればいいものを

叶ったことは 何と何?・・・

指で嘴(くちばし)つついたら

ゆっくりゆっくり背伸びして

風をはらんで 上(うわ)の空

忘れたくない思い出さえも振り払い

気ままに窓から飛んでった 振り向かないで 碧空へ

(2019.1.12)


YouTube: 「赤い折鶴(AKAIORIZURU)」(試作)lulu&tonys

2023年5月16日 (火)

`灯浮標8.(2023.5.16)パーキンソン病患者の低血圧、傾眠と対処など。

先週水曜日の低血圧による意識消失についてはこのブログ灯浮標7に投稿しているが、それからの経過など。

Sは、その後も、食事や排便などの後、強い傾眠状態に陥る。

それはほぼ毎日。ここ数週間はそうした傾向が強く、医師に話しても、季節柄、或いはSの長い闘病歴などから、致し方も無い、難しい局面で在ろうと言う話になるのだが。

なかでも、日曜日もかなりな状態に陥った。

水曜日から数日を待たずで、どうしたものか。

日曜日は、すこし多めに血圧の変動もチェックしてみた。

5月14日日曜日

(朝8:00) 111~78 脈拍67

 (9:00)  73~49 61 指先冷たく酸素量測れず。

 (9:30) 130~57 53

 (11:30) 117~74 61

(午後4:00) 102~70 85 酸素濃度96

  (8:00) 119~71 58

5月15日月曜日

(朝7:30) 140~102 61

 (9:00) 93~67 59

特に日曜日の朝食後9時時点での数値が低すぎる。ただ、水曜日とは異なり、意識はあり、マットレスに横たわらせると30分程度で血圧は上昇した。

いずれにしてもこの血圧の波は問題。

月曜日午前はヘルパーさん、午後はN病院で言語リハビリ。それから区役所での用件を済ませて、かかりつけ医のMクリニックへ。

タリージェを夕食後2.5㎎だけ飲むことに。減薬して様子見。

原因はそれだけではなく複合的、かつパーキンソン病歴20年近いその事実に直面しているというわけなのだろうが、先ずはこれでしばらくやってみる。

それにしても、Sの傾眠は多くなったし、頭の覚醒しない時間が増えた。私とのコミュニケーションもうまくいかないことが多い。

将来に亘って不安。もちろん、私の介護体力、その気力も落ちてきているわけで。

2023年5月14日 (日)

中村憲吉忌(2023.5.5)を過ぎて。

私の本棚から手にした「中村憲吉歌集 斉藤茂吉・土屋文明選」(岩波書店)で、命日が数日前の5月5日だったことに気づく。

歌人中村憲吉<1889年(明治22年)1月25日~1934年(昭和9年)5月5日>は私の通った高校(旧三次中学)の大先輩で、中村の在学当時、倉田百三と共に校友雑誌「白帆」を編集、投稿もしていたらしい。

数年前、三次市布野町の生家を改造した中村憲吉文芸記念館を訪ねたことがある。

庭に一本のアララギ。濃い緑が輝いていた。

晩年、広島市郊外の海辺で療養もしたとか。没したのは尾道。

憲吉の初期の歌を一首。

明治41年「竹」から、

  月の夜を霧に濡れたる竹垣のひかるが上に吾が影行けり

そして晩年(昭和9年)の作品から一首。

  悲しみが心に沁みて亡き君を夜々に夢みて寝がたかりける

広島はG7開催を前に厳戒態勢。

巣篭りとまでは行かないけれど、市中に出る気は無し。

2023年5月11日 (木)

続・灯浮標7(2023.5.11)意識消失、血圧測定不能の果てに。

改めて、Sはパーキンソン病である。発症して20年近くになる。

要介護5認定。

10日、午前10時半から男性ヘルパーさんによる入浴介護。

1時過ぎから食事。お好み焼きを作ってやる。ぺろりと完食。

ふと気がつくと、1時45分ごろには傾眠状態。

いつもの事と思っていたが、なにか気になり、食器洗いなど後片付けが済んだ2時15分ごろ、Sを揺するが反応がない。垂涎、若干の吐瀉物。

血圧を、腕を替えて何度か測るがエラーばかり。起立性低血圧かと思うが不安が募る。

オキシパルメーターは97から95程度。瞬間80になることも。

脈拍は56から70程度。鼻の下に手をあてがうと、ほぼ規則的に息をしている。

それでも、いくら呼びかけても全く反応がない。体がぐったりしている。

訪問看護師ステーションに電話。代表が出るが担当看護師とは繋がらない。

Sをとりあえず車椅子からなんとか降ろし、マットレスに横たわらせて、足を高くしてやる。

Sの体調をよく知っておられるW先生に電話。留守電に状態を話して置く。

3時、訪問リハビリのI先生定刻に来られる。

症状を話す。先生が血圧を測られるが、下が低すぎてとれない。

救急車を呼ぶかどうかの瀬戸際、

何度か呼びかけをしているうちに、Sが反応し始める。

反応がゆっくりと強くなってくる。顔に赤みが戻る。

I先生から訪問看護師のYさんに電話繋がる。

駆けつけて下さることに。

血圧、上は100ちょっと、下は50台まで戻る。

取り敢えずは、大丈夫だろうと。

最近、傾眠状態が日中多い。

数日前の月曜日、かかりつけ医受診。Sの足の痛みが強いので、

リリカ錠の代わりにタリージェ錠を処方。朝夕の食後に服用することに。

この影響があるのかとも思うが、分からない・・・・。

取り敢えず、夕食後だけ服用することに。

看護師さんからかかりつけ医のM先生に伝えてもらうことに。

そのまま夜はベッドで就寝。

深夜、軟便。

朝、まずまずの体調か。

血圧は144~96.脈拍56。体温は35.6度。Sの場合は、まあ、普通である。

看護師さん、今朝も来られる。

今日は1日安静にしといたらと言われるが、歯医者の予約、新コルセットの出来上がりがあり、Sは行くという。

私の疲れも酷いのだが・・・・

午前、歯医者受診。左上奥歯に被せる。虫歯治療終了。

午後、Hクリニックへ。新しいコルセット装着、W先生リハビリ。

昨日の事を話す。先生は脱水ではないかと。圧倒的に水分不足か。

この季節、不調を訴えるパーキンソン病患者、非常に多いと言われる。

昨日の今日。さすがに疲れた。

記憶を辿ると、ほぼ一年前にも、Sが低血圧で意識を失うことがあった。

このブログの以下の日付に記録を残している。

*2022年4月26日(火)付

<灯浮標34(2022.4.26)パーキンソン病と血圧、日内変動など。>

この前後各十数日を含めて読めば当事者及び介護者の置かれていた当時の状況も分かる。

また、

2022年5月19日(木)付

<灯浮標45.(2022.5.15)>パーキンソン病と不眠、むずむず症候群、そして若干の経過メモ>もそれに関連している。