元宵節の夜。
大寒寒波は、結局先々週1月25日水曜をヤマに、先週の30日まで断続的に続いた。
あれから1週間近くになるが、庭にはまだ雪が残っている。
2月4日立春。
今日5日は春節から2週間。元宵節。
月日は、過ぎて振り返ってみれば、ずいぶん早い。
国の政治はずたずた。
政権与党の、差別(的)暴走。
マイノリティに偏見と無知と差別で対峙する彼ら為政者に怒りを覚えつつ。
岸田首相は何時まで権力の座にしがみついているつもりなのか。
大寒寒波は、結局先々週1月25日水曜をヤマに、先週の30日まで断続的に続いた。
あれから1週間近くになるが、庭にはまだ雪が残っている。
2月4日立春。
今日5日は春節から2週間。元宵節。
月日は、過ぎて振り返ってみれば、ずいぶん早い。
国の政治はずたずた。
政権与党の、差別(的)暴走。
マイノリティに偏見と無知と差別で対峙する彼ら為政者に怒りを覚えつつ。
岸田首相は何時まで権力の座にしがみついているつもりなのか。
s、1月28日(土)から30日(月)まで、ショートステイ初2泊3日。
その間も雪降り止まず。
複数のスタッフとの軋轢が色々とあったようで、しばらくは2泊3日はおろか1泊も無理か・・・。
利用者も人間。スタッフも人間。難しい。
スタッフの全てではないが利用者の多くが認知症ということもあって、人に接する方法論?がおかしくなっているのではなかろうか。とも推測する。
Sに関して言えば、幻覚幻聴等がしばしばあるものの、認知症とまでは行かず、その対応は確かに、本当に本当に難しい。疲労が蓄積する。(常に介護している私の実感!!!!!)
凍える日々が続いている。1月も終わるが、身も心も厳寒の底に在る。
(日曜日、Sからの頼みで馬券をネットで買う。もちろん、スル!笑)
夜11時過ぎ、Sが階下から私を呼んでいる。おしっこをたっぷり吸いこんだ紙おむつを替える。尿瓶の尿を捨て洗う。新しい紙おむつを穿かせる。ズボンを穿かせる。体勢を整えてやる。
54キロ程度の私が、70キロ近いsの体を動かすのはやはりツライ。
大寒過ぎて、春節過ぎて、寒さは尚一層厳しい。
24日火曜日昼過ぎから雪激しくなり、25日朝には40センチ近く積もっていた。私が記憶する限りでは、十四五年振りではないか。
午前中の訪問リハビリは急遽休止に。それでも、Sの入浴介護には大雪の中、来て頂けた。
終日、冷蔵庫の中にいるような凍える寒さ。
明けて、今日26日、昨日からの雪はほとんど溶けず。
きびしい寒さが続いている。
昨年末のクリスマス寒波から一ヶ月、大寒寒波襲来!
昨夜から重い雪が降り積もっている。
新年快乐 万事如意
玉兔迎春到 红梅祝福来
今日、20231月22日は春節(旧正月)。
私のブログを訪ねて頂いた皆様にとって、新しい一年がより健康で穏やかな日々となりますように。
世界から争いが無くなりますように。
昨夜は同居人の足の痛みや体の震えの介護でほとんど眠れず、それが、今日は呼ばれることは無いのだが、昨日の寝不足からか、却って眠れない。
どうしたはずみか、布団の中の私の脳裏に、山頭火の「分け入っても分け入っても青い山」が繰り返し出てきて、ならば私の場合は、
「切っても切っても白い波」或いはゴロ良く「抜き手を切れば白い海」なのだろう。などと無音で呟いている・・・。(ああ、立ち切れない人生がある。哂え!)
今更に、「青い山」がイコール「人生」となる。そんなことにこの老いた歳になって気付くのだ。とうに評論家や山頭火愛好家が述べてはいるのだろうが。ただ、彼は無鉄砲に藪を分け入っているわけではないのだろう。そこにはけもの道、或いは山里を縫う険しく細い道が続いているに違いない。その瑞々しく美しい青い山を辿っているのだ。人恋しさまでも私は想う。どうだろうか。決して孤独ではない。などと。いつか必ず人と遭遇するのである。一幅の山水画がそうであるように。
泳ぎはしないが、冬の海に行って見たい。
追記:「きって」つながりで、今年届いたお年玉付き年賀はがき、十数枚ながら切手シートが一枚当たりました。確率いいよね。
それはパーキンソン病に対する偏見だよと、Sになじられる。
が、パーキンソン病のSと同居し、また、Sを通して様々なパーキンソン病患者を知るにつけ、その思いは強くなる。そもそも「我欲」はパーキンソン病患者の臨床例を多く持っておられる作業療法士のW医師の言葉でもある。まあ、自己肯定感、自己愛が強いとも言えるのか。
幻覚幻聴は波があるにせよ、依然続いている。医師とも相談するが、よい解決策は見つからない現状。数日前、掛け時計にドル紙幣をSが隠しているから取り出すと騒ぎ出す。結局Sの前で、掛け時計を足で叩き割り、何もないことを見せる。ここまでやらなければならない現実がある。
書けばシンプルだが、現実はかなりショッキングな風景がそこにある。
土曜日14日から15日日曜日にかけて、Sの体温が若干上がり気味だった。
特に日曜日から月曜日の未明にかけて、排便も続き、熱は一時37、6度まであがるも、1時間後には36.6度に下がるなど、振幅が激しかった。夜が明けて、ようやく体調はほぼ戻った。
日頃から自律神経のせいだろうと、先生はおっしゃる。
介護の側からすれば、途方に暮れるばかり。
日付が変わった1月6日午前3時ごろ、Sに起こされる。何か得体のしれないものに憑りつかれている様子。ベッドからずり落ちそうになっている。体勢を整えてやる。紙おむつをあがるところまであげて装着。私の腕の不調もあって、Sが寝た状態ではなかなか思うようにいかず、いつものように私一人が癇癪を起す。
翌7日も午前3時ごろ、階下で何か物音がして下りてみると、Sが下半身剥き出し状態でリビングまで移動している。私に異常があるのではと思って、彼なりの防御策をとって2階へあがろうとしていたらしい。
家のどこかに誰かがいるのではないかと妄想、或いは幻覚。
このところ、深夜になると睡眠障害もあり、所謂、幻覚、幻聴、が続いている。
そのたびに私が翻弄される。
改めて、Sの服用しているパーキンソン薬の副作用をNET検索してみる。
マドパー、ミラベックス、ともに幻覚、幻聴、幻視、病的賭博、性的依存などの項目がある。
Sはそのどれもが表れている。何度となくかかりつけ医やリハビリの先生などとも相談しているが、根本的な解決には至らない。
また、特に、ここ数日、Sによれば、ここに活字で記録できないような、性的な夢を見ているらしい。パーキンソン病薬の副作用の一つでもあるらしいが、ギャンブル依存症、性的依存症、買物依存症の中でも、ギャンブルに続いて性的依存症も発現しているのだろうか。
今年1月で19年目に入るパーキンソン病患者の現実なのだろう。
ほとんど全てを私一人で介護する私の精神的肉体的疲労は日々重なって行く実感。
今年はどうなって行くのか。昨日今日とSは今年二回目のショートステイ。
先が見えない。
未明3時、Sの電話で階下に降り、Sのベッドで傾いて動けなくなった体勢を整えてやり、紙おむつ、ベッド周りに散乱したものを片付ける。
そのまま熟睡は出来ず、朝までうとうと。6時過ぎ、再びSに呼ばれる。体を拭き、足の爪を摘み、着替えさせる。
昨日、Sのリハビリで定期的に通っているHクリニックへ。
作業療法士W先生と私の話。W先生の義理のお父様がシャイ・ドレーガー症候群(多系統委縮症)だったという事で、Sと非常に症状が似ているという話に。
確かに、シャイ・ドレーガー症候群の症状には、起立性低血圧や、ふらつき、尿失禁、そしてパーキンソン病によく似た症状がみられるとの記述が、ネット検索でもある。
パーキンソン病は、その症状が非常に個人差が大きい。Sの場合、そうした多系統委縮症との親和性が高いのもうなずけるような気がした。だからどうだ、ということでもないのだが。
Sのパーキンソン病はこの1月で19年目に入る。まあ、それにしては「まだ動ける」ということか!!
最近は足のむくみが顕著で、レントゲン、心電図、血液検査等をする。(尿は、Sが緊張して当日は採れなかった。)
レントゲン、心電図の結果は取り敢えず異常なし。
今日は、久しぶりの言語リハビリ。
夕方入浴介助。
夜、私の疲れがピークだとの言い訳も辛いわけだが、Sの訳の分からない言葉にイラつき、つい怒鳴り声を上げてしまう。辛い。
これから先、何年この同居生活が続いて行くのか。不安ばかりが募る。
果たして、明日から一泊二日のショートステイもおとなしく言ってくれるのだろうか。
相変わらず、私の両腕、そして肩が痛い。
はやいもので、今年2023年も1月4日。
正月早々、こんなしょぼいブログ誰がみんねん?と友人から「褒められた」わ。
さて、ちょっと振り返って、去年2022年の極私的トピックスベスト3は?
順位無しで。
●2月。殿敷侃に関する文集「風のことづて~トノシキタダシへの旅~」(私家版)をほぼ25年ぶりにどうにかまとめあげたこと。
●9月末、新型コロナウィルスに感染発症。発熱、咳、端、全身の痛み(特に喉の炎症による痛み)、息切れ、動悸などで、苦しんだこと。3か月余りたった現在もまだ、息切れ、動悸は時々あり。
●10月下旬、片耳にPiercing。この歳になってピアスを付けたこと。
まあ、他にもいろいろありましたが、こんなところでしょうか。
それにしても、ロシアによるウクライナ侵略戦争、どうにかならないもんだろうか。日本が出来ることは無いのだろうか。などと・・・