Sと同居を始めたのが2015年7月下旬。それから丸7年。8年目が始まっている。
その間には、もともとのこの灯浮標のテーマであった、パーキンソン病とギャンブル依存症に関することはもちろんではあるが、ここに書くことのできない余りにも多くの事柄が暮らしを覆っては去って行き、また、以前として今も覆いかぶさっていることもある。
同居を始めてからも、パーキンソン病の進行は止むことなく、ゆっくり、或いは加速度をつける。
私もSも確実に老いて行く。(因みに、パーキンソン病は早老病でもあるとか。)
未来は見えない。明日でさえ深い霧の向こうに、おぼろげながら不確かに在るようにしか思えない。
この空虚な現実感の中で、何が一体できるのだろうと、黄昏、そしてまた途方に暮れ、将来への不安で、眠りは浅くなる。
彼が斃れたことがどういう結果をもたらしたのか。
同情票(とは思いたくはないが、やはりそれが後押しは若干しているのだろう。)にしろ一票は一票。
時代はゆっくりと、そして加速度的に前のめりになって行く。
自民大勝。か・・・
昨日の新型コロナウイルスワクチン4回目接種の副反応、筋肉痛、頭痛。明けてまあまあ治まってきている。
本日、Sと私、市内の集団接種会場でコロナウイルスワクチン4回目接種。
接種後7時間経過した現在。
Sは副反応なし。
私は注射した周辺の筋肉痛有。頭痛も次第にひどくなり、結局、夜中にロキソニン1錠服用。発熱はなし。
(因みに私は過去3回とも副反応有。ただ、回を追うごとに副反応は緩くなっている印象。Sは過去3回とも副反応なし。)
集団接種会場、日曜日だと言うのになんだか閑散。こんなん、有り?
(接種記録:sと私、同時接種)
1回目:2021年7月4日。ファイザー。
2回目:2021年7月25日。ファイザー。
3回目:2022年2月1日。武田/モデルナ。
4回目:2022年7月10日。武田/モデルナ。
ほぼ1年余りのうちに4回接種。まあ、政府の方針に忠実に応えてはいるが・・・
私は相変わらず夜明け前からSの排尿の始末等々、介護に追われている。
数日前は顔面神経痛がキツかった私である。
まあ、メモまで。
台風4号の影響もあって、今週日曜日、7月3日からぐずつく天気。時折激しく降ったり、薄日が差したり。また梅雨に逆戻りしたみたい。
今朝は4時前に起きて、かわらない介助。それからなんとなく眠れず・・・・
先日、自民党議連で配られたというある神道系宗教組織の小冊子に書かれていたこと。
同性愛は依存症、病気である。とか、LGBTQの自殺原因は当事者本人に起因する、とか。
この偏見と憎悪に満ちた差別言説は許し難い。
政権与党の多くの議員がこの組織メンバーに名を連ねているともいう。
胸糞が悪くなる。
私の周りを見渡せば・・・、悲しいかな、世の中、庶民レベルでも、こうした偏見、誤解、無知による差別は、まだまだごく普通に転がっている。
国家は私たちに決して奉仕はしない。それどころか、隠し持った爪が時折露わになる。
油断ならず!
先日、参議院選挙(7月10日投票)の期日前投票を済ませた。私は、今のままで此の世の中良いなんて思わない。当たり前だけど。
政権与党はもちろん、その補完勢力と目される政党、立候補者にもNo。
消去法にはなるのだが、少なくとも、この社会とその構造を少しでも変えようとしている候補者と政党に1票を託した。
選挙結果で全ては終わらない。これからも続く厳しい閉塞情況に、無力感に苛まれながらも抗い続けるしかないのだろう・・・
それにしても、地上波TV を始めマスメディアは今回の件、私の知る限りでは完全無視。
嗤えない現実がそこに在る。
外は次第に明るくなってきたが、雨が降っている。激しく雨が降っている。
数日前、Sと同じパーキンソン病を患っていらっしゃる方から電話あり。
ここのところ、その方は気分も優れず、それで、ふと私宛に電話を掛けられたらしい。
Sより更にご高齢の女性の方で、お一人で暮らしておられ、もうパーキンソン病歴40年になるとか。
それでも、杖を頼らず、なんとか自立しておられるのだが、さすがに、ここのところ、辛さが増して苦しくやりきれないと。その気持ちを何処に持っていけばよいのか。誰に訴えればいいのか。
そして、その相手はとうに自立されて家を出られたお子様やお友達でもないようだ。
パーキンソン病患者で作られた組織(患者会のようなもの:正式名称は書かないでおく)があるが、その方のおっしゃるには、その組織もその組織が年に数回発行する会報も私の悲しみを掬ってはくれないと・・・
いったい、あの組織は私にとってなんなのかと。必要な存在なのだろうかと・・・。
それは、私も部外者ながら、時折思っていたことではある。Sやその介護に明け暮れる私にとって、その組織はいったいなんなのだろう・・・
そんなことも交えてその女性の方と話した数日後、ちょうど、その組織から最新の会報が届いた。
全国の各支部が発行する支部版と全国版の2部、それにちょっとしたお知らせのチラシ。加えて今回は、新年度の会費振込用紙も同封されてある。
会費は、年金生活者の私たちにとっては、決して安価ではない。確かにこの会費を一番の収入とし、あとは広告料や寄付金などで運営されている組織であることは承知ではあるが、やはり、私には安価ではない。
ちょっとネットで調べてみた。公的機関の数字(一応R4 年とあるが)によると、私の県のパーキンソン病患者数は、現在3300人余り。恐らく、ここ数年の数字であろう。数年前まで支部組織におられた方の話ではあるが、私の県の会員は300人に満たないようだ。一割にも達していない。
これが組織の現実であり、部外者ながら、一抹の寂しさを感じる。
それでもSは、新年度の会費は払うつもりのようだ。
また、支部版、全国版の会報を読んで毎回思うことがある。
それは、介護者の視点があまりにも少ない、というか、殆どないのだ。
患者が主体の組織であるからしかたがないのだろうか。それにしても、介護者もまた当事者であると私は思う。
介護者無くして患者の生活は成り立たない。
さらに、負のベクトルには傾かない。
ギャンブル依存症、性依存症、買物依存症など、パーキンソン病では、実のところ、これらの病的依存は深刻である。そしてこれらが全てではないが、介護疲れに加えて、そうした病的な依存が引き起こす様々なトラブルによって、夫婦間や、家族が崩壊していった例を、私は身近にも複数知っている。
しかしながら、こうした問題が会報に反映されることも、私が知る限りない。
そうしたことを、ちょっと組織に近い方に尋ねてみたことがあるが、匿名性が担保されにくいし・・・といった応えだった。その方は、電話相談も受けていらっしゃったのだが、その相談の多くは、圧倒的に患者のギャンブル依存症だったともおっしゃった。(ほんとうに深刻である。)
まあ、当事者のプライドもあるのだろうし、更にうがったことを言えば、会報には多くの医療関係(製薬会社や病院など)の広告があり、それは大事な収入源の一つであり、病的賭博などは、パーキンソン病薬の重大な副作用の一つでもあるわけで、それを特集するなど、なかなか難しいのだろうなあ・・・とも考えてしまう。
それにしてもである。
かつて、その組織の全国大会に数回、介護者としてSに付き添って参加したことがある。ある分科会だったか、確か性的依存症についての問題定義の手が一般参加者から上がったことがあるが、それは議題ではないと司会者に軽くあしらわれた状況を直接見たことがある。だからといって、その問題定義が後日、何らかの形で、会報なりに取り上げられたことは、私が知る限りない。
日々は続く。
今日も日は暮れ、疲れ果て、当事者二人、呆けて行くばかりかも。
繋ぐものを求めているようでいて、実は、それらあれこれを断ち切ることを急いだりもしている。
今日はSの友人が訪ねてくるはずだったのだが、その友人の職場で新型コロナウィルスの陽性患者が出て、急遽、叶わなくなった。Sを散髪に連れて行く。
5月14日土曜日、午前2時、体勢を整えてやる。5時過ぎ、排尿が上手くいかなかったらしく、敷布、マットレスなども大きく濡れている。
幻覚で体に上ってくるものを防ぐためにしたと本人。両足首をTシャツで縛っている。
着替えさせて、敷布やマットレスを拭いたり洗濯したり。
昼間はデーサービス。
15日は、夜中に熱くしたタオルで体を拭いてやる。
朝方6時過ぎに階下に降りて見ると、リビングに移動して車椅子で眠って居る。
リビングのマットレスに移動させて、体を拭いてもう一度眠らせる。
今日は、どうも覚醒状態が悪い。目力がない。(睡眠不足や導眠剤2.5㎎を2錠服用した関係か。)
それでも、ここ数日は、幻覚がマックスだったころと比べれば、若干の落ち着きが見られる。
まだまだ油断はできないが、ほぼ2週間前からの減薬の効果がほんの少しは出てきたのかもしれない。
このところ、食欲があまりない。体重が一ケ月~2か月前には70キロ前後あったのだが、現在は67キロ前後か。増えたら増えたで、減れば減ったで悩ましい。
今日15日は、沖縄の本土復帰50年の日。
せいぜい一瞬ではあるが、私の時間。風呂から上がってパソコンを開くと、あと30分足らずで日付がかわる。
今朝は、というか、未明、2時過ぎに階下からの声に呼ばれて、Sの部屋を開けると、ベッドから床に下りようとしていて、どうにか支えて床のマットレスに寝かせる。
午前3時過ぎ、再び私は蒲団に体を横たえる。朝、6時前、階下から呼ばれるままに、襖を開けると、マットレスもSの体も小便に濡れている。尿瓶にうまく排尿が出来なかったらしい。おしめも排尿で膨らんでいる。
レンジで蒸しタオルを作り、体を拭いてやる。敷布や衣類を洗濯機に詰め込む。
午前9時、訪問看護。帰り際、アドバンス・ケア・プランニングの話をされる。
午後、HクリニックでW先生のリハビリ。
ほとんど24時間拘束の状態に、私はいら立ちが募る。
Sは、体の辛さ、幻覚の辛さが先に立ち、私のいら立ちが理解できない。
睡眠不足から、車の運転も辛い。
午前の事だが、Sには、まだやり残していることがあると、看護師に話していた。
それがまた、結局のところ、私を更に拘束していくことは、おそらく言うまでもない。
そして、今日初めて、その訪問看護師に、S自らの、ギャンブル依存の過去や、それによって、愛犬の世話がおろそかになった悔恨が、幻覚の根っこにもあることなどを話す。
そしてまた、Sが階下から私を呼ぶ電話の着信音。もう日付が変わる。排便の為にトイレまで誘導する。眠れない夜の開幕。
今回で灯浮標40回。ゆっくりとはいえ、いつの間にか、である。
Sの自宅売却のことを、メモ書きとして記す。
灯浮標35(2022.4.27)に書いているが、Sのギャンブルによるクレジット破たんで、特定調停から返済が始まったのが、2015年(平成27年)11月。その年の夏7月偈頌運からSは私の家で犬と一緒に暮らすことになる。週1,2回、他都市にあったSの自宅へ私の運転で高速道経由、日帰り帰宅を繰り返していたのだが、Sはもちろん、私にも負担が大きかった。
また、特定調停により返済が始まったにもかかわらず、Sのパチンコ通いは一向に収まらなかった。
金銭的にも厳しい状態が続いていた。結局自宅を持ち続けることは難しく、2018年(平成30年)4月10日、仲介業者を燈して不動産会社(兼工務店)へ売却が成立した。
足元を見られていたというか、結局金額は安かったが、もうそんなことを言っていられる状況ではなかった。団地内に建っていた土地付きのその戸建て住宅は200万円余りで手放すことになったのだった。パーキンソン病のSと共に、その法的手続きなどには全て私が立ち会った。
手続きに際し、Sも知らなかった様ざまな事が分かった。
名義はSの母親とSにあり、既に亡くなっておられたSの母親の戸籍謄本や住民票(取り寄せたり、司法書士さんに頼んだり、Sと私が直接、他自治体の役所に出向いたり・・本当に大変だった。)から、お母様とご主人が共に歩まれた人生の一端も窺えた。(Sの生まれるずっと前の事だが、思いもよらない他県でも暮らしておられたり、ご主人の仕事の関係で中国でも暮らしておられた。)
売却はなったものの、その金額は、お姉様へのお礼金として、また、諸経費や借金の清算に、残りも数か月でパチンコを主とするギャンブルに消えて行ったのである。
これは、特定調停による返済とは別の話である。特定調停による返済は、翌2019年(R1年)9月まで続くのである。その間に愛犬2匹が相次いで旅立つという悲しみも重なる。、
先週6日(金)、もうどうにも体が動かない。
午前中はSの言語リハビリ。N病院へ。
帰宅後、夕方からSの入浴介護で、男性のヘルパーさん。Sも振顫が強く体も動かず。
それでもなんとか言葉がけをしながら入浴させてくださる。さすがである。
そのあと、ヘルパーさんが、嫌がるSをなんとか納得させて、急遽、一旦はケアマネージャーさんに依頼しながらも断っていたショートステイに日曜から月曜までの一泊だけ行くことに。S、どうにかOKを出してくれる。金曜から日曜日までも夜は幻覚に苛まれるS。私はもちろん、圧倒的寝不足。
そしてどうにか、昨日今日と一息。だからといって何もする気にはならず。
ほとんど、ぼーっとしている。
今日、夕方、Sを迎えに行く。
昔書いた詞。不思議と自分では気に入っている。まあ、自己満足の極みだけれど。
「いつもの道だけれど」
作詞:Azmi H Eijima 作曲:Azmi H Eijima、 Kamal
いつもの道だけれど いつもとちがう
足音がする
いつもの道だけれど いつもとちがう
草の実こぼれ
いつもの道だけれど いつもとちがう
ひとりのわたし
いつもの道だけれど いつもとちがう
風に揺れている
いつもの道だけれど いつもとちがう
星くず踏んだ
いつもの道だけれど いつもとちがう
(2019.3.11)