医療・福祉 Feed

2023年5月26日 (金)

G7HIROSHIMAの茶番。

と言えば言い過ぎなのだろうか。

あの喧騒から数日経った今、溜息と怒りと空しさ、そうした感情がうすら寒く湧いてくる。

彼ら権力者たちは結局のところ、原爆資料館見学や原爆慰霊碑献花を単なるセレモニー化して、HIROSHIMAを利用し、悪く言えば核抑止論を正当化したようなもんだ!と思えてくるのだが。

ウクライナ大統領来広に熱狂する市民たちを遠く眺めながら、私は、武器供与を要望する大統領と握手を交わすG7メンバーにある種の嫌悪感を覚えた。

例えば、ウクライナ大統領を呼ぶのであれば、無理を承知の上でもロシアや中国を招待するとか、そうした「実績」だけでも残すことは出来ただろうに、結局はあれである。

優れた記事がある。中国新聞2023年5月21日付第一面の署名記事「「広島ビジョン」に値せぬ」だ。それを読みながらぶつぶつあれこれと、思った私である。

2023年5月20日 (土)

ささゆり一輪、野に挿して・・・

2023年5月19日金曜日。夜は明けたけれど、どす黒い雨が降っている。

道を叩く雨粒にしぶきが上がり行く手を遮って激しく降っている。

ああもう5月が過ぎて行く。

警護車両に守られてトラワレビトたちの列が続く。

ブルース!

アイルランド、キルデア郡の5月はまだ寒く、セーターにコートは必需。

彼の祖先が眠るとか、

ラタンガンの教会で

橋のたもとで

雲の行方を見つめる。

その先に、歌が響くのだ。

 「ささゆり一輪、野に挿して」

           作詞:AZMI 作曲:KAMAL

朝(あした)に草刈れば

光はとび散り けものは潜(ひそ)む

ささゆり一輪、野に挿して

あなたの香りは

時の忘れもの 野の悪戯(いたずら)よ

ささゆり一輪、野に挿して

ささゆり一輪、野に挿して

野に挿して

(2020.6.17)


YouTube: 「ささゆり一輪、野に挿して」(試作2)lulu&tonys

2023年5月16日 (火)

`灯浮標8.(2023.5.16)パーキンソン病患者の低血圧、傾眠と対処など。

先週水曜日の低血圧による意識消失についてはこのブログ灯浮標7に投稿しているが、それからの経過など。

Sは、その後も、食事や排便などの後、強い傾眠状態に陥る。

それはほぼ毎日。ここ数週間はそうした傾向が強く、医師に話しても、季節柄、或いはSの長い闘病歴などから、致し方も無い、難しい局面で在ろうと言う話になるのだが。

なかでも、日曜日もかなりな状態に陥った。

水曜日から数日を待たずで、どうしたものか。

日曜日は、すこし多めに血圧の変動もチェックしてみた。

5月14日日曜日

(朝8:00) 111~78 脈拍67

 (9:00)  73~49 61 指先冷たく酸素量測れず。

 (9:30) 130~57 53

 (11:30) 117~74 61

(午後4:00) 102~70 85 酸素濃度96

  (8:00) 119~71 58

5月15日月曜日

(朝7:30) 140~102 61

 (9:00) 93~67 59

特に日曜日の朝食後9時時点での数値が低すぎる。ただ、水曜日とは異なり、意識はあり、マットレスに横たわらせると30分程度で血圧は上昇した。

いずれにしてもこの血圧の波は問題。

月曜日午前はヘルパーさん、午後はN病院で言語リハビリ。それから区役所での用件を済ませて、かかりつけ医のMクリニックへ。

タリージェを夕食後2.5㎎だけ飲むことに。減薬して様子見。

原因はそれだけではなく複合的、かつパーキンソン病歴20年近いその事実に直面しているというわけなのだろうが、先ずはこれでしばらくやってみる。

それにしても、Sの傾眠は多くなったし、頭の覚醒しない時間が増えた。私とのコミュニケーションもうまくいかないことが多い。

将来に亘って不安。もちろん、私の介護体力、その気力も落ちてきているわけで。

2023年5月14日 (日)

中村憲吉忌(2023.5.5)を過ぎて。

私の本棚から手にした「中村憲吉歌集 斉藤茂吉・土屋文明選」(岩波書店)で、命日が数日前の5月5日だったことに気づく。

歌人中村憲吉<1889年(明治22年)1月25日~1934年(昭和9年)5月5日>は私の通った高校(旧三次中学)の大先輩で、中村の在学当時、倉田百三と共に校友雑誌「白帆」を編集、投稿もしていたらしい。

数年前、三次市布野町の生家を改造した中村憲吉文芸記念館を訪ねたことがある。

庭に一本のアララギ。濃い緑が輝いていた。

晩年、広島市郊外の海辺で療養もしたとか。没したのは尾道。

憲吉の初期の歌を一首。

明治41年「竹」から、

  月の夜を霧に濡れたる竹垣のひかるが上に吾が影行けり

そして晩年(昭和9年)の作品から一首。

  悲しみが心に沁みて亡き君を夜々に夢みて寝がたかりける

広島はG7開催を前に厳戒態勢。

巣篭りとまでは行かないけれど、市中に出る気は無し。

2023年5月11日 (木)

続・灯浮標7(2023.5.11)意識消失、血圧測定不能の果てに。

改めて、Sはパーキンソン病である。発症して20年近くになる。

要介護5認定。

10日、午前10時半から男性ヘルパーさんによる入浴介護。

1時過ぎから食事。お好み焼きを作ってやる。ぺろりと完食。

ふと気がつくと、1時45分ごろには傾眠状態。

いつもの事と思っていたが、なにか気になり、食器洗いなど後片付けが済んだ2時15分ごろ、Sを揺するが反応がない。垂涎、若干の吐瀉物。

血圧を、腕を替えて何度か測るがエラーばかり。起立性低血圧かと思うが不安が募る。

オキシパルメーターは97から95程度。瞬間80になることも。

脈拍は56から70程度。鼻の下に手をあてがうと、ほぼ規則的に息をしている。

それでも、いくら呼びかけても全く反応がない。体がぐったりしている。

訪問看護師ステーションに電話。代表が出るが担当看護師とは繋がらない。

Sをとりあえず車椅子からなんとか降ろし、マットレスに横たわらせて、足を高くしてやる。

Sの体調をよく知っておられるW先生に電話。留守電に状態を話して置く。

3時、訪問リハビリのI先生定刻に来られる。

症状を話す。先生が血圧を測られるが、下が低すぎてとれない。

救急車を呼ぶかどうかの瀬戸際、

何度か呼びかけをしているうちに、Sが反応し始める。

反応がゆっくりと強くなってくる。顔に赤みが戻る。

I先生から訪問看護師のYさんに電話繋がる。

駆けつけて下さることに。

血圧、上は100ちょっと、下は50台まで戻る。

取り敢えずは、大丈夫だろうと。

最近、傾眠状態が日中多い。

数日前の月曜日、かかりつけ医受診。Sの足の痛みが強いので、

リリカ錠の代わりにタリージェ錠を処方。朝夕の食後に服用することに。

この影響があるのかとも思うが、分からない・・・・。

取り敢えず、夕食後だけ服用することに。

看護師さんからかかりつけ医のM先生に伝えてもらうことに。

そのまま夜はベッドで就寝。

深夜、軟便。

朝、まずまずの体調か。

血圧は144~96.脈拍56。体温は35.6度。Sの場合は、まあ、普通である。

看護師さん、今朝も来られる。

今日は1日安静にしといたらと言われるが、歯医者の予約、新コルセットの出来上がりがあり、Sは行くという。

私の疲れも酷いのだが・・・・

午前、歯医者受診。左上奥歯に被せる。虫歯治療終了。

午後、Hクリニックへ。新しいコルセット装着、W先生リハビリ。

昨日の事を話す。先生は脱水ではないかと。圧倒的に水分不足か。

この季節、不調を訴えるパーキンソン病患者、非常に多いと言われる。

昨日の今日。さすがに疲れた。

記憶を辿ると、ほぼ一年前にも、Sが低血圧で意識を失うことがあった。

このブログの以下の日付に記録を残している。

*2022年4月26日(火)付

<灯浮標34(2022.4.26)パーキンソン病と血圧、日内変動など。>

この前後各十数日を含めて読めば当事者及び介護者の置かれていた当時の状況も分かる。

また、

2022年5月19日(木)付

<灯浮標45.(2022.5.15)>パーキンソン病と不眠、むずむず症候群、そして若干の経過メモ>もそれに関連している。

2023年5月 7日 (日)

続・灯浮標6.(2023.5.7)振顫振顫振顫振顫心痛!!パーキンソン病なれどされど。

昨日5月6日は立夏。一年早いなあ・・・・

その日、Sは一泊のショートステイだったのだが、朝、いざという時になって行かないと言い出す。

私は土曜日午前中に、眼科に行く予定あり。ここ一週間右目の痛みが続いていた。

午後は私の友人と一か月ぶりに会食予定も。

困り果てる。

どうしようもなく、Sのお姉様に電話をして、Sを励ましてもらう。が、それでもなかなか難しい。

お姉様に電話を掛ける前に連絡(留守電)していたケアマネージャーさんが急遽駆けつけて下さる。

ケアマネさんがなだめすかし・・・・少しずつSの心がほぐれて行く。

体の振顫が次第に治まって行く。

予定の時間より遅くなったが、ショートステイにSを私の車でやっと送り届ける。

Sの病気は、精神と深く関連している(と私は思う)のだが、パーキンソン病は神経内科での受診が一般的である。

このカテゴリー分けは、私には甚だ疑問だ。

ただ、パーキンソン病の当事者(たち)には、かかりつけ医が精神科ではなく、神経科ということになるという、その現実がある種の意味を持つ(のだろう)。ここに、パーキンソン病当事者や家族、介護するものにとっての、病気と向き合う上での、”やっかいな問題”も介在している。

さて、私は、どうにか午前中に眼科へ。眼球に植物の極小さな種子のようなものが貼りついていたらしい。無事に取り除いてもらえた。一瞬で痛みが消えた。放置していた緑内障の検査の予約をする。

それにしても、Sとのこれからも続く暮らしに不安が募るばかり。

2023年4月26日 (水)

続・灯浮標5(2023.4.27)HSPのことなど。

以前、これについて投稿したような記憶も不確かながらある。

最近よく聞く言葉に、HSP(Highly Sensitive Person)がある。巷では「繊細さん」などと呼ぶこともある、らしい。Sはどうもそれに近いような気もする。

シンプルに言えば、自意識が人一倍強く、メンタルが壊れやすい。心理学上のカテゴリーらしい。

ふと思う。Sが60歳で退職(最後の3年間は有給病休だった。)し、それから1年足らずで病的賭博に嵌まり、更にはネット詐欺に遭い、退職金はもとより全てを失う。数年後には家も手放したわけで。そして私の家に同居し借金を四年にわたって返済し、愛犬2匹を我が家で看取り、2019年9月借金完済、直後胸に膿が溜まる病気で約1ヶ月の入院。歳明けて新型コロナが蔓延。昨年2022年9月には、わたしとS ほぼ同時に新型コロナに感染。まあ、HSPにもなるよなあ・・・・などとも思うのだ。

だが、ちょっと違うのだ。自らが傷つく事には敏感(センシティブ)だが、他者に対してはそうでもなく、時にはある種「鈍感力」を発揮してしまうのだ。

私も、それに打ち負かされることは多々。全くもって困ったものだ。

(こうした傾向がパーキンソン病患者にある程度共通しているかどうか、言い切ることは出来ないのだが、私の周囲のパーキンソン病患者には、比較的そうした傾向があるような気がしてならない。)

2023年4月 5日 (水)

4月5日清明節。お昼前からぽつぽつ、雨。

昨日は、以前から医師に勧められていた、心臓エコーを撮りにクリニックへ。

経胸壁心エコー、結果は相変わらず僧房弁から血液の逆流が若干みられるものの、日常生活には支障なしとのこと。

また、心電図はこちらも針が触れるところがあるものの、これも以前からの事で大丈夫。

胸部X線画像も問題無し。

また血液検査から心不全の恐れも無し(NT-proBNP値は基準値18.4より下)。

医師からは、年齢的に心臓は鍛えられないし年相応に無理のない生活をしていればいいと言われる。年に一回程度はエコー検査を勧められる。

今日4月5日は、清明節。と言う訳ではないのだが、先日に続いて短歌一首。

 石走る谿間を行けば家廃れ

 山桜かな山桜哉     永洋(2023.4.3)

私なりの山水画の世界です。

下の句の詠嘆「山桜哉」だけが三十数年前(!!)から脳裏にあり、それを使いたくてその言葉だけを長く反芻していたのですが、数日前、久しぶりのジョギング中に、すんなりと全体が出来上がりました。まあ、万葉集にあるこの季節の枕詞を使った素直極まりないそれですが。

2023年4月 2日 (日)

降りしきる涙も痛し清明夜 一人の寂寥二人の孤独。(永洋)

音楽家 坂本龍一さんが、先月、3月28日(火)に71歳で亡くなられました。心からお悔やみ申し上げます。

短歌、近作四首をここに記します。(永洋)

降りしきる涙も痛し清明夜

一人の寂寥 二人の孤独   (2023.2.18)

  *清明は4月5日ですが詠んだのは2月。まあいいか、です。

情よりも術を知りたし日々のこと

懲りず怒らずあなたと暮らす (2023.3.8)

急かされて蕗の薹摘む蓬摘む

天から降りし母と並んで   (2023.3.18)

問われれば沸き立つ花の苦しくて

ソメイヨシノの春は嫌いと  (2023.4.1)

2023年3月16日 (木)

大江健三郎の訃報を知って。(日差しの中で、記憶は見真講堂から遠く。)

ネット検索によれば、広島市中町に曾てあった見真講堂は1998年閉館と、中国新聞の記事にある。その見真講堂で開催された大江健三郎(1935~2023)と井上光晴(1926~1992)の講演会に出かけたことがある。大江健三郎が「洪水はわが魂に及び」(1973年 新潮社刊)を、そして井上光晴が「心優しき反逆者たち」(1973年 新潮社)を出版して、おそらく数年後か或いは直後、私が20代半ば、大阪から広島に帰ってすぐだったか・・・(いや、大阪へ出る直前か?)。講演会の内容は、もうほとんど全くというほどに覚えてはいない。ただ、大江が「ヒロシマノート」(1965年 岩波新書)に言及し、井上が「虚構のクレーン」(1960年 未来社刊)に言及し、とりわけ虚構と事実、事実と真実に執拗な程に拘っていたような記憶が、あるにはあるが、その具体的な内容は全く覚えていない。(付け加えれば、人選からして、それぞれの近著出版元である新潮社主催だったかもしれないが、確証はない。)

さて、大江健三郎がこの3月3日午前3時過ぎに亡くなった。新聞記事には老衰、88歳とある。今、微かな人生の記憶と押し寄せる様々な重力の洪水の中で、私は、しばし感慨にふけった。感慨にふけるぐらいは許せるだろうと、自答しながら。

道を挟んで見真講堂のほぼ向かいには宿泊施設「法華クラブ」(ホテル法華クラブ広島が正式名称のようだ。それは今もそこに在る。)があった。そしてその道のどちら側かを、どういう経緯だったか高校時代の同級生W君と歩いたことがある。W君とは拠って立つ思想信条が異なっていたような気がするが、それは高校生時代の事、私に限ればいい加減不確かであいまいなそれであった。だが、W君のその磁場は私には及ぶべくもない強固なものであったような。夏だったのか日差しが暑く、そして強かった。私たちは日に晒されながら歩いていた。私に歩調を合せてくれていたW君が、ふと私に「日陰を歩けばいいのに」と言ったのだが、その彼の一言だけが私の記憶の底に沈んで今も剥がれない。同じその頃と言っても講演会からは数年後だったと思うが、いずれにせよかなり遠い。もう遥か遥かのことである。

話が外れた。・・・決して氏の熱心な読者ではない私が最初に読んだ作品は「死者の奢り」(1957年、文学界初出)。それから幾つかの作品を読んだ。そして今日までに距離は随分と離れてしまっていたのだ。願わくば、高みにて静かな日々を送られますように。

「大江健三郎さん死去」のトップニュースが載った同じ中国新聞第1面(2023年3月14日(火)付)には、並んで「袴田さん再審決定(13日)」の記事がある。袴田巌さんは現在87歳。その歳月の果てしなさ!!一日も早い再審開始と、無罪判決を!(尚、東京高検が最高裁に特別抗告の方向で検討との記事が中国新聞17日付にある。権力の横暴に言葉を失う。)