HIRO訳 漢詩 Feed

2023年6月13日 (火)

周傳雄「黄昏」の歌詞を日本語に訳しました。

今から20年以上前に中華圏で発売されてヒットした「黄昏」は、台湾出身のアーティスト周傳雄(チョウチュアンション)によるもの。20年の歳月を越えて今また、台湾、大陸を問わず中華圏を中心に、当時をよく知らない若者たちからの熱い支持を受けて、大きなうねりとなっています。

現在、周傳雄は54歳。この20年余りの間に大病を患うなど苦難を克服しています。

私なりにこの曲を日本語に意訳してみました。

只者ではないこのラブソングの魅力に私も惹かれて、訳しながら何か胸に迫る、不思議な「感覚」に囚われました。

(この詩には、複層的な意味合いを感じるのです。現在、台湾や大陸の若者たちが置かれている状況になにかしらフィットするものがあり、彼らの感情を強く揺さぶるのではないか、とも思うのです。私の勝手な推測ですが。)

(日本語訳)

 「黄昏」

      作詞:陳信榮 作曲:周傳榮 歌唱:周傳雄

出来過ぎた夏は行き 辛く悲しくいいことなんか何もなく

ハンドルを握ればあてもなく果てもなく

疾走する俺の感覚

終わりなき歌を歌おう 瞳を閉じて心鎮めよう

愛するほどに愛に囚われていつも傷つく

夜が来るから黄昏は美しい

忘れられない、お前の口から零れるサヨナラは鉄のように堅く

暗がりの中で灼熱の太陽に身を焼く錯覚

黄昏の地平線 別れの台詞がボーダーになる

永い夜に未練が忍び込む

忘れられない、お前の瞳から零れるカナシイ涙には望みなく

心乱れるまま熱い涙に火傷する錯覚

黄昏の地平線 幸せのピークが断ち切られる

愛は幻のように消える

                      (意訳:永洋)(2023.6.12.)


YouTube: 【周传雄】谢谢你们走进这场「黄昏」 2023 「念念不忘」演唱会 官方剪辑版

2023年4月18日 (火)

「越えられない歴史 林亨泰詩集」読了。

(メモ)

台湾現代詩人シリーズ③「越えられない歴史 林亨泰詩集」(三木直大編訳 思潮社刊)読了。

*林亨泰(リンホンタイ 台湾 1924年~)

2023年4月16日。昼過ぎから雨。久しぶりに、一人でウッドワン美術館へシャガールを見に行きました。(ウッドワン美術館(Hiroshima Yoshiwa)「POWER OF COLORS シャガールを中心に」2023.3.18~5.21)

山里はもう田んぼに水が張られて田植えの準備。帰りに佐伯町の津保美堂で二重焼購入。

2023年4月 5日 (水)

4月5日清明節。お昼前からぽつぽつ、雨。

昨日は、以前から医師に勧められていた、心臓エコーを撮りにクリニックへ。

経胸壁心エコー、結果は相変わらず僧房弁から血液の逆流が若干みられるものの、日常生活には支障なしとのこと。

また、心電図はこちらも針が触れるところがあるものの、これも以前からの事で大丈夫。

胸部X線画像も問題無し。

また血液検査から心不全の恐れも無し(NT-proBNP値は基準値18.4より下)。

医師からは、年齢的に心臓は鍛えられないし年相応に無理のない生活をしていればいいと言われる。年に一回程度はエコー検査を勧められる。

今日4月5日は、清明節。と言う訳ではないのだが、先日に続いて短歌一首。

 石走る谿間を行けば家廃れ

 山桜かな山桜哉     永洋(2023.4.3)

私なりの山水画の世界です。

下の句の詠嘆「山桜哉」だけが三十数年前(!!)から脳裏にあり、それを使いたくてその言葉だけを長く反芻していたのですが、数日前、久しぶりのジョギング中に、すんなりと全体が出来上がりました。まあ、万葉集にあるこの季節の枕詞を使った素直極まりないそれですが。

2023年3月16日 (木)

大江健三郎の訃報を知って。(日差しの中で、記憶は見真講堂から遠く。)

ネット検索によれば、広島市中町に曾てあった見真講堂は1998年閉館と、中国新聞の記事にある。その見真講堂で開催された大江健三郎(1935~2023)と井上光晴(1926~1992)の講演会に出かけたことがある。大江健三郎が「洪水はわが魂に及び」(1973年 新潮社刊)を、そして井上光晴が「心優しき反逆者たち」(1973年 新潮社)を出版して、おそらく数年後か或いは直後、私が20代半ば、大阪から広島に帰ってすぐだったか・・・(いや、大阪へ出る直前か?)。講演会の内容は、もうほとんど全くというほどに覚えてはいない。ただ、大江が「ヒロシマノート」(1965年 岩波新書)に言及し、井上が「虚構のクレーン」(1960年 未来社刊)に言及し、とりわけ虚構と事実、事実と真実に執拗な程に拘っていたような記憶が、あるにはあるが、その具体的な内容は全く覚えていない。(付け加えれば、人選からして、それぞれの近著出版元である新潮社主催だったかもしれないが、確証はない。)

さて、大江健三郎がこの3月3日午前3時過ぎに亡くなった。新聞記事には老衰、88歳とある。今、微かな人生の記憶と押し寄せる様々な重力の洪水の中で、私は、しばし感慨にふけった。感慨にふけるぐらいは許せるだろうと、自答しながら。

道を挟んで見真講堂のほぼ向かいには宿泊施設「法華クラブ」(ホテル法華クラブ広島が正式名称のようだ。それは今もそこに在る。)があった。そしてその道のどちら側かを、どういう経緯だったか高校時代の同級生W君と歩いたことがある。W君とは拠って立つ思想信条が異なっていたような気がするが、それは高校生時代の事、私に限ればいい加減不確かであいまいなそれであった。だが、W君のその磁場は私には及ぶべくもない強固なものであったような。夏だったのか日差しが暑く、そして強かった。私たちは日に晒されながら歩いていた。私に歩調を合せてくれていたW君が、ふと私に「日陰を歩けばいいのに」と言ったのだが、その彼の一言だけが私の記憶の底に沈んで今も剥がれない。同じその頃と言っても講演会からは数年後だったと思うが、いずれにせよかなり遠い。もう遥か遥かのことである。

話が外れた。・・・決して氏の熱心な読者ではない私が最初に読んだ作品は「死者の奢り」(1957年、文学界初出)。それから幾つかの作品を読んだ。そして今日までに距離は随分と離れてしまっていたのだ。願わくば、高みにて静かな日々を送られますように。

「大江健三郎さん死去」のトップニュースが載った同じ中国新聞第1面(2023年3月14日(火)付)には、並んで「袴田さん再審決定(13日)」の記事がある。袴田巌さんは現在87歳。その歳月の果てしなさ!!一日も早い再審開始と、無罪判決を!(尚、東京高検が最高裁に特別抗告の方向で検討との記事が中国新聞17日付にある。権力の横暴に言葉を失う。)

2023年2月24日 (金)

春を耕す。

雨水(2月19日)過ぎて21日の朝の雪。

中国の諺(農諺)に、

「立春雨水二月里、送粪莫等冰消完。」

拙訳で

「立春雨水は二月のうちに、氷溶け去るを待たず肥やしを運ぶ。」

があります。

雪は降っても、はや春を耕す季節とか。

因みに、私のメモ帖によれば、2022年2月21日も雪だったみたいです。

2023年1月22日 (日)

玉兔迎春到 红梅祝福来(20223.1.22.春節)

新年快乐 万事如意

玉兔迎春到 红梅祝福来

今日、20231月22日は春節(旧正月)。

私のブログを訪ねて頂いた皆様にとって、新しい一年がより健康で穏やかな日々となりますように。

世界から争いが無くなりますように。

2023年1月20日 (金)

切っても切っても白い波 永洋

昨夜は同居人の足の痛みや体の震えの介護でほとんど眠れず、それが、今日は呼ばれることは無いのだが、昨日の寝不足からか、却って眠れない。

どうしたはずみか、布団の中の私の脳裏に、山頭火の「分け入っても分け入っても青い山」が繰り返し出てきて、ならば私の場合は、

「切っても切っても白い波」或いはゴロ良く「抜き手を切れば白い海」なのだろう。などと無音で呟いている・・・。(ああ、立ち切れない人生がある。哂え!)

今更に、「青い山」がイコール「人生」となる。そんなことにこの老いた歳になって気付くのだ。とうに評論家や山頭火愛好家が述べてはいるのだろうが。ただ、彼は無鉄砲に藪を分け入っているわけではないのだろう。そこにはけもの道、或いは山里を縫う険しく細い道が続いているに違いない。その瑞々しく美しい青い山を辿っているのだ。人恋しさまでも私は想う。どうだろうか。決して孤独ではない。などと。いつか必ず人と遭遇するのである。一幅の山水画がそうであるように。

泳ぎはしないが、冬の海に行って見たい。

追記:「きって」つながりで、今年届いたお年玉付き年賀はがき、十数枚ながら切手シートが一枚当たりました。確率いいよね。

2022年11月17日 (木)

寒光寒舎

「寒光寒舎」

山茶花は月の光に濡れて

闇に染まる。

白い花びらは密やかに重なり

灯色に輝く。

抗いと志の爪を研いで

血は滾る。

(2022年11月15日火曜日夜)

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2021年4月22日 (木)

あさつゆ 朝露 Lulu&tonys


YouTube: あさつゆ(lulu&tonys)

今から10年以上前、初めて私が作った中国語による詩です。
昨日は晴天でしたが暦の上では「穀雨」。
この詩の世界になじんでいるような気がして投稿してみました。
「朝霧」(棗樹)
天微亮
朝露闪着光
从叶端落了
一滴又一滴
水滴入掌心
沁入掌纹
水滴润嘴唇
沁润朱唇
(和訳)
空は仄(ほの)かに
明け初(そ)めて
朝露が日に光り
葉末から一滴二滴
掌に零れて
滲む
唇を濡らして
滲む
(2010.3.8)
 

2020年12月13日 (日)

朱自清「漆黒」(原題:黒暗)  訳しました。

1937年の今日12月13日は、日本軍の南京城攻入に始まる南京大虐殺事件が起きた日。軍人、市民など、中国側によれば30万人以上が虐殺されたとし、日本政府とは隔たりがあるようですが、私にはそれについて語るだけの知識はありません。ただ、多くの市民が犠牲になった真実は忘れてはならないと思います。中国メディアは、朝から、特別番組で、追悼式典を生中継していますが、こうしたことに日本のマスメディアが触れることは、私が知る限りないようです。

その立ち位置による決定的な違い、そして消えることのない歴史の重みを改めて思うところです。

今日この日とは直接的な関連性はありませんが、朱自清の一篇の詩を、私の翻訳でご紹介します。

  「漆黒(原題:黒暗)」          朱自清

漆黒の夜、

私は独りぼっちで広場の隅に座り込んでいる。

遠くの家から漏れた灯りは、

稲妻の花紋となって、黒い絨毯に散る―。

 

それは自らが発光する。

彼らの意志に関わらず、

微弱な力で揺れ動き。

ごらん、きらめきを輝きを、

これこそは闇の眼差しじゃないか!

 

震える闇夜に、

憧憬の人影がぶらついて。

周囲の柏樹は黙しながらも咆哮する。・・・・

おお、―世界の底の声よ。街の声、人の声よ。

遠くから近くから吹き寄せて、

怒涛のように沸き上がり、溶け合いながら。・・・・

闇夜の底で心が波立っているじゃないか!

 

広場は拡大して、

もうこれ以上の広がりようは無く。

闇夜の底は翼を広げて、

誰も彼らの実態を掴むことは出来ないのだろう?

彼らは慈愛、そしてまた暖かく、

そこにある全ての意志は彼らに覆われて。

自己たる所以のその全てを忘れさせられたのだ。

その一切が漆黒、

「我らと共にある!」

(一九二一年十一月七日、杭州。)

(翻訳:永洋)