灯浮標49(2022.5.29)パーキンソン病と依存症、或いは・・・・疲労の海に。
数日前、Sと同じパーキンソン病を患っていらっしゃる方から電話あり。
ここのところ、その方は気分も優れず、それで、ふと私宛に電話を掛けられたらしい。
Sより更にご高齢の女性の方で、お一人で暮らしておられ、もうパーキンソン病歴40年になるとか。
それでも、杖を頼らず、なんとか自立しておられるのだが、さすがに、ここのところ、辛さが増して苦しくやりきれないと。その気持ちを何処に持っていけばよいのか。誰に訴えればいいのか。
そして、その相手はとうに自立されて家を出られたお子様やお友達でもないようだ。
パーキンソン病患者で作られた組織(患者会のようなもの:正式名称は書かないでおく)があるが、その方のおっしゃるには、その組織もその組織が年に数回発行する会報も私の悲しみを掬ってはくれないと・・・
いったい、あの組織は私にとってなんなのかと。必要な存在なのだろうかと・・・。
それは、私も部外者ながら、時折思っていたことではある。Sやその介護に明け暮れる私にとって、その組織はいったいなんなのだろう・・・
そんなことも交えてその女性の方と話した数日後、ちょうど、その組織から最新の会報が届いた。
全国の各支部が発行する支部版と全国版の2部、それにちょっとしたお知らせのチラシ。加えて今回は、新年度の会費振込用紙も同封されてある。
会費は、年金生活者の私たちにとっては、決して安価ではない。確かにこの会費を一番の収入とし、あとは広告料や寄付金などで運営されている組織であることは承知ではあるが、やはり、私には安価ではない。
ちょっとネットで調べてみた。公的機関の数字(一応R4 年とあるが)によると、私の県のパーキンソン病患者数は、現在3300人余り。恐らく、ここ数年の数字であろう。数年前まで支部組織におられた方の話ではあるが、私の県の会員は300人に満たないようだ。一割にも達していない。
これが組織の現実であり、部外者ながら、一抹の寂しさを感じる。
それでもSは、新年度の会費は払うつもりのようだ。
また、支部版、全国版の会報を読んで毎回思うことがある。
それは、介護者の視点があまりにも少ない、というか、殆どないのだ。
患者が主体の組織であるからしかたがないのだろうか。それにしても、介護者もまた当事者であると私は思う。
介護者無くして患者の生活は成り立たない。
さらに、負のベクトルには傾かない。
ギャンブル依存症、性依存症、買物依存症など、パーキンソン病では、実のところ、これらの病的依存は深刻である。そしてこれらが全てではないが、介護疲れに加えて、そうした病的な依存が引き起こす様々なトラブルによって、夫婦間や、家族が崩壊していった例を、私は身近にも複数知っている。
しかしながら、こうした問題が会報に反映されることも、私が知る限りない。
そうしたことを、ちょっと組織に近い方に尋ねてみたことがあるが、匿名性が担保されにくいし・・・といった応えだった。その方は、電話相談も受けていらっしゃったのだが、その相談の多くは、圧倒的に患者のギャンブル依存症だったともおっしゃった。(ほんとうに深刻である。)
まあ、当事者のプライドもあるのだろうし、更にうがったことを言えば、会報には多くの医療関係(製薬会社や病院など)の広告があり、それは大事な収入源の一つであり、病的賭博などは、パーキンソン病薬の重大な副作用の一つでもあるわけで、それを特集するなど、なかなか難しいのだろうなあ・・・とも考えてしまう。
それにしてもである。
かつて、その組織の全国大会に数回、介護者としてSに付き添って参加したことがある。ある分科会だったか、確か性的依存症についての問題定義の手が一般参加者から上がったことがあるが、それは議題ではないと司会者に軽くあしらわれた状況を直接見たことがある。だからといって、その問題定義が後日、何らかの形で、会報なりに取り上げられたことは、私が知る限りない。
日々は続く。
今日も日は暮れ、疲れ果て、当事者二人、呆けて行くばかりかも。
繋ぐものを求めているようでいて、実は、それらあれこれを断ち切ることを急いだりもしている。
今日はSの友人が訪ねてくるはずだったのだが、その友人の職場で新型コロナウィルスの陽性患者が出て、急遽、叶わなくなった。Sを散髪に連れて行く。
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