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2011年8月

2011年8月21日 (日)

カワシンジュガイカラスガイカタツムリ

昨夜来の雨が降り続いています。

さすがに、蝉は鳴いていません。

新聞を取りに出たら、割と大き目の蝸牛が、足元に二匹。

こんな雨の日には、山瀬が谷を下り、小川へ土砂を運ぶ。

川真珠貝(カワシンジュガイ)の南限は、広島県の西中国山地奥深くにあるとか。

冷たい清流を好むのだ。

烏貝(カラスガイ)は、日本各地の湖沼、用水路などに生息する、さして珍しくもない貝。

それでも、外見は、カワシンジュガイと似ている。

子どもの頃、沼に入り、それを採って遊んだ記憶がある。

ただ採って、その数を競うだけで、食べた記憶はない。

一個で、子どもの掌いっぱいになるほどの大きさなのだ。

たぶん、カラスガイだったのだろう。

カワシンジュガイは、貝殻の内側に真珠のような光沢があるのだとか。

カの記憶を辿って、思いつくまま、でした。

週間天気予報では、明日も、今日と似たようなもの。

今朝は、ラッキーでした。

蝸牛を踏んだ、その後味の悪さって、ありませんから。

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2011年8月20日 (土)

永久凍土、もしくはA級糖度?!

足が止まったから、その先を見ると、自転車のタイヤが、ぼろぼろに裂けて舗道の隅っこに蹲っていた。

声を掛けてやりたくなるほど、惨めな姿に変わり果てて。

道から仰いでも、その山容は霧で隠れて分からないけれど、阿弥陀山や東郷山、窓が山などが行く手を塞いでいる。

あ~あ、閉じ込められて、生きていく。

この西瓜、あんまり甘くないねえ。

ねえ。

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2011年8月19日 (金)

灯らない燈籠

無残なものです。

里帰りして、お墓参りして、盆燈籠たてて、そりゃあ、お墓も華やぎます。

共同墓地など、盆燈籠の海にお墓が見え隠れして、圧巻。

広島県は、いわゆる安芸門徒と呼ばれる浄土真宗が、圧倒的です。

そして、お盆には、その真宗のお墓に燈籠が立てられます。

赤や黄や青の紙を、天に向かって広がる六角錐の竹の骨にそって貼り付け、金紙の縁取りや、七夕のようなふさ飾りが付けられます。初盆を迎える新仏のお墓には、白色の紙が貼られ、金紙でふちを飾った燈籠が用意されます。

人の背ほどもある竹の支柱で燈籠は、墓石を取り囲むように、そしてその華やかさを競い合うように立ち並びます。

お寺さんに言わせれば、宗教とは直接関係のない、単なる風習とのことですが、実際は、お盆のこの時期の事。宗教、そして信仰と密接に関わりあっていることは、目で見る限り、実感できる事実です。(中には、燈籠禁止のところも、あるようですが。)

その昔、私の田舎では、盆燈籠を立てる家は少なかったような記憶があります。それが、いつの頃からか、街に出ている家族や親戚が盆燈籠を買い求め、田舎の墓へ立て始め、そして、今では、県内、都市部、山間部を問わず、どこもかしこもお盆の風景として、当たり前となり、こうなれば、安芸門徒にとどまらず、それ以外の宗派であっても、お盆には燈籠を立てるところも。

お盆が近づくと、大抵のコンビニでは、盆燈籠が店の中から外まで溢れます。

もちろん、その多くが中国製のようです。

里帰りの車も去り、お盆が過ぎ、そしてこの雨です。

無残なものです。

里帰りして盆燈籠を立てて帰ってしまえば、あとのことは、どうなろうと知ったこっちゃない。

そういってしまえば実も蓋もないのですが。でも・・・。今、この雨の中、車をUターンさせてご覧なさい。

とり残された、老人と、雨に打たれて、骨から皮が垂れ下がった如く、惨めでしょぼくれた燈籠が、無数に、墓の荒野を埋めて、つっ立っています。

あとは、塵となるだけ。

その塵を焼くのは、腰を折りたたんだ老人たちに委ねられます。

それが叶わない墓では、風雨に倒れ、貼られた紙は千切れ、骨は折れ、そのまま月日を数えるだけです。

こうした風習に縁がない私が、くどくど描写しても儚いものですが。

でも、この時期、どこにでもある風景だから。

雨が降り続いています。

雨が、今朝から降り続いています。

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2011年8月18日 (木)

コオロギは夜通し鳴いていたのだろう。

秋雨。

先程から雨脚が強くなったようで、雨音がガラス窓越しに、私の耳に届いています。

シュウカイドウ(秋海棠)、ツリガネニンジン(釣鐘人参)、ユウスゲ(夕菅)、キツネノカミソリ(狐の剃刀)・・・・。

昨日のことだけれど、畦際にオモダカ(面高)。

ちっちゃな白いまるまっこい花の真ん中に、黄色い雌しべ。

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2011年8月17日 (水)

昨日の明日。明日の昨日。

昨日を悔やむ。明日に怯える。

そればかり。

その繰り返し。

ふん。

日常の些事を語るな。書くなって?

サカムケル、コムラガエル・・・・。

唱えては、繰り返す、お盆過迄。

けったいくそわるいわ。

今朝、箒で空をひと掃きしたように雨が来て、

また上がりました。

墨汁のような雲は、なにかに中和され、漂白され、

青空に溶けていきます。

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2011年8月16日 (火)

薄荷雨です。

薄荷の花は咲き終わり、夏の暑さに葉枯れ。

刈り取りました。

鉢植えですから、ほんの一握り。

手には薄荷の香りが残っています。

カンに入った苺やメロンやレモンやぶどう味の飴玉。

でもなぜか、子どもの頃、ハッカの味だけは敬遠していました。

だから、最後には、カンにはハッカ飴ばかりが残っていたものです。

それが、こうして今頃になって、

薄荷味のほうが好みになって。

おかしなもんです。

痰はそうそう簡単に切れる訳ではありませんが、

口の中がすっきりするのは確かです。

そういえば、ショウガ飴も、喉にはいいです。

昨日初めて咲いた、庭のユウスゲ一輪。

今朝はもうしぼんで捩じれています。

飴を舐めながら、水をやったら、

今にもスコールになりそうな雲行きです。

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2011年8月15日 (月)

ヘリコプターの音を消せ!

ひんやりと、風がひと吹き。

足元をコオロギが横切りました。

(友人の咳は止まりません。)

竹林が乾いて、燃え上がりそうです。

あれは、ヒガンバナかなあ。

かゆくて気が付けば、茅で小指を切っていました。

ことしの夏は、夕焼けも朝焼けも、まだ見ない。

嘘だけど。

(やめよう。)

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2011年8月14日 (日)

ペルセウス座行のチケットを一枚。

今日は望月。

満月です。

それでも、流星群は確認できるでしょうか。

この夏、私は、まだです。

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2011年8月13日 (土)

山里は朝もやに包まれています。

まだ朝露が残っている涼しいうちにと、お百姓さんが、たんぼの畦の草刈をしています。

刈り取られた青草の、あのなんともいえない生々しいにおい、私は懐かしくて好きです。

稲穂もほとんど出揃ったようです。

その上をアキアカネの大群が飛び交っています。

まだしっぽは、オレンジ色です。

休耕田は、あれ、菜の花って思って近づいて見たら、月見草の花で埋め尽くされています。

まるで稗田の休耕田もあります。

首輪の外れた犬が、駆け回っています。

後ろから足の歪んだ老人がひとり、引き綱と首輪を手に、犬を追っています。

犬は、遊び気分で、老人から着かず離れず。

そんなお盆の十三日です。

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2011年8月12日 (金)

浴室のお掃除です。

「かび〇〇」とか、「バス〇〇」とか、そういった種類の浴室掃除専用の洗剤、カビとりや漂白剤など、からだが受け付けないのです。

特に、気管支&気管が敏感で、そういったものを使うと、からだが不調を訴え、あとが色々めんどうで大変なのです。

それで、基本、洗顔石鹸をたわしやスポンジにこすり付けてお掃除です。

壁など高いところから床、浴槽など低いところへ移動しながら、すってんころりを気をつけながら掃除していけば、まあ、まずまず、なんとか、いつものことなので。

そんなこんなで、石鹸まみれになりながら、浴室を掃除しました。

疲れました。

でも気持ちええです。

掃除のあとさき、そのまんま、からだを洗えるのも、石鹸を使うメリットです。

はだかのからだに優しいお掃除です。

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