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2023年4月25日 (火)

八幡高原聖湖マラソン大会休止のこと、など。

昨日開いた八幡高原聖湖マラソン大会の公式HPに、休止のお知らせがアップされていた。

当マラソン大会は第36回(2019年(R1))以降、新型コロナの影響で37回、38回、39回と3年連続休止になっていたのだが、40回目となる今回は4年振りに開催されると思い、参加を考えていたもので、正直落胆。ただ、HPの公告によると、大会組織委メンバーの高齢化など様々事情がある由、致し方がない。このマラソン大会は、市民マラソンとして地元、そして広島県内外から多くの参加者が集う、なによりアットホームな大会で、私は1996年の第19回大会に初参加、以来5回の欠場を除き、36回大会まで18回参加している。

コース途中にはマツムシソウの群落などもあり、初秋の風にそよぐ山野草が楽しめる。また、この地を探索されたと言う牧野富太郎博士の石碑もある。聖湖畔も木立の中、ダム湖沿いに緩やかなアップダウンが続き、愉しい。地元のボランティアやスタッフの皆さんも、恒例行事として、おもてなしが行き届いていた。沿道の応援も暖かかった。本当に永きにわたりありがとうございました。感謝感謝!である。

これを機会に私のマラソン大会参加歴を簡単に振り返っておきたい。

私が初めてマラソン大会に出場したのは、1989年(H1)3月19日(日)に開催された第9回ひろしま国際平和マラソン大会で、10キロの部、知人の計測によれば記録は39分50秒。34歳初出場でのこのタイムは、一市民ランナーにしては上出来だったのではないか。この大会も、2019年を最後に正式に終了になったらしい。

私がジョギングを始めたのはそれより数年前20代後半の事だったと記憶している。当時、大阪から広島に帰って間がないころ、早朝、日の出前、なんとなく暇に任せて走り始めたような気がする。そしてその数年後、弾みと言うか、会社の数人の仲間で大会に出ることになったのだった。

2回目の大会参加はそれから7年後。それが、当時は「聖湖一周マラソン大会」の呼称だった八幡高原聖湖マラソン大会への出場である。1996年(H8)9月1日(日)第13回聖湖一周マラソン大会10キロ一般男子の部で、記録は51分33秒。

次がこれまでで唯一のフルマラソン出場となった、総社市で開催された’96吉備路マラソン大会である。1997年(H9)2月23日(日)記録はフル男子B、4時間32分58秒で完走。42歳での初出場にしては頑張ったが、余りのしんどさにもうフルは止めとこうと思ったわけで。

さて、八幡高原聖湖マラソン大会出場記録。10キロのベストは47分37秒。(1997年9月7日。第14回大会)ハーフのベストは1時間53分30秒。(2001年(H13 )9月2日。第18回大会)尚、この大会でのハーフは第18回、第27回、第35回の3回出場。

他の大会にも、友人に誘われて数少ないが出場している。

「呉とびしまマラソン」ハーフでの参加(第1回、第2回、第3回、第4回、第5回)

ベストは第4回の2時間00分12秒。(2013年(H25 )2月24日(日)一般男子)

「ロードレース”くれ”」10キロでの参加(第64回、第65回)

ベストは第64回の49分58秒。(2011年(H23)12月18日(日)壮年男子)

全てを合わせると、これまでのマラソン大会出場は34歳から65歳まで27回。

公式タイム自己ベストは、

10キロ:47分37秒。ハーフ:1時間53分30秒。フル:4時間32分58秒。

まあ、歳の割に、そしてちゃらんぽらんな自己練習の割には良く頑張って来ている。

それもそろそろさすがにフィニッシュが近いような気がする。

因みに、ジョギング、マラソン以外に、私のスポーツについて。

20代後半から30代後半までスキーにはまった。広島は都市圏近郊に大小様々なスキー場がある。仕事関係を中心に仲間と数人で、冬場は毎週のように、スキーバスや自家用車を乗り合わせてスキー場へ通った。いちばん多く通ったのは芸北国際、恐羅漢あたりか。スキーは30代でぱったりやめた。

夏場は、これも仕事関係のメンバーを中心に島根県や山口県の海水浴場へも度々出かけた。また、職場の近くに公営のプールがあり、仕事終わりにはよく泳いでいた。水泳の方は、今も時折、公営の屋内プールや海にも出かけている。

また、20台後半には、近郊の低山登山に一人で度々出かけていた。

まあ、ざっと、わたしのスポーツ歴はこの程度だが、考えてみれば、これらがあって、どうにか生きてこれたのかもしれない。(スポーツと言えるかどうかわからないが、たまの太極拳もあるにはある。)

詰まるところ、これらのスポーツは私の孤独を再確認し、そして癒す「モノ」かもしれない。

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