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2011年8月

2011年8月11日 (木)

庭の千草

朝、五時前に目覚めて、カーテンを開けると、

山の尾根沿いに並ぶ鉄塔に灯が点っています。

今日は、墓参です。

これから出かける準備です。

高速道を使ったって、片道、2時間以上はかかるのです。

内陸部も猛烈な暑さが続いているから、午前中には済ませたい。

お墓掃除もしなくちゃ。

庭には、朝露が降りています。

葛の花が咲き始める頃です。

萩の仲間でしょうか、ピンクの花が、濡れています。

それにしても、早朝なのに、もう、蝉時雨。

ごくろうさんです。

じゃ、行ってきますよ。

久しぶりに、弟夫婦たちもやってくる予定です。

えっ?現地集合ですよ。

空に、青が差してきました。

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2011年8月10日 (水)

この夏、最高の暑さかも。

寝苦しい夜でした。

日付が変わる頃でも、室内気温28度。

迎え火を焚いても、

誰も帰っては来ません。

だから、

己が名を呼んでみるくらいです。

灯りを消しても、

見えないものは見えない。

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2011年8月 9日 (火)

立秋

昨日は立秋。

半月がくっきりと浮かんでいました。

そして、長崎原爆忌。

長崎へ行ったことがあります。

長崎にしては珍しく豪雪の、真冬でしたが。

深く落ち込んだ港に幾艘、幾隻もの船が浮かんでいたのを覚えています。

そういえば、広島市長は、8月6日の平和宣言で、原発に言及するものの、そこに、明確な意思表示はありませんでした。

この逃げ腰は、情けない。

「情」を語ることは必要ですが、「意思」もまた述べなければ平和宣言とはならないと、私は思います。

彼は、いったい誰に何を宣言したのだろう。

「平和」という日本語にある「和」。

この「和」には、中国語では、英語でいうところの「And」の役割が与えられています。

唐突ですが、

ならば、日本の現実もまた、「平和」ではないようです。

私と、私の外部と、そして世界と、

その間は、断ち切られ、深く落ち込んでいる。繋がってはいない。

そう、実感します。

もちろん個人的な、感傷です。(ざわざわと心が浮ついて騒いで)

8月9日の朝、蝉が鳴き始めています。

(100000万年蝉って、いないです。)

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2011年8月 8日 (月)

七浦

対向車が来たら万事休す。

岬の細い道を海へ下っていきます。

僅かな家が、海からほんの少し入った猫の額ほどの平地に軒を連ねています。

その集落の背後には、目を凝らせば荒れ放題のみかん畑が確認できます。

ちっちゃなちっちゃな海水浴場です。

沖の飛び込み台で歓声を上げている子どもたちの姿があります。

車を運転した友人は、昔、子どもを連れて数回来たことがあるそうです。

私は、確か、今回で2回目、かなあ。

駐車場で1000円払い、平日無料の桟敷で、日差しを避けて、海を眺めれば、

遥かに、そして、朧に豊島大橋でしょうか、ゆったりと弧を描いて、

海を渡る道が確認できます。

生温い海水にクラゲが漂っていました。

視界から、全ての音が消えていきます。

私は海に浮かんで、空を眺めていました。

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2011年8月 7日 (日)

サルスベリ

「百日紅」は「ひゃくにちこう」で、「サルスベリ」ってルビを打つのはなんだか変だと。

「サルスベリ」は「猿滑」。同じ木に与えられた二つの名前でしかないのだから。

(でも、どーでもええやん)

園芸品種なのか、最近、サルスベリには白やピンクの花もよく見かけます。

それもそろそろ盛りを過ぎる頃です。

それから、ウィキペディアによりますと、「百日紅」は「ヒャクジツコウ」と読むそうですね。知らんかったです。まっ、私はこれまでどうり。どうでもよろし。

なんて、ぐったり、ぐーたらな夏が終わります。

それにしても、今日のブログも、スベリ気味。

菊芋の花が咲き始めました。

昔、お盆の墓参りには、束ねた菊芋の花を持っていったものです。

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2011年8月 6日 (土)

青桐の木の下で

きみのブログはなんだか暗いねと、ある人から言われました。

きみのブログは静かだねと、言ってほしかった。

でも、このままのスタイルで書き続けるつもりです。

朝、ジョギングをしようと玄関の扉を開けました。

蝉が仰向けに転がっていました。

鳴きつくし、子孫を残して、生を終えたのかな。

蝉の抜け殻、あるいは現世とかいった意味ではなく、

魂の飛び去った、これもまた、うつせみ。

久しぶりに短歌をアップします。

一ヶ月近く前に詠んだものです。

   青桐のさやさや心皮(しんぴ)は舟となり

   あなたを乗せて朝(あした)の空へ

                              ~沼田鈴子さんの旅立ちを悼んで~

                                                          (2011.7.14)

雲の切れ間に青空です。

これで今日のブログを書き終えるつもりだったのですが、

さっきまた、玄関先へ出てみたら、仰向けの蝉の位置が微妙にずれているのです。

で、試しに、そっと、その蝉の羽をつかんだら、

羽をばたつかせるものだから、あわてて手を離すと、

そのまま蝉は、庭の草むらに姿を消したのでした。

そういうことです。

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2011年8月 5日 (金)

ノウゼンカズラ

いつも通る道からは、ノウゼンカズラの花を楽しむことが出来ます。

その家の庭には、2階の屋根より高く松の木が聳えていて、

その幹といわず枝といわず、ノウゼンカズラが巻き付いています。

7月半ば頃から、花が咲き始め、

今では、見事に満開。

まるで、松の木がオレンジ色に燃え上がっているようです。

それに引き換え、

我が家のノウゼンカズラときたら、

植えてもう10年にはなると思うのですが、

枯れた樫の木に巻きついているものの、

一向に花は咲いてくれなかったのです。

それが今年、やっと、三輪ほど蕾を付け、

今、一輪だけ咲いています。

日当たりも余り良くないですし、仕様がありません。

放射性廃棄物の安全性と、危険性ついて、様々な視点から私たちに問いかける、ドキュメンタリー映画「100000年後の安全」。

広島サロンシネマでの上映は、本日限りです。

フィンランドでは、高レベル放射性廃棄物の埋蔵施設が、地中深くに建設され続けています。

そこに、フィンランドの原子力発電所から出た高レベル放射性廃棄物が、100000年後の安全を目的に、貯蔵されるというのです。

その場所は、通称「オンカロ」(隠された場所)と呼ばれています。

私たち人類にとって、「100000年後」という数字は、どんな意味を持つのでしょう。

体が、芯から冷えていく映画です。

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2011年8月 4日 (木)

宵の三日月

月齢4.3 。

旧暦7月5日。

月の出10:11 。

月の入21:40 。

夜7時過ぎ、山の端に、三日月がかかっていました。

優しくほんわか輝いていました。

日中のこの暑さ、いつまで続くのでしょう。

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2011年8月 3日 (水)

窓を開ければ。

夜のうちに雨が降ったようです。

庭が濡れていました。

さしたる出来事はありません。

霧が山の頂へ向かっています。

昨日気付いたのですが、

アセビの木には、早くも蕾が出来つつあります。

咲くのは、来年の早春なのに。

アセビは、馬酔木と漢字を当てますね。

葉に毒素があり、食べた馬が苦しむからということです。

草食哺乳類は、一般に食べないようです。

花には、仄かな香りがあります。

そう、来年のことですが・・・。

こんな話、

誰か笑いますかね。

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2011年8月 2日 (火)

A:胡瓜の花は黄色です。

ガードレールわきのアスファルトを破って、蕎麦が一本生えています。

1メートル近くの背丈でしょうか、りっぱなもんです。

その蕎麦の白い花が満開です。

そこからガードレールを少し辿れば、河内原谷川に、橋が架かっています。

橋の名前は、境橋。プレートには「さかえばし」と書かれてあります。

折り返します。

ジョギングから帰って、テレビをつけると、

ジョセン、ジョセン・・・・と、呪文のように。

シャワーを浴びます。

除染でも除霊でもなく、ただ、洗い流すだけ。

そんなふうに、体が濡れていくのです。弾くことなく。

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