2022年7月 2日 (土)

灯浮標53(2022.7.2)パーキンソン病の日乗とか。(宝くじ購入年間記録付)

ほぼ半月ぶりのブログです。

とはいっても、さして状況が大きく変化したわけでもなく、ただ、梅雨明けと同時に日々の熱波。

ここのところ35度前後の酷暑です。

Sは,自律神経の変調もあってか、体温調節がままならず、脱水に要注意の毎日です。

幻覚幻聴は無くなったわけではないが小康状態。むずむず脚症候群も継続ながらピーク時ほどではない。

ただ、体が最近、動かない時間帯が増加。所謂オフが多くなりつつある。

週2回~3回のデーサービス。月2回の一泊二日のショートステイ。

訪問リハビリも週2回。

通所リハビリは言語が週2回。身体リハビリが隔週1回ずつ。

他に訪問看護が月1回。

ヘルパーさんが週1回。

訪問入浴介護が週1回。

かかりつけ医へ月1回。

そうそう、先方の都合で、ケアマネージャーが8月から変わるとのことで、7月は引継ぎで新しい方がお見えになるとか。どうなることやら。

さて、

Sの、宝くじ、ロト、スクラッチ、購入記録、前回、灯浮標32(2022.4.25)付ブログで2021年6月から12月までの記録を投稿していますが、今回、2022年1月から6月までの購入記録を投稿します。これで、年間の購入の凡そが分かります。

<2022年1月~6月>

購入額:120700円(1か月平均20116円)

(尚、3月末、ボーナスポイント等で42000円分購入している。購入総額は162700円となる。)

当り額:8900円(1月から6月までの合計)

実質負け:111800円。(1か月平均:18633円の赤字)

購入回数67回。

因みに、昨年6月から12月までの数字を再掲する。

購入額:105800円(1か月平均17633円)

(ボーナスポイント37200円。購入総額は143000円)

当たり額:7600円(6~12月)

実質負け98200円(1か月平均16367円赤字)

購入回数64回。

(13か月合計)

購入額:226500円。(1月平均17423円)

(ボーナスポイント等で79200円。実質購入総額:305700円)

当り額:16500円。

実質負け:210000円。(1か月平均16156円赤字)

購入回数:131回。

先月26日、久しぶりに馬券を買う。(宝塚記念)

まぐれで3000円が12000円余りになる。9000円程度のオン。

さて、7月。今朝がたも2度Sに呼び起こされて、あれやこれやの介護作業。

夏バテ注意ではある。

7月10日。Sと私、4回目の新型コロナワクチン接種予約済。

2022年6月16日 (木)

灯浮標52(2022.6.16)パーキンソン病とむずむず脚症候群。

ここ一ヶ月余り、Sの幻覚症状が全くなくなったわけではないが、だいぶ落ち着いてきた。

ただ、それと入れ替わるように、確かこのブログで以前にも触れたような気もするが、むずむず脚症候群(レストレスレッグス症候群)がひどくなった。

医師やリハビリの先生に話してはみたが、なかなか有効な治療法がない。

ネットでも検索をしてみる。

遺伝的要素が半分。あとは様々な原因が考えられるようだ。

例えば鉄分の不足。そして、パーキンソン病薬の長期服用による副作用。などなど。

多く、ドーパミンに起因するらしい。が、よく理解できない・・・・。

Sは、熱い蒸しタオルで脚に圧をかけて欲しがるが、それも一時しのぎ。

また、ふくらはぎをサポーターで締め付けて見たり・・・

鉄分の多く含まれた食品は、わりかし食べてはいるが、まあ、そればかりという訳にも。

未明3時前、Sの呼ぶ声に起こされる。脚のむずむずに絶えられなくなったようだ。

排尿にも失敗して、シーツが濡れている。

昨夜から未明にかけて二度起こされている私のいらだちがつのる。

処置をして、ベッドに寝かしつける。

そして、うとうとしながら朝。

メモ)先日、6月12日(日)。久しぶりに訪れた友人とSと、そして私との3人で植物公園に出かけた。終日暑く、人出も多かった。2時間余りの滞在だったが、Sは友人の押す車椅子で終始ほとんど眠っていた。それから数日体調を崩した。週半ば、やっと体調が落ち付いて来た。が、むずむず症の方は、あいかわらず辛いわけで・・・

2022年6月 6日 (月)

灯浮標51(2022.6.6)パーキンソン病と日常。

6月2日。かかりつけ医に、4週間に一度の定期診察。

一日に服用するマドパー錠を9錠までに処方。

睡眠薬(デエビゴ錠)は5mgで処方。

幻覚の話。次第に少なくなりつつあること。

夜中、なかなか熟睡できないこと。

排尿が上手くいかず、シーツなどが濡れることは、日々。

それでも、パーキンソン病ならではなのかも。

どうしても、日内変動、オンを基準に活動するので、介護者は疲れる。

(メモ)

ふと思うことがある。

医療関係者は、例えば、患者のむずむず症候群など、熱い蒸しタオルでむずむずを抑えてやることは、当事者が望むならそれをそうしてやることを勧めるが、そうしてやるのは介護者であり、してはやりたいが、夜中、何度も起きれるものではない。(結局は、就寝前とか、朝方には、出来る範囲で対応してはいるが・・・。)

介護者はロボットではない。しかも一人で何もかもやっている。結局先に潰れるのは介護者である私。

他にも、あれがいい、この器具がいい(たいていお金が派生する)と勧めるが、視点を変えて、介護者に、あれはしなくていい、そこまでしなくてもいい、とかの提案はまずない。せめてプラスマイナスで提案してもらいたいものだ。

少なくとも、介護の現場を直接知っているヘルパーさんや、訪問看護、訪問リハビリの方は、そうしたあれをやってごらんなさいなどといった提案はしない。介護者の負担をよく知っておられるからだ。反対に、大丈夫ですか、少しでも休んでおきなさいといってくださる。そのさりげないちょっとした声掛けで少しは救われる。

人は、そうしたもの。

灯浮標を書き始めてそろそろ4か月になる。ちょっと休みたい。

自らの行く末を考える。

2022年5月31日 (火)

灯浮標50(2022.5.31)パーキンソン病と病的賭博。そして、日をまた跨いで。

なんだかんだでSの家を出るのが11時を過ぎることは度々で、

高速道のPAのコンビニでカップ麺を買ってそこでお湯を注いで、

コンビニの外に在るテーブルに陣取って、

カップめんを啜る頃には日付がかわる。

そんな日常が、まだほんの十年前のこと。

酷い時には1日おきにSの家に通った。

半ば放置されたSの飼い犬2匹の暗く狭い部屋の、

おしっこシートを片付け、新しくしてやる。

二匹のリードを持って散歩してやる。

おとなしく、賢く、私にもよく慣れていて、愛しい。

だから余計にその部屋や、家の惨状が見るに辛かった。

待っても帰らないSを探してその街のパチンコ屋を片っ端に捜し歩いて、

運よく見つかれば、そこで、帰ろう、あと少し諍い。

パチンコ屋で、勝手に私が大声を出して、胸ぐらを掴む。

それでもSは閉店まで粘ろうとする。

連れ帰ったら連れ帰ったで、Sの家であれやこれやと・・・・

早く帰れたとしても、高速道を運転中にSから金が足らないからと、せがむ連絡。

根負けして、高速道を途中のIC経由でユーターンも一度や二度ではない。

パチンコでぼろ負けして、路上で動けなくなり、救急病院に担ぎ込まれたり、

他都市まで遠征して帰れなくなり、代わりに飼い犬たちにエサをやりに私が車を走らせたり。

Sが免許証を返納したのは、小さな自損事故が続いて、その危うさの自覚からだが、

直接的には、別に用意していた車検費用までギャンブルに使い込んだこと。

家は荒れ、心は荒み、私との関係性も破たんし、

絶望の先には絶望しかなく。それでもそれを実感していたのはたぶん私の方で、

それが病的賭博の底深い闇の世界。

ほんの十年前の事だ。あれから程なくSは破産的状態になり

私の家に犬たちとSを引き取って。

それから、私の街でのパチンコ通いは、コロナ禍前の、

ほんの数年前まで続く。

絶望は何処まで行っても絶望。

時化の海にかろうじて見え隠れしている、消えることのない灯浮標。

その灯り一つに導かれて、生きて行こうとしては見るのだが。

私は老いた。

Sも私とは異なるスピードで老いていく。

ちょっと話は脱線するが、

Sは昔、sの街で、パーキンソン病患者たちの互助組織のような集まりの世話役をしていて、

数か月毎に、その街の福祉会館のようなところで、お互いの近況報告や、

テーマを決めて、講師を呼んで、お話を聞いたりしていて、

そのお手伝いを私がしていたこともあり。

ある時、講師の先生が、その会の参加者に、

もしパーキンソン病が治ったら何がしたいですかと尋ねられた。

するとその場にいた患者それぞれに、果たせないでいる旅行や趣味など夢を語っていったのだが、

そこに誰一人、休むことなく介護している妻や、或いは夫、家族をひと時解放してやるとか、共に旅に出るとかは、無かった。

心が辛くてしょうがなかったあのときの私の何とも言えない感情を、

あれから十年以上たった今でも忘れられない。

パーキンソン病患者の決して全てではないのだが、

その先生がおっしゃるには、「我欲」とか、ほんの僅かでも捨てられたら、

もう少しは心持ちが楽になるのだろうに・・・と。

現状、パーキンソン病は、その多くは神経内科で診察を受ける。

だが、精神科との連携も必要ではないかと・・・私は思う。

昨日は、Sをかかりつけ医に連れて行った。

少し処方薬が減った。

国の特定難病指定による、様々な補助や免除で、かろうじて生活は続くのだ。

例えひと時穏やかになろうとも、容易に灯りは見えない海が目の前に横たわっている。

2022年5月29日 (日)

灯浮標49(2022.5.29)パーキンソン病と依存症、或いは・・・・疲労の海に。

数日前、Sと同じパーキンソン病を患っていらっしゃる方から電話あり。

ここのところ、その方は気分も優れず、それで、ふと私宛に電話を掛けられたらしい。

Sより更にご高齢の女性の方で、お一人で暮らしておられ、もうパーキンソン病歴40年になるとか。

それでも、杖を頼らず、なんとか自立しておられるのだが、さすがに、ここのところ、辛さが増して苦しくやりきれないと。その気持ちを何処に持っていけばよいのか。誰に訴えればいいのか。

そして、その相手はとうに自立されて家を出られたお子様やお友達でもないようだ。

パーキンソン病患者で作られた組織(患者会のようなもの:正式名称は書かないでおく)があるが、その方のおっしゃるには、その組織もその組織が年に数回発行する会報も私の悲しみを掬ってはくれないと・・・

いったい、あの組織は私にとってなんなのかと。必要な存在なのだろうかと・・・。

それは、私も部外者ながら、時折思っていたことではある。Sやその介護に明け暮れる私にとって、その組織はいったいなんなのだろう・・・

そんなことも交えてその女性の方と話した数日後、ちょうど、その組織から最新の会報が届いた。

全国の各支部が発行する支部版と全国版の2部、それにちょっとしたお知らせのチラシ。加えて今回は、新年度の会費振込用紙も同封されてある。

会費は、年金生活者の私たちにとっては、決して安価ではない。確かにこの会費を一番の収入とし、あとは広告料や寄付金などで運営されている組織であることは承知ではあるが、やはり、私には安価ではない。

ちょっとネットで調べてみた。公的機関の数字(一応R4 年とあるが)によると、私の県のパーキンソン病患者数は、現在3300人余り。恐らく、ここ数年の数字であろう。数年前まで支部組織におられた方の話ではあるが、私の県の会員は300人に満たないようだ。一割にも達していない。

これが組織の現実であり、部外者ながら、一抹の寂しさを感じる。

それでもSは、新年度の会費は払うつもりのようだ。

また、支部版、全国版の会報を読んで毎回思うことがある。

それは、介護者の視点があまりにも少ない、というか、殆どないのだ。

患者が主体の組織であるからしかたがないのだろうか。それにしても、介護者もまた当事者であると私は思う。

介護者無くして患者の生活は成り立たない。

さらに、負のベクトルには傾かない。

ギャンブル依存症、性依存症、買物依存症など、パーキンソン病では、実のところ、これらの病的依存は深刻である。そしてこれらが全てではないが、介護疲れに加えて、そうした病的な依存が引き起こす様々なトラブルによって、夫婦間や、家族が崩壊していった例を、私は身近にも複数知っている。

しかしながら、こうした問題が会報に反映されることも、私が知る限りない。

そうしたことを、ちょっと組織に近い方に尋ねてみたことがあるが、匿名性が担保されにくいし・・・といった応えだった。その方は、電話相談も受けていらっしゃったのだが、その相談の多くは、圧倒的に患者のギャンブル依存症だったともおっしゃった。(ほんとうに深刻である。)

まあ、当事者のプライドもあるのだろうし、更にうがったことを言えば、会報には多くの医療関係(製薬会社や病院など)の広告があり、それは大事な収入源の一つであり、病的賭博などは、パーキンソン病薬の重大な副作用の一つでもあるわけで、それを特集するなど、なかなか難しいのだろうなあ・・・とも考えてしまう。

それにしてもである。

かつて、その組織の全国大会に数回、介護者としてSに付き添って参加したことがある。ある分科会だったか、確か性的依存症についての問題定義の手が一般参加者から上がったことがあるが、それは議題ではないと司会者に軽くあしらわれた状況を直接見たことがある。だからといって、その問題定義が後日、何らかの形で、会報なりに取り上げられたことは、私が知る限りない。

日々は続く。

今日も日は暮れ、疲れ果て、当事者二人、呆けて行くばかりかも。

繋ぐものを求めているようでいて、実は、それらあれこれを断ち切ることを急いだりもしている。

今日はSの友人が訪ねてくるはずだったのだが、その友人の職場で新型コロナウィルスの陽性患者が出て、急遽、叶わなくなった。Sを散髪に連れて行く。

2022年5月27日 (金)

灯浮標48(2022.5.27)パーキンソン病とパーキンソン病薬長期服用の事など。

最近、Sがマドパーを服用しても、容易にオンにはならないことが多い。

長くオフ状態が続く。

私なりにネット検索などしてみるが。

2006年の発病以来、もう長く様々なパーキンソン病薬や、それに合わせて必要と医師が思われた薬を処方され・・・それはもう驚くほどの種類と量になる。

特に、レポドパ製剤の長期服用による、ディレイドオン(delayed-on)現象(服用しても薬の効果が中々現れない)、また、これはずいぶん以前からなのではあるが、ウェアリングオフ(wearing-off)現象(薬の効果が長続きしない現象)が顕著のような気がする。

また、現在は日中3時間おきぐらいに服用しているのだが、薬が一向に効いたようには見えず、ノオオン(no-on)現象もあるような気がする。

なかなか難しい。医師には相談してみるのだが・・・。

ジスキネジア(筋強剛からの発現なのか?)は多少治まってはいるようだが、これから先どうなるか油断はできない。

特に、夜のむずむず症がひどく、熱い蒸しタオルで対応するが、私の身が持たない。私の睡眠不足が続く。

これまで、睡眠時に、本人の不安感もあって睡眠薬(デエビゴ錠)2.5mg一錠を服用することが多かったのだが、かかりつけ医の処方通り2.5㎎2錠(合せて5㎎)服用することを常態化させてみようと思う。

取り敢えず昨夜はそれで、今朝方まで、まあまあおとなしく眠ってくれて、激しいむずむず状態や不眠、幻覚は無いとは言えないものの少なめで、私もどうにか眠れた。

が、疲れの蓄積からか、私の頭痛が昨日から酷い。倦怠感も深い。・・・・

午前、言語リハビリ。夕方、訪問入浴有。

2022年5月26日 (木)

三刀屋から斐川沿いの道をひた走って、出雲大社へ。2022年5月22日。

子どもの頃、両親と何度も筒親の運転で通った懐かしい堤防道路。

あれから何十年経った今もさして変わってはいない。

思い立って、古いお札を納めに出雲路を大社まで。

前回お参りしたのは2020年8月21日。ただあの時は閉門間近の夕方。

ゆっくりできなかった。

改めて、古いお札の入った袋の中に、、初穂料の受領日付。平成26年11月9日とある。

もうあれから7年近くが経つ。

変な印象なのだが、今回、拝殿がなんだかこじんまりとした佇まいに感じられた。子どものころから、両親に連れられて、或いは友人と、また一人で、もう、何十回もお参りした社なのだが、こんな印象は初めての経験だった。なぜなのだろうか・・・・。などと。

コロナ禍の中ではあるが、それなりの人出。

お参りを済ませて、生姜糖をお土産に買い求め、黄金の穂波が揺れる麦秋、晩春の出雲路を、浜田方面に車を走らせた快晴、一人ドライブ。

温泉津、大田、江津、浜田、波子の海岸には人はまだ疎ら。畳が浦に立ち寄って、浜田からは、国道で県境を越えた。

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2022年5月25日 (水)

灯浮標47(2022.5.25)パーキンソン病と睡眠障害、幻覚、排尿の事など。

5月23日夜から24日朝にかけて、またもSの幻覚がひどい。加えて脚のむずむず症がでて、朝方までSも私もほとんど全くと言っていいほど眠れず。Sは、1時間から2時間おきぐらいに私を呼び続ける。その度にレンジで蒸したタオルで、脚や股、脇、お腹などを拭いてやる。

口げんかも激しい。心身の疲れはピーク。

それでも、24日はデーサービスへ何とか連れて行く。

24日夜は、比較的おとなしく眠ってくれた様子。私は疲労からいつの間にか眠ってしまっていた。

翌日25日。朝方、S自分で衣類を脱ぎシャワーへ。

リビングで眠って居たのだが、防水シートもマットレスも、尿を吸い込んでいる。

尿瓶は二つとも利用している。

リビングを拭いたり、大物を洗濯したり、着衣を補助したり。朝の段階で疲労困憊。

午前、ヘルパーさん1時半。午後、訪問リハビリ。

2022年5月23日 (月)

灯浮標46(2022.5.23)パーキンソン病&ショートスティ。

Sが我が家で同居するようになって、最初の数年は、年に1回一泊だけショートスティを利用してもらっていた。それは私が毎年秋にマラソン大会に参加しており、同行が無理なためだった。

それから、やっと昨年末あたりから、月に一度のショートスティを納得してくれるようになった。

それでもなおかなり抵抗感があるようだ。いちばんの原因は夜中の排尿介助や入浴、そして最近では幻覚など。そのたびにスタッフの手を煩わせなければなあらない。これがSには、抵抗があるわけで。

普段は、私がそれらすべてを一手に担っているわけで。私のレスパイトの意味合いが、ショートスティにはある。これがSにはなかなか理解できない。

直近では5月21日から1泊二日の22日まで利用した。

今回も夜、幻覚もあり、それなりに大変だったようだが、どうにか凌げた。

20日の言語リハビリでは、ここ数日は幻覚の若干治まりつつあると先生に話していたのだが、その20日金曜日夜から21日朝に掛けては、再び幻覚がひどく、朝はまた排尿もうまくいかず、マットレスからシーツ、着衣まで濡れてしまった。

まあ、あまり期待し過ぎても・・・・・ということか。

昨日22日夕方、ショートステイから帰って、同じパーキンソン病の知人と電話で話す。

たわいもないことだが、そうしたことが大事なのかとも。

結局5月はショートステイを2回利用した。

6月からは月2回の利用をローテーション化する予定で、本人も一応は納得しているのだが、果たしてどうなるか。

2022年5月19日 (木)

灯浮標45(2022.5.19)パーキンソン病と不眠、むずむず症候群、そして若干の経過メモ。

今から十数年前になるのだろうか。Sがパーキンソン病との告知を受けて数年後。

Sは、かかりつけ医や知り合いの患者に勧められるまま、期待を胸に県外のH県立リハビリ専門病院に約1ヶ月入院した。そこはパーキンソン病専門の病院ではなく、所謂リハビリテーションの総合病院だった。脳梗塞や交通事故、そしてさまざまな難病を抱えた患者が入院しており、もちろんパーキンソン病患者もその中に含まれてはいた。

私は、Sが入院して一、二週間後にお見舞いに行って見たが、私の第一印象は今一つだった。施術の様子も見たが、パーキンソンを意識したものとは思えず、全ての患者に同じようなリハビリを行っている様子。しかもひと昔のスタイルというか、がんばれがんばれなのである。まだ圧倒的に若い療法士が補飛んで、臨床経験が豊富とは思えず、療法士自体もパーキンソン病に対しての深い知識や経験があるようには見えなかった。

私は、直観的に何かしら不安を覚えて、すぐに退院を促したことを今でもよく覚えている。

果たして一か月後、退院時には、パーキンソン病に加えて、脊椎間狭窄症の病名もつけられており、コルセットを装着、状況は全く芳しくなかった。入院時は自分の運転で3時間での往路も、復路は、6時間以上かかってSの自宅へ辿り着く有り様。

帰って来てから、地元の複数の整形外科病院で再検査をしてもらうと、脊椎間狭窄症はまだコルセットを付けるほどのことはないと言われる始末。だが、もう後の祭り。

あの入院が後々までSの病状とその進行に影を落とすことになる。腰痛は進行し、歩行もふらつき、すくみ足などが顕著になる。

以前も書いたような気もするが、もう一度、時系列を整理しておく。

2003年(平成15年)8月6日:Sの愛犬、先代Rが17歳で死去。

2005年(平成17年)4月末、私の母が自宅で朝転倒。そのままほぼ寝たきり状態となる。

2006年(平成18年)1月:かかりつけ医による診断書では、S,この年の1月がパーキンソン病の発病となっている。

2006年(平成18年)8月22日:私の父、76歳で死去。(直腸癌)

(SがH県立リハビリテーション病院に約1か月入院したのは、おそらくこの期間(2006年~2007年)のどこかだったと思われる。それが秋も深まりつつある11月ではなかったか。お見舞いに行ったとき、山々は紅葉がすでに深かった。)

2008年(平成20年)11月21日:Sのお母様、91歳で死去。(間質性肺炎)

2010年(平成22年)1月9日:私の母、79歳で死去。(誤嚥性肺炎)

2013年(平成25年)5月12日:友人の愛犬Pちゃん死去。(その友人のお父様もほぼ同時期に亡くなっておられるようだ。)

2014年(平成26年)3月:S定年退職。(定年までの3年間は病気の為に休職。)

2014年(平成26年)4月23日~27日:Sのシンガポール旅行に私も同行。シンガポールでは、S,カジノに入り浸る。この年、友人とマカオにも言っているが、同様にカジノ通い。

(この頃、H県立リハビリ病院で知り合った男性からのお金の無心がたびたび。Sはそれに断りきれず何度か幾らかを送金している。最後は私が電話での無心にSに代わって断っている。それ以降は連絡なく結局返却も無し。その男性もギャンブルによる負債があったようだ。)

2015年(平成27年)7月:Sの多額のカードローンによる債務超過が発覚。(大きな原因の一つとして、見知らぬ人物からのネット詐欺による負債もあった。)既にギャンブル依存症は深刻な状態にあった。 S,我が家で同居。相前後して、このころ、警察、刑事、探偵事務所(私の知らないうちにSだけの判断で多額の無駄金を出費している。)、弁護士、検察庁、簡易裁判所、ギャンブル依存症関係のボランティア組織など、本当に様々な方面とのコンタクトが途切れることなく続き、そのほとんどに私も関わる。

2015年(平成27年)11月:S,特定調停による返済が始まる。

2018年(平成30年)1月28日:Sの愛犬R、14歳で死去。

2018年(平成30年)4月10日:Sの自宅売却。

2019年(令和1年)8月7日:Sの愛犬T、13歳で死去。

2019年(令和1年)9月1日:S,特定調停による返済完了。

2019年(令和1年)10月末:Sの肺に異常が見つかる。検査入院を経て、膿胸で11月19日から12月21日まで一か月余り入院。(寛解は翌2020年2月)

2019年(令和1年)12月:中国武漢で新型コロナウィルス(Covid-19 )による肺炎が発生する。

2022年(令和4年)2月:かかりつけ医をY医院からM医院に変える。

*かかりつけ医を変えた頃から幻覚が次第にひどくなる。

追記:

2015年11月からSの特定調停による返済が4年間にわたって始まるのだが、その間もSのパチンコ通いは一向に収まらなかった。却って激しさを増したと言ってもよいぐらいだった。時には馬券もそれに加わる。引っ越してきた私の街のパチンコ店は大方全て行っているのではなかろうか。

Sの家と土地を売却して得た少しばかりのお金も、多くはパチンコに消えて行った。

パチンコには自分がバスやタクシーで出掛けるのだが、大概は返れなくなり、私が迎えに行くことも多かった。当然ながら口げんかも絶えず。

パーキンソン病薬がもたらす病的賭博だけではなく、Sの元々の家庭環境や資質も幾分かはあったのではとも思える。因みにSが幼いころ、商店をやっていたSの家では、宝くじも扱っていたらしい。そういうところからか、昔から「くじ」が好きだったようでもある。

特定調停の返却作業は全て私が行った。パーキンソン病であるSにはその作業自体も困難であり、ギャンブルから抜け出せていなかったSにとって、お金を動かすこと自体もリスクを伴っていた。

パチンコ通いが激減するきっかけは、膿胸と新型コロナウィルスの蔓延であろう。これがなかったら、事態はどうなっていたことか。

追記2:ここのところ、Sは、幻覚に加え、いわゆるむずむず症に悩まされている。パーキンソン病の薬による副作用の一つとしてポピュラーなものではあるらしいが。また、病気に関係なくお年寄りにはこれに苦しんでいる人も少なくは無いらしい。これが不眠の原因の一つともなっているようだ。