JogTan.38
母親も家をも捨てる覚悟無く
春蝉が這う復路の桜
(2011.4.7)
母親も家をも捨てる覚悟無く
春蝉が這う復路の桜
(2011.4.7)
車を避けて振り向けば
霧に白い太陽が浮かんでいました
(2011.3.22)
数日前に気づいたのだけれど、ジョグの途中にある家、空き家になっていた。ついこの間まで、初老のお母さんと息子さん(たぶん)と猫が暮していたはずだけど。
誰もいなくなった家の庭先で、白梅が満開。椿の蕾も膨らんでいた。
あっけないもんだ。
昨日は、清明節。
中国ではお墓参りの風習があります。
この季節、命が、穏やかに、首をゆっくりともたげ、
空気が清々しく流れ、宇宙を明るく満たしていきます。
そんな気分を「清明」という文字に託したのでしょうか。
永かった春は終わり、
人は野遊びへ。
田仕事も本格的に始まる頃です。
俳人、細見綾子の代表作から一句。
「再びは生まれ来ぬ世か冬銀河」
心に突き刺さります。
明け方、寝床からもぞもぞ抜け出して、空を見上げれば、まだ、冬の空気に星座が・・・。
今日は、晴天になりそうです。
黒島伝冶「渦巻ける烏の群」(岩波文庫「渦巻ける烏の群 他三篇」所収)。再読。
初めて読んだのは、もう30年近く前になるでしょうか。
これは、1927年の作品です。昭和に直せば、昭和2年。
去年、脚光を浴びた「蟹工船」と肩を並べる、重要な作品だと思います。
短編ですが、その世界は、遥か広く、深く、厳しい。
戦争の本質を衝く、反戦小説です。
そして、人間の存在のなんと儚く、哀しいことか。
春になり、雪が溶け、空を埋めて渦巻く烏の群。その下の大地に横たわるもの。
それを想像するとき、今の、日本が重なります。
私は、テレビから垂れ流される東日本大震災の映像を前に、思うのです。テレビが果たす役割の、なんとむなしいことか。
その、唯一の存在価値は、それが、臭いや空気や、冷たさを、決して正しく伝え得ないことにあるのではないだろうか、と。
もし仮に、彼の地の臭いがリアルに伝わるならば、視聴者の多くは、テレビの電源を切るのでしょうか・・・。
(なぜ、こんなことを私が妄想するか。それは、それこそが、あの死亡者、行方不明者を実感する、入り口になるのではないかと思うからです。)
蝉の声で、目が覚めました。
庭に出てみたら、真っ赤な朝顔の花が開いていました。
朝露が花びらの真ん中で輝いています。
去年より3週間近く遅く、
さくらんぼの花が咲き始めました。
あるお店にて。
なんでもないことで、激怒してしまった。
哀しい。
なんでやろう。
「演歌は国境を越えた~黒人歌手ジェロ 家族三代の物語~」小堺正記著(岩波書店刊)読了
戦後日本の歩んできた道を、演歌歌手ジェロとその家族の歴史を辿ることで検証しようとしたノンフィクション。
日米の関係性、そして、これから日本の果たすべき役割も示唆している。
(新刊(2011.3.23発行)であるが、もちろん東日本大震災以前に書かれたものである。)
悪戯に
土の匂いは優しくて
土食む子らに春が近づく
(2011.3.13)
野上弥生子「野上弥生子短編集」(岩波文庫)より「哀しき少年」。
50年近く、記憶の底で、忘れることの出来ない小説。