2023年3月16日 (木)

大江健三郎の訃報を知って。(日差しの中で、記憶は見真講堂から遠く。)

ネット検索によれば、広島市中町に曾てあった見真講堂は1998年閉館と、中国新聞の記事にある。その見真講堂で開催された大江健三郎(1935~2023)と井上光晴(1926~1992)の講演会に出かけたことがある。大江健三郎が「洪水はわが魂に及び」(1973年 新潮社刊)を、そして井上光晴が「心優しき反逆者たち」(1973年 新潮社)を出版して、おそらく数年後か或いは直後、私が20代半ば、大阪から広島に帰ってすぐだったか・・・(いや、大阪へ出る直前か?)。講演会の内容は、もうほとんど全くというほどに覚えてはいない。ただ、大江が「ヒロシマノート」(1965年 岩波新書)に言及し、井上が「虚構のクレーン」(1960年 未来社刊)に言及し、とりわけ虚構と事実、事実と真実に執拗な程に拘っていたような記憶が、あるにはあるが、その具体的な内容は全く覚えていない。(付け加えれば、人選からして、それぞれの近著出版元である新潮社主催だったかもしれないが、確証はない。)

さて、大江健三郎がこの3月3日午前3時過ぎに亡くなった。新聞記事には老衰、88歳とある。今、微かな人生の記憶と押し寄せる様々な重力の洪水の中で、私は、しばし感慨にふけった。感慨にふけるぐらいは許せるだろうと、自答しながら。

道を挟んで見真講堂のほぼ向かいには宿泊施設「法華クラブ」(ホテル法華クラブ広島が正式名称のようだ。それは今もそこに在る。)があった。そしてその道のどちら側かを、どういう経緯だったか高校時代の同級生W君と歩いたことがある。W君とは拠って立つ思想信条が異なっていたような気がするが、それは高校生時代の事、私に限ればいい加減不確かであいまいなそれであった。だが、W君のその磁場は私には及ぶべくもない強固なものであったような。夏だったのか日差しが暑く、そして強かった。私たちは日に晒されながら歩いていた。私に歩調を合せてくれていたW君が、ふと私に「日陰を歩けばいいのに」と言ったのだが、その彼の一言だけが私の記憶の底に沈んで今も剥がれない。同じその頃と言っても講演会からは数年後だったと思うが、いずれにせよかなり遠い。もう遥か遥かのことである。

話が外れた。・・・決して氏の熱心な読者ではない私が最初に読んだ作品は「死者の奢り」(1957年、文学界初出)。それから幾つかの作品を読んだ。そして今日までに距離は随分と離れてしまっていたのだ。願わくば、高みにて静かな日々を送られますように。

「大江健三郎さん死去」のトップニュースが載った同じ中国新聞第1面(2023年3月14日(火)付)には、並んで「袴田さん再審決定(13日)」の記事がある。袴田巌さんは現在87歳。その歳月の果てしなさ!!一日も早い再審開始と、無罪判決を!(尚、東京高検が最高裁に特別抗告の方向で検討との記事が中国新聞17日付にある。権力の横暴に言葉を失う。)

2023年3月11日 (土)

続・灯浮標4(2023.3.11)レスパイトの行方。パーキンソン病患者と介護。

眠れず。

先月末、Sの加入しているパーキンソン病友の会から会報最新号がSに届いた。

そのなかの一文に目が留まる。

パーキンソン病当事者によるレスパイト入院とショートステイの経験談である。

冒頭からそこに書かれているのは、もう一度は無いと言う、その患者の思いである。

確かに、Sの場合もそうだ、ショートステイにおいて、常に不満が渦を巻く。ケアマネさんを交えて色々と話すのだが、毎回困難を極める。どうにか1泊ショートを利用させてはいる。入院は現在はまだ難しい。

それにしても、その寄稿者は、会報の編集にも携わっている方である。それがレスパイト入院やショートステイのマイナス部分を冒頭から書き連ねられては、これからそうしたシステムを利用しようとしている患者や、そのご家族がどういった印象を持たれるだろうか・・・、一介護者でもある私は暗澹たる思いに捉われる。その文を読むに、先ず「レスパイト」を理解しておられないようだ。これは本来、ご家族など介護者の負担を少しでも軽減する、短期間でも介護から解放すると言う意味が強い言葉である。介護から一瞬でも「逃避」しなければ、当事者は潰れてしまう、その切迫した状況をなんとか打開しようとするものなのだが、その投稿者は、ご本人の休息と言った意味合いに力点を置かれているようだ。もちろんそれもあるのだろうが。

友の会自体が、ほとんど当事者だけで運営されていて、結果的には客観性を欠きがちな会の性格をそこに見る思いがしたのだ。(かといって、外部からの協力者を積極的には募ってもいないようだ。先ず、そういった問題意識も希薄に思える。)

さて、

3月8日付のブログ「泳ぐ」に書き留めている言葉。

「マインドフルネス」

・瞑想、それに伴った呼吸法に拠る思考制御、心地よさへの体と思考の誘導・・・とか、私はそう理解する。

「アンが—マネジメント」

・怒りの制御。言葉を発するまでの、6秒の鍛錬。

わかることはわかるが、なかなかの難物。

介護者と介護を受ける人間との一種、攻防は続く。笑

今朝もまた、午前2時に呼び起こされたのである。

昨日も、排尿、排便介助、その後始末・・・等々。+食事の用意などなど。ぐったりな状況はさして変わらず。まあ、午前中のヘルパーさん、午後の入浴介助。そうしたことは、私にとって大きな救いでもある。

ああ。

今日は、デーサービスがある。その間、私は月に1回の太極拳サークルへ。

2023年3月 8日 (水)

泳ぐ。

3月6日は啓蟄。次第に暖かくなってくるのを実感する。

3月7日火曜日。忙しない一日。Sをデーサービスに連れて行く。

区民プールで20分程度、ゆっくりと泳ぐ。

十数人の利用者。平日もあって、その殆どは老人。まあ、私もその一人だなあと裸の自分を鏡に映してつくづく。

整形外科で週1回のリハビリ。相変わらず左腕が重いわけで。

それから、1ヶ月余り前に予約していた市内の病院へ。

受診は精神科。比較的若い先生が問診。ところがその担当医師、この4月には大学病院に戻られるという事で、なんだかなあ・・・

取り敢えずは、1時間近くカウンセリング。まあ、結局環境を変えない限り特効薬などないわけで。

分かってはいるのだが、Sとの関係性を変化させていくのは容易ではない。

次回カウンセリング予約をぎりぎり3月末に入れる。その後はどうなるか。

会計窓口で、何かの手違いがあったらしく、50分近く待たされる。

そんなもの、現実は。

精神科、心療内科で定評のある病院だけに、待合の人々は、本当に個性的なわけで、実は、十年近く前、生前、母も心療内科に通院していたのだが、そのころの空気感が甦る。

それなりに辛いのだ。この病院にコンタクトをとった私の気分を、誰が知るだろうか。

Sにも分かりはしない、きっと。

怒りを内包したまま、静かに介護を続けることなど・・・・出来るとは思わないのだが、私やSを知らない誰かに話しを聞いてほしいだけなのだろう。

処方箋は今回無し。

会話の中で出てきた医師の言葉を幾つか。

深呼吸。

マインドフルネス。

アンが—マネジメント。

統合失調症としてのパーキンソン病。

電気軽減療法、などなど。

今日8日、庭の梅が咲き始めている。鶯の啼声を聴いた。蛙も鳴いている。

去年からほったらかしにしていた庭木の剪定や枝、落葉の処理、今年に入って少しずつやってはいたのだが、今日やっと一段落。(今年の秋を思うと溜息。そもそも私はその頃元気かどうかとか。)

2023年3月 4日 (土)

そういえば、いつもの山肌にヤマブキはまだ咲いていなかった。

(メモ)

3月4日。少しと大分早いのだが、日程的に今日かなあと、お彼岸参り。

Sは今日から一泊でショートステイなのだが、送り届けた直後から、帰りたいと繰り返し々々携帯電話。

・・・・・・・。

往路、復路とも、少しだけ高速道を利用。

夕方、墓参から帰宅。体がふらつくほど疲れた。

2023年3月 2日 (木)

続・灯浮標3(2023.3.2)周辺から寄せ来る波。

Sの病気の事で、いつも親身になって相談に乗ってくださるW先生の病理検査の結果が分かり、W先生からメールが送られてきた。良性だったとのこと、先ずは一安心。先生もひとまずホッとされたご様子。たしか発見は昨年ほぼ一年前だったか。大腸がんだった。手術をされて、仕事をしながらの養生は色々大変だったようだ。

今日来られた訪問リハビリの作業療法士さんのおお母さんは咽喉癌の再発で近々また手術とか。

Sは、病院(W先生のリハビリ)の待合で、スポーツ新聞を眺めながら、日曜日の競馬のあれこれに思案を巡らせている。

夜は、ベッド周りの環境整備とか急に言い出して、私を困惑させる。

日中には止むはずだった雨は終日降ったり止んだりの天気雨。

朝は月に一度の訪問看護もあった。Sの体調に大きな変化はない。

まあ、しいて言えば、苛立つ私の疲労の蓄積が半端ないという事。

2023年3月 1日 (水)

「蜜のように甘く」読了。

(メモ)

イーディス・パールマン著「蜜のように甘く」(古屋美登里訳 亜紀書房刊)

読了!この短編集凄し!!

2023年2月28日 (火)

選択。整形外科にて。

今日2月終りは、4月の暖かさとか。

お昼12時からのリハビリを終えて、車の中で昼食。

そして2時半から受診。

先生は、MRIを撮ってみるか、それともこのままとりあえずは関節注射とリハビリを続けながら経過を診ていくか、などと。

全部で3つの選択肢を提示される。その中の一つは、まあ一番無難な注射とリハビリの継続。

1回目の注射は2月15日付のブログに書いている。

2回目(2月21日)は以下の通り。

左腕肩関節に。(状態が良くなった右腕は無し。)

アルツディスポ関節注25㎎ 1%2.5ml 1筒

カルボカインアンプル注1% 2ml 1菅

3回目の今日は1回目と同じ。(右腕は無し。但し左肩関節の注射位置が前回、前々回と微妙に異なる。)1回目同様の強い注射。

ケナコルト―A筋注用関節腔内用水懸注40mg/1ml 0.5瓶

カルボカインアンプル注1% 5ml 1菅

(数日の疲れが溜まっている。腕も体も、気分もだるい。)

安けりゃ何でもいいわけで、まずく冷たい缶コーヒーを飲みながら、帰った。

2023年2月27日 (月)

続・灯浮標2(2023.2.27)夢。

風雨に家が揺れ、壁もふわふわと膨らみ騒ぐ。私は痺れた足と痛む左肩、左腕を持て余しながら階下へ降りようとするのだがままならない。

すると、トイレに向かうSの姿が、階下に確認できる。そのSは私を見ると、一言、「君もパーキンソン病じゃないの」と声を掛けてくる。

そこで目が覚めた。夢だ。ただ、確かに足はだるく、肩も相変わらず痛いのだ。

Sは一昨日、昨日、今朝がたと、私を起こす時間帯は異なるものの、排尿などの介護が必要。からだの振顫も酷い。Sが私を呼ばなければ呼ばないで、熟睡も出来ない。

今年に入って、Sは競馬をやりたがる。私がネット投票をしてやる。結局は負けが込むのだが。

まあ、そう大金は注げないので、とりあえずは私の気持ちを抑えてはいる。

今日は、午後、Sの言語リハビリで、病院まで連れて行く。

夕方から夜にかけてひどく疲れている。疲れ果てている。

(追記)

夜9時過ぎ、Sをリビングから寝室のベッドに車椅子で移動させる。

それから1時間半ぐらいたったころ、酷く咳き込む声が、2階の私の部屋まで聴こえてくる。

階下に下りてみると、Sはベッドに座り込んで、激しく咳き込んでいる。どうも誤嚥のようだ。

昼間に飲みこんでしまった飴玉が喉の奥か気管の入り口に留まっていると言うのだが、よく分からない。お湯を飲ませる。しばらく様子を見る。咳が止まらないので、体の右を下にしてベッドに横たわらせて、背中をしばらく叩きつづけてみる。すると程なくおとなしくなって、眠り始めた。

灯りを消して部屋を出る。時間は夜11時過ぎ。それから更に日付が変わって3時過ぎ、Sの様子を窺うと、体勢は少し崩れていたが、ほぼ横向きのままでよく眠っている。

取り敢えずは落ち着いた様子だ。

2023年2月26日 (日)

若干のノスタルジーを込めて、エゴン・シーレのこと。

初めて私がエゴンシーレの存在を知ったのは、大島渚監督が、もうとっくに誌名も忘れたが確か雑誌のコラムか何かで、自身の好きな画家の一人としてエゴン・シーレの名前を記しておられて、そう言う偶然があったからだ。もう何十年も昔の事だ。

殆どその当時、あれもまた偶然なのだが、広島の街を歩いていて、京口門辺りに画廊があって、それはビルの狭い階段を上がった二階で、常設展だったような気がする。そこに、エゴン・シーレの小さな素描(まるで息を吐くような若い男の顔だったような)が一点掛けられていた。

しばらくその作品に見入っていた。そうしたら、画廊のオーナーらしき人物が、英語版のEGON SCHIELE図録を私に手渡し、差し上げますと。

それが今も手元にある。表紙にローマ字で小さくNAGATAの文字が読み取れる。その「ナガタ画廊」は今もあるのだろうか…。

今回、今更ではあるが、ページをめくっていて、その最後に色の褪せて薄っすらと染みのついた「友部正人コンサート」のチラシが挟まっていることに気がついた。

それには’82年3月21日(日)開演午後6時。ところ:ナガタ画廊、前売1,000円、当日1,200円とある。それで、私がシーレの作品を初めてみたのが27歳だったことが分かった。今からもう40年以上前の事だ。

次にエゴン・シーレを見たのが、ナガタ画廊での出会いから4年後、1986年5月17日~6月29日、奈良県立美術館で開催された「エゴン・シーレとウィーン世紀末」展でのことだ。私はなけなしの財布をはたいて、奈良まで行った。その時買い求めた図録もまた手元に在る。因みに私が持っているシーレに関する書籍の類は、他に「美術手帖3 特集シーレとウィーン 1986」ぐらいだ。

私は、今もシーレに惹かれる。ノスタルジーと共に。雑なあざとい言い方と分かったうえで「体の奥が疼く」のだ。特に一連のヌードの自画像がいい。また、街並みを描いた作品の中には、意外かも知れないが、殿敷侃の最初期の油彩と通じるものがるような、そんな思い込みも私にはある。

さて、現在のこと。「レオポルド美術館 エゴン・シーレ展 ウィーンが生んだ若き天才」が、東京都美術館で2023年4月9日(日)まで開催されている。そういうことである。

2023年2月24日 (金)

春を耕す。

雨水(2月19日)過ぎて21日の朝の雪。

中国の諺(農諺)に、

「立春雨水二月里、送粪莫等冰消完。」

拙訳で

「立春雨水は二月のうちに、氷溶け去るを待たず肥やしを運ぶ。」

があります。

雪は降っても、はや春を耕す季節とか。

因みに、私のメモ帖によれば、2022年2月21日も雪だったみたいです。