2023年5月 9日 (火)

あおぎりの花咲く空へ!

5月3日は、憲法記念日でした。

現在、政治の世界では、日本国憲法改正が俎上にあり、与野党間で様々な考え方がせめぎ合っているようです。

その一番の要となっているのが、第9条の扱いです。言うまでも無く、与党勢力を中心に9条改正への動くが高まっています。

私は、第9条はもちろん、現憲法堅持の立場をとります。

さて、日本のマスメディアにおいて、それはリベラル系、保守系でかなりの幅が有りますが報道の仕方に注意を払う必要もあるようです。

そして残念ながら、3日当日のNHK報道は、まるで改正へ向けての世論誘導をもくろんでいるのではないかとも思える報道内容には、危惧を禁じ得ませんでした。

その一例、NHKによる世論調査の結果は、憲法改正への積極的な肯定派が30パーセント台にも拘らず、あたかも世論としての改正派が多数派と言った内容などは、報道姿勢に多く疑問の残るところでした。

憲法改正へ向けての世論醸成の大きな一翼を担っていると思われるNHKのそのやり方を、これからも注視しなければならないのではないかとも思うのです。

さて、G7広島開催が近づいてきました。

交通関連を中心に、G7の名のもと、様々な規制が強まって来ています。大国と自負する7か国プラス1の「威圧的セレモニーの演出」を前に、複雑な思いがします。

話は変わります。もう5年前になりますが、平和公園に移植されている被爆あおぎりをテーマにした歌を作りました。丁度、歌に在るように、あおぎりの青葉若葉が目にまぶしい季節です。

昨日、朝方までの長い雨もやっと上がって、あおぎりの木はその葉に光の粒を纏い、瑞々しく命を輝かせていることでしょう。


YouTube: 「あおぎりの花咲く空へ」(試作)lulu&tonys

  「あおぎりの花咲く空へ」

              作詞:Azmi h eijima  作曲:Kamal 歌:lulu&tonys

1)

ぬかるみに 足をとられて

つまずくことも あるけれど

たゆまず ひるまず 希望を胸に

あなたといっしょに 歌おう

緑まばゆい ひろしまで

あおぎりの花 咲く空へ

生きる歓び 歌おう

生きる歓び 歌おう

2)

雨は止み また雨は降り

雨にぬれても かまわない

たゆまず ひるまず 希望を胸に

あなたといっしょに 歌おう

あおぎり育む 大地から

いくさの絶える その日まで

平和の尊さ 歌おう

平和の尊さ 歌おう

あおぎりの種 風に乗せ

みんなの願い 届けよう

明日へ いのち 育てよう

明日へ いのち 育てよう

             (2018.7.12)

2023年5月 7日 (日)

続・灯浮標6.(2023.5.7)振顫振顫振顫振顫心痛!!パーキンソン病なれどされど。

昨日5月6日は立夏。一年早いなあ・・・・

その日、Sは一泊のショートステイだったのだが、朝、いざという時になって行かないと言い出す。

私は土曜日午前中に、眼科に行く予定あり。ここ一週間右目の痛みが続いていた。

午後は私の友人と一か月ぶりに会食予定も。

困り果てる。

どうしようもなく、Sのお姉様に電話をして、Sを励ましてもらう。が、それでもなかなか難しい。

お姉様に電話を掛ける前に連絡(留守電)していたケアマネージャーさんが急遽駆けつけて下さる。

ケアマネさんがなだめすかし・・・・少しずつSの心がほぐれて行く。

体の振顫が次第に治まって行く。

予定の時間より遅くなったが、ショートステイにSを私の車でやっと送り届ける。

Sの病気は、精神と深く関連している(と私は思う)のだが、パーキンソン病は神経内科での受診が一般的である。

このカテゴリー分けは、私には甚だ疑問だ。

ただ、パーキンソン病の当事者(たち)には、かかりつけ医が精神科ではなく、神経科ということになるという、その現実がある種の意味を持つ(のだろう)。ここに、パーキンソン病当事者や家族、介護するものにとっての、病気と向き合う上での、”やっかいな問題”も介在している。

さて、私は、どうにか午前中に眼科へ。眼球に植物の極小さな種子のようなものが貼りついていたらしい。無事に取り除いてもらえた。一瞬で痛みが消えた。放置していた緑内障の検査の予約をする。

それにしても、Sとのこれからも続く暮らしに不安が募るばかり。

2023年4月26日 (水)

続・灯浮標5(2023.4.27)HSPのことなど。

以前、これについて投稿したような記憶も不確かながらある。

最近よく聞く言葉に、HSP(Highly Sensitive Person)がある。巷では「繊細さん」などと呼ぶこともある、らしい。Sはどうもそれに近いような気もする。

シンプルに言えば、自意識が人一倍強く、メンタルが壊れやすい。心理学上のカテゴリーらしい。

ふと思う。Sが60歳で退職(最後の3年間は有給病休だった。)し、それから1年足らずで病的賭博に嵌まり、更にはネット詐欺に遭い、退職金はもとより全てを失う。数年後には家も手放したわけで。そして私の家に同居し借金を四年にわたって返済し、愛犬2匹を我が家で看取り、2019年9月借金完済、直後胸に膿が溜まる病気で約1ヶ月の入院。歳明けて新型コロナが蔓延。昨年2022年9月には、わたしとS ほぼ同時に新型コロナに感染。まあ、HSPにもなるよなあ・・・・などとも思うのだ。

だが、ちょっと違うのだ。自らが傷つく事には敏感(センシティブ)だが、他者に対してはそうでもなく、時にはある種「鈍感力」を発揮してしまうのだ。

私も、それに打ち負かされることは多々。全くもって困ったものだ。

(こうした傾向がパーキンソン病患者にある程度共通しているかどうか、言い切ることは出来ないのだが、私の周囲のパーキンソン病患者には、比較的そうした傾向があるような気がしてならない。)

2023年4月25日 (火)

八幡高原聖湖マラソン大会休止のこと、など。

昨日開いた八幡高原聖湖マラソン大会の公式HPに、休止のお知らせがアップされていた。

当マラソン大会は第36回(2019年(R1))以降、新型コロナの影響で37回、38回、39回と3年連続休止になっていたのだが、40回目となる今回は4年振りに開催されると思い、参加を考えていたもので、正直落胆。ただ、HPの公告によると、大会組織委メンバーの高齢化など様々事情がある由、致し方がない。このマラソン大会は、市民マラソンとして地元、そして広島県内外から多くの参加者が集う、なによりアットホームな大会で、私は1996年の第19回大会に初参加、以来5回の欠場を除き、36回大会まで18回参加している。

コース途中にはマツムシソウの群落などもあり、初秋の風にそよぐ山野草が楽しめる。また、この地を探索されたと言う牧野富太郎博士の石碑もある。聖湖畔も木立の中、ダム湖沿いに緩やかなアップダウンが続き、愉しい。地元のボランティアやスタッフの皆さんも、恒例行事として、おもてなしが行き届いていた。沿道の応援も暖かかった。本当に永きにわたりありがとうございました。感謝感謝!である。

これを機会に私のマラソン大会参加歴を簡単に振り返っておきたい。

私が初めてマラソン大会に出場したのは、1989年(H1)3月19日(日)に開催された第9回ひろしま国際平和マラソン大会で、10キロの部、知人の計測によれば記録は39分50秒。34歳初出場でのこのタイムは、一市民ランナーにしては上出来だったのではないか。この大会も、2019年を最後に正式に終了になったらしい。

私がジョギングを始めたのはそれより数年前20代後半の事だったと記憶している。当時、大阪から広島に帰って間がないころ、早朝、日の出前、なんとなく暇に任せて走り始めたような気がする。そしてその数年後、弾みと言うか、会社の数人の仲間で大会に出ることになったのだった。

2回目の大会参加はそれから7年後。それが、当時は「聖湖一周マラソン大会」の呼称だった八幡高原聖湖マラソン大会への出場である。1996年(H8)9月1日(日)第13回聖湖一周マラソン大会10キロ一般男子の部で、記録は51分33秒。

次がこれまでで唯一のフルマラソン出場となった、総社市で開催された’96吉備路マラソン大会である。1997年(H9)2月23日(日)記録はフル男子B、4時間32分58秒で完走。42歳での初出場にしては頑張ったが、余りのしんどさにもうフルは止めとこうと思ったわけで。

さて、八幡高原聖湖マラソン大会出場記録。10キロのベストは47分37秒。(1997年9月7日。第14回大会)ハーフのベストは1時間53分30秒。(2001年(H13 )9月2日。第18回大会)尚、この大会でのハーフは第18回、第27回、第35回の3回出場。

他の大会にも、友人に誘われて数少ないが出場している。

「呉とびしまマラソン」ハーフでの参加(第1回、第2回、第3回、第4回、第5回)

ベストは第4回の2時間00分12秒。(2013年(H25 )2月24日(日)一般男子)

「ロードレース”くれ”」10キロでの参加(第64回、第65回)

ベストは第64回の49分58秒。(2011年(H23)12月18日(日)壮年男子)

全てを合わせると、これまでのマラソン大会出場は34歳から65歳まで27回。

公式タイム自己ベストは、

10キロ:47分37秒。ハーフ:1時間53分30秒。フル:4時間32分58秒。

まあ、歳の割に、そしてちゃらんぽらんな自己練習の割には良く頑張って来ている。

それもそろそろさすがにフィニッシュが近いような気がする。

因みに、ジョギング、マラソン以外に、私のスポーツについて。

20代後半から30代後半までスキーにはまった。広島は都市圏近郊に大小様々なスキー場がある。仕事関係を中心に仲間と数人で、冬場は毎週のように、スキーバスや自家用車を乗り合わせてスキー場へ通った。いちばん多く通ったのは芸北国際、恐羅漢あたりか。スキーは30代でぱったりやめた。

夏場は、これも仕事関係のメンバーを中心に島根県や山口県の海水浴場へも度々出かけた。また、職場の近くに公営のプールがあり、仕事終わりにはよく泳いでいた。水泳の方は、今も時折、公営の屋内プールや海にも出かけている。

また、20台後半には、近郊の低山登山に一人で度々出かけていた。

まあ、ざっと、わたしのスポーツ歴はこの程度だが、考えてみれば、これらがあって、どうにか生きてこれたのかもしれない。(スポーツと言えるかどうかわからないが、たまの太極拳もあるにはある。)

詰まるところ、これらのスポーツは私の孤独を再確認し、そして癒す「モノ」かもしれない。

2023年4月18日 (火)

「越えられない歴史 林亨泰詩集」読了。

(メモ)

台湾現代詩人シリーズ③「越えられない歴史 林亨泰詩集」(三木直大編訳 思潮社刊)読了。

*林亨泰(リンホンタイ 台湾 1924年~)

2023年4月16日。昼過ぎから雨。久しぶりに、一人でウッドワン美術館へシャガールを見に行きました。(ウッドワン美術館(Hiroshima Yoshiwa)「POWER OF COLORS シャガールを中心に」2023.3.18~5.21)

山里はもう田んぼに水が張られて田植えの準備。帰りに佐伯町の津保美堂で二重焼購入。

2023年4月 5日 (水)

4月5日清明節。お昼前からぽつぽつ、雨。

昨日は、以前から医師に勧められていた、心臓エコーを撮りにクリニックへ。

経胸壁心エコー、結果は相変わらず僧房弁から血液の逆流が若干みられるものの、日常生活には支障なしとのこと。

また、心電図はこちらも針が触れるところがあるものの、これも以前からの事で大丈夫。

胸部X線画像も問題無し。

また血液検査から心不全の恐れも無し(NT-proBNP値は基準値18.4より下)。

医師からは、年齢的に心臓は鍛えられないし年相応に無理のない生活をしていればいいと言われる。年に一回程度はエコー検査を勧められる。

今日4月5日は、清明節。と言う訳ではないのだが、先日に続いて短歌一首。

 石走る谿間を行けば家廃れ

 山桜かな山桜哉     永洋(2023.4.3)

私なりの山水画の世界です。

下の句の詠嘆「山桜哉」だけが三十数年前(!!)から脳裏にあり、それを使いたくてその言葉だけを長く反芻していたのですが、数日前、久しぶりのジョギング中に、すんなりと全体が出来上がりました。まあ、万葉集にあるこの季節の枕詞を使った素直極まりないそれですが。

2023年4月 2日 (日)

降りしきる涙も痛し清明夜 一人の寂寥二人の孤独。(永洋)

音楽家 坂本龍一さんが、先月、3月28日(火)に71歳で亡くなられました。心からお悔やみ申し上げます。

短歌、近作四首をここに記します。(永洋)

降りしきる涙も痛し清明夜

一人の寂寥 二人の孤独   (2023.2.18)

  *清明は4月5日ですが詠んだのは2月。まあいいか、です。

情よりも術を知りたし日々のこと

懲りず怒らずあなたと暮らす (2023.3.8)

急かされて蕗の薹摘む蓬摘む

天から降りし母と並んで   (2023.3.18)

問われれば沸き立つ花の苦しくて

ソメイヨシノの春は嫌いと  (2023.4.1)

2023年3月16日 (木)

大江健三郎の訃報を知って。(日差しの中で、記憶は見真講堂から遠く。)

ネット検索によれば、広島市中町に曾てあった見真講堂は1998年閉館と、中国新聞の記事にある。その見真講堂で開催された大江健三郎(1935~2023)と井上光晴(1926~1992)の講演会に出かけたことがある。大江健三郎が「洪水はわが魂に及び」(1973年 新潮社刊)を、そして井上光晴が「心優しき反逆者たち」(1973年 新潮社)を出版して、おそらく数年後か或いは直後、私が20代半ば、大阪から広島に帰ってすぐだったか・・・(いや、大阪へ出る直前か?)。講演会の内容は、もうほとんど全くというほどに覚えてはいない。ただ、大江が「ヒロシマノート」(1965年 岩波新書)に言及し、井上が「虚構のクレーン」(1960年 未来社刊)に言及し、とりわけ虚構と事実、事実と真実に執拗な程に拘っていたような記憶が、あるにはあるが、その具体的な内容は全く覚えていない。(付け加えれば、人選からして、それぞれの近著出版元である新潮社主催だったかもしれないが、確証はない。)

さて、大江健三郎がこの3月3日午前3時過ぎに亡くなった。新聞記事には老衰、88歳とある。今、微かな人生の記憶と押し寄せる様々な重力の洪水の中で、私は、しばし感慨にふけった。感慨にふけるぐらいは許せるだろうと、自答しながら。

道を挟んで見真講堂のほぼ向かいには宿泊施設「法華クラブ」(ホテル法華クラブ広島が正式名称のようだ。それは今もそこに在る。)があった。そしてその道のどちら側かを、どういう経緯だったか高校時代の同級生W君と歩いたことがある。W君とは拠って立つ思想信条が異なっていたような気がするが、それは高校生時代の事、私に限ればいい加減不確かであいまいなそれであった。だが、W君のその磁場は私には及ぶべくもない強固なものであったような。夏だったのか日差しが暑く、そして強かった。私たちは日に晒されながら歩いていた。私に歩調を合せてくれていたW君が、ふと私に「日陰を歩けばいいのに」と言ったのだが、その彼の一言だけが私の記憶の底に沈んで今も剥がれない。同じその頃と言っても講演会からは数年後だったと思うが、いずれにせよかなり遠い。もう遥か遥かのことである。

話が外れた。・・・決して氏の熱心な読者ではない私が最初に読んだ作品は「死者の奢り」(1957年、文学界初出)。それから幾つかの作品を読んだ。そして今日までに距離は随分と離れてしまっていたのだ。願わくば、高みにて静かな日々を送られますように。

「大江健三郎さん死去」のトップニュースが載った同じ中国新聞第1面(2023年3月14日(火)付)には、並んで「袴田さん再審決定(13日)」の記事がある。袴田巌さんは現在87歳。その歳月の果てしなさ!!一日も早い再審開始と、無罪判決を!(尚、東京高検が最高裁に特別抗告の方向で検討との記事が中国新聞17日付にある。権力の横暴に言葉を失う。)

2023年3月11日 (土)

続・灯浮標4(2023.3.11)レスパイトの行方。パーキンソン病患者と介護。

眠れず。

先月末、Sの加入しているパーキンソン病友の会から会報最新号がSに届いた。

そのなかの一文に目が留まる。

パーキンソン病当事者によるレスパイト入院とショートステイの経験談である。

冒頭からそこに書かれているのは、もう一度は無いと言う、その患者の思いである。

確かに、Sの場合もそうだ、ショートステイにおいて、常に不満が渦を巻く。ケアマネさんを交えて色々と話すのだが、毎回困難を極める。どうにか1泊ショートを利用させてはいる。入院は現在はまだ難しい。

それにしても、その寄稿者は、会報の編集にも携わっている方である。それがレスパイト入院やショートステイのマイナス部分を冒頭から書き連ねられては、これからそうしたシステムを利用しようとしている患者や、そのご家族がどういった印象を持たれるだろうか・・・、一介護者でもある私は暗澹たる思いに捉われる。その文を読むに、先ず「レスパイト」を理解しておられないようだ。これは本来、ご家族など介護者の負担を少しでも軽減する、短期間でも介護から解放すると言う意味が強い言葉である。介護から一瞬でも「逃避」しなければ、当事者は潰れてしまう、その切迫した状況をなんとか打開しようとするものなのだが、その投稿者は、ご本人の休息と言った意味合いに力点を置かれているようだ。もちろんそれもあるのだろうが。

友の会自体が、ほとんど当事者だけで運営されていて、結果的には客観性を欠きがちな会の性格をそこに見る思いがしたのだ。(かといって、外部からの協力者を積極的には募ってもいないようだ。先ず、そういった問題意識も希薄に思える。)

さて、

3月8日付のブログ「泳ぐ」に書き留めている言葉。

「マインドフルネス」

・瞑想、それに伴った呼吸法に拠る思考制御、心地よさへの体と思考の誘導・・・とか、私はそう理解する。

「アンが—マネジメント」

・怒りの制御。言葉を発するまでの、6秒の鍛錬。

わかることはわかるが、なかなかの難物。

介護者と介護を受ける人間との一種、攻防は続く。笑

今朝もまた、午前2時に呼び起こされたのである。

昨日も、排尿、排便介助、その後始末・・・等々。+食事の用意などなど。ぐったりな状況はさして変わらず。まあ、午前中のヘルパーさん、午後の入浴介助。そうしたことは、私にとって大きな救いでもある。

ああ。

今日は、デーサービスがある。その間、私は月に1回の太極拳サークルへ。

2023年3月 8日 (水)

泳ぐ。

3月6日は啓蟄。次第に暖かくなってくるのを実感する。

3月7日火曜日。忙しない一日。Sをデーサービスに連れて行く。

区民プールで20分程度、ゆっくりと泳ぐ。

十数人の利用者。平日もあって、その殆どは老人。まあ、私もその一人だなあと裸の自分を鏡に映してつくづく。

整形外科で週1回のリハビリ。相変わらず左腕が重いわけで。

それから、1ヶ月余り前に予約していた市内の病院へ。

受診は精神科。比較的若い先生が問診。ところがその担当医師、この4月には大学病院に戻られるという事で、なんだかなあ・・・

取り敢えずは、1時間近くカウンセリング。まあ、結局環境を変えない限り特効薬などないわけで。

分かってはいるのだが、Sとの関係性を変化させていくのは容易ではない。

次回カウンセリング予約をぎりぎり3月末に入れる。その後はどうなるか。

会計窓口で、何かの手違いがあったらしく、50分近く待たされる。

そんなもの、現実は。

精神科、心療内科で定評のある病院だけに、待合の人々は、本当に個性的なわけで、実は、十年近く前、生前、母も心療内科に通院していたのだが、そのころの空気感が甦る。

それなりに辛いのだ。この病院にコンタクトをとった私の気分を、誰が知るだろうか。

Sにも分かりはしない、きっと。

怒りを内包したまま、静かに介護を続けることなど・・・・出来るとは思わないのだが、私やSを知らない誰かに話しを聞いてほしいだけなのだろう。

処方箋は今回無し。

会話の中で出てきた医師の言葉を幾つか。

深呼吸。

マインドフルネス。

アンが—マネジメント。

統合失調症としてのパーキンソン病。

電気軽減療法、などなど。

今日8日、庭の梅が咲き始めている。鶯の啼声を聴いた。蛙も鳴いている。

去年からほったらかしにしていた庭木の剪定や枝、落葉の処理、今年に入って少しずつやってはいたのだが、今日やっと一段落。(今年の秋を思うと溜息。そもそも私はその頃元気かどうかとか。)