2025年6月22日 (日)

明け暮れて夏至。

朝10時過ぎ、Sをショートステイに送り出した後、いつもの往復3.5キロコースを軽くジョギング。

それから、太極拳教室へ。

帰路、スーパーで買い物。帰宅は夕方5時半。

今日6月21日は夏至。まだまだ明るいし暑い。

遅い昼食をとって、近くの湯治場へ。

夜8時半ごろ、別の温泉場へ向かう。目的は温泉ではなく今日から始まったホタル祭り。

ところが、強烈な混雑、大渋滞。これではホタルも怯えて光るものも光らないのでは。

一人、車の窓から祭りの喧騒を眺めれば、殆どが家族連れかグループ、私のようにお一人さんは皆無。結局どこの駐車場も満杯で、まあまた来ればいいやと、Uターン。

ホタルの光に亡き人の魂のようなものを重ねれば、わざわざホタル祭りには現れないか、などと、一人納得したわけで。

明日は朝のうちにSを迎えに行く。sの友人がやってくる。

つかのまのリラックス。夜10時過ぎて一人晩飯を食べていると、気持ちがすーっと軽くなって行くのを実感する。やはり、休息が必要なのだ。本当に・・・。ここ数日続く強い痛みの口内炎も、心なしか安らいだ感じ。

夏至の一日がもうすぐ終わる。

まだ備蓄米を買ってはいない。並んでまで買う時間そのものが私にはないし、その元気もない。

権力者のパフォーマンスに踊る庶民、悲し。(本当に切実に必要な人に、おいしく安いお米を届けるのが政府の仕事ではないのか!)

2025年6月15日 (日)

続・灯浮標45。幻覚幻聴の果てに。

夜9半ごろ、階下のリビングに置いたベッドで眠っているはずのSに、導眠剤と明日朝の薬を用意するために、階段を下りてみると、Sがベッドにいない。リビングにもいない。

廊下の先、上がり框の上で転倒している。外で音がしたので確かめようと、外に出ようとして、バランスをくずして倒れたようだ。幸いけがはしていない。

私は、肩の腱板断裂で手が思うように動かないのだが、ヘルパーさんや看護師さんをこんなに遅く呼ぶ気にもなれず、なんとか引き摺り挙げて歩行器を持たせて立ち上がらせる。

本人は嫌がるのだが、どうにかベッドに寝かしつけた。

これからを思うと、気が重い。

やるせない。Sには私の介護の大変さなどまったく思いもしていないのだろう。

初めてのことではないが、本当につらい。

Sは、こうして、自分の運命を閉じて言っていることに気づいてはいない。

パーキンソン病患者のあるある的な出来事である訳なのだろうが、それにしても・・・・

2025年6月14日 (土)

続・灯浮標44.ヤール5の憂鬱と現実。

今年度(R7)の特定医療費(指定難病)受給者証更新手続きのため、かかりつけ医に作成してもらった臨床調査個人票。

その項目のなかで、重症度分類は、昨年度までのヤール4から今年度は最も重いヤール5(介助なしにはベッドまたは車いす生活)に。

Sはそれなりにショックを受けたようだ。

今週の火曜日夕方から、Sが体調を崩す。咳、痰、発熱など。夏風邪をもらったようだ。

訪問看護師に来てもらい、かかりつけ医に薬を処方してもらう。

熱は一番高い時で38.4度まで。土曜日朝やっと熱も36.8度とSの日ごろの平熱にまで下がり体調回復に向かう。ただ咳は時折ある。

デーサービスに行ってもらう。

この数か月、昼間もなかなか覚醒せず眠り続けることが多くなった。

幻覚は相変わらず。

私の体の不調(両肩腱板断裂など)もあり、介護に伴う疲労がいつも以上に激しい。

2025年5月27日 (火)

肩の疲労。(2025,5.)

一昨年春の右肘。昨年春の右肩。そして今年5月の右肩。過去2回はいずれも注射治療。

2週間余り前から左肩が痛み始め、今週に入ってからは右肩も痛み始める。で、結局痛みはひどくなるばかりで、今日5月27日(火)、これまでと同じ、Hクリニックを約1年ぶりに受診。

X線撮影の結果、左肩、右肩ともに、腱板断裂。

昨年は右肩の腱板部分断裂だったが、今回は腱板完全断裂との診断結果。

担当の院長からは、当面は両肩に注射治療。好転しない場合は手術しかないといわれる。

悩ましい。(手術しても、結果、高齢や日常生活のあれこれを加味して、完全に良くなるとは思えないし。それに、入院、通院リハビリ、数か月はかかるらしい・・・)

本日の注射:

右肩、左肩ともに関節腔内注射:

カルボカインアンプル注1% 5mL 1管

デカドロン注射液1.65mg 0.5mL 1管

(2週間後に再診、注射予定。)

打った直後は、痛みが和らぐものの・・・・。

2025年5月19日 (月)

今日、昨日、一昨日。

振り返るほどに、日々は疎し。疎らに生える季節の野草や道の石ころ。

アスファルトは剥げて穴ぼこだらけ。そんな田舎の小径をジョギングしながら、胸のつかえにシックハックなわけで。

今月17日が誕生日だったからというわけではないけれど。

(さて、メモ書き。忘れないように。最近心に引っかかった単語の羅列。)

*アグロフォレストリー、農業(Agriculture)+林業(Forestry)

*シェーグレン症候群

*全身性エリテマトーデス

*関節リューマチ

*ロビノウ症候群

*「ピンク・トライアングルの男たち~ある同性愛者の独白」(独)

*平良愛香「LGBTQとキリスト教」

*山代巴「原爆に生きて」

*コレオプシス(キンケイソウ(金鶏草)、ジャノメソウ(蛇目草)、ハルシャギク)

2025年5月 4日 (日)

続・灯浮標43.眠る男。(或いは眠り続ける男。)パーキンソン病の執着と終着。

先日、SとSの友人と、私の運転でペット霊園まで、かれこれ一年以上になるだろうか久しぶりに墓参した。ペット霊園にはSの飼っていた愛犬3匹、Sの友人の愛犬1匹が眠っている。我が家からは高速道のアクセスもなく、途中の休憩も含めて約2時間ほどの道のりだ。往路は、後部座席を倒してフルフラット状態にしてSを寝かせた。良い天気で、Sも現地ではちゃんと合同墓にお参りもできた。問題は復路。ペット霊園近くの焼き肉店で遅めのランチをとり、こんどはSが助手席に座りたいというので座らせはしたのだが、それから2時間、全く起きない。多量の涎がたれ続けている。揺さぶっても声をかけても全く起きない。状態としては、起立性低血圧、突発性睡眠、或いは気絶。そんな様子なのだ。ただ、顔の血色は良く、脈も60程度ある。途中コンビニで休み、どうにか2時間余りをかけて自宅に着いた。直後の血圧は80~53。到着まもなくSは目覚めて、自分の足で歩行器を押して家に入ることができた。こうしたことは初めてではないが、やはり不安になる。

医師や看護師に話すが、そうそう解決策はない。パーキンソン病によくある症状ではある、らしい。帰路、ずっと助手席に腰かけていたのが、直接的にはまずかったのか。(医師によれば、血流、或いは水分が下半身に下がって体調に影響を及ぼした可能性あると。)座席に座るのは、過去の経験からしてせいぜい1時間以内か。それ以上はやはり後部席をフルフラットにして寝かせる方が無難なようだ。

今年に入って、日中、眠り続ける時間が圧倒的に増えたような気がする。また幻覚も連続して昼夜を問わない。やがては、我に返ることもなく、ほとんど毎日を眠り続けることになるのだろうか。それでも本人は、まだまだやりたいことがあるようなのだ。その執着は強い。

Sは昨日から2泊3日のショートステイ。深夜2時過ぎにSから要領を得ない電話。ショートステイ先のスタッフさんに電話をかけ、Sを見に行ってもらう。6時前、再びSから電話。どうも夢か幻覚の世界にいるようだ。

私は、眠れない。

2025年4月27日 (日)

続・灯浮標42.iPS細胞のパーキンソン病での治験&パーキンソン病の皮下注療法。

新聞発表によると、「人の人工多能性幹細胞(iPS細胞)から作った神経細胞をパーキンソン病患者の脳に移植する治験で、6人中4人で運動症状が改善し、効果が示唆された・・・・と、京大チームが発表した。」(中国新聞2025年4月17日(木曜日)付)とある。更に「住友ファーマ(大阪市)は再生医療等製品として国に製造販売承認を申請する方針・・・」だそうだ。

翌4月18日付中国新聞に「パーキンソン病 皮下注療法も選択肢」との記事。「2023年に保険適用された「持続皮下注療法」は、ポンプで薬を24時間注入することで、症状を抑える効果が長続きする。・・・、一長一短はあるが外科手術や胃ろうを用いる従来の治療法と比べて体への負担が少ない・・」(広島、福島生協病院山脇医師談)とある。

一方、従来から「DBS(脳深部刺激療法)」や「経腸療法」が、薬の効果が弱くなった進行期治療としてある。Sは、以前通院していた医師から、脳に穴をあけて電極版を埋め込む「DBS」を勧められたが、それはやらなかった。

4月19日(土)広島市内で、「パーキンソン病講演会」が開催された。これは、毎年開催されている、パーキンソン病友の会や製薬会社等の共催によるもの。

今回は、転倒と骨折、リハビリなどが主なテーマであった。また、この会は毎回「DBS」を勧める傾向が強い。そうした治療を勧める医師が講演をすることも多い。今回はその「DBS」を採用した患者の体験発表があった。

当たり前と言えば当たり前なのか、ここで、「DBS」による負の側面は、殆ど全くと言っていいほど、語られることがない。それでは不安は払拭されない。と、私は、思うのだが。実際、「DBS」によって思うほどの効果が得られなかったり、新たな困難に直面した患者の話を聞いたこともある。それを勧める病院とそれを勧めない病院・・・。

合わせて言えば、こうした講演会や友の会会報などで、患者を直接支える介護者、家族の苦難を語られることは、まずない。もちろん、薬剤の副作用的側面も強い「ギャンブル依存、性的依存、買い物依存、性格気質の亢進」、更には薬剤の過剰投与などについても、言及されることはない。そうしたことへの眼差しは、ない。そこに私は、無念、静かな憤り、むなしさを覚える。結局のところ、医師、企業の・・・と。云々。

付記;

今回、昨年に続いて、講演会の休憩時間に、Sとパーキンソン病のかつてのコーラスグループ有志による歌が、ステージ上で披露された。SはOFF 状態だったが、なんとかやり遂げることができ、その点については達成感があったようだ。私もサポートで、ステージに久しぶりに立った。

2025年4月 8日 (火)

厭桜記(仮)

昔はそうでもなかったのだ。昔と言ってもいつからと特定できるものでもないのだが、ここ数年、そして年ごとにそういう気分が増しているのだ。そう、昔ほど好きではない。この季節、街を野を埋め尽くす、溺れそうになるほどの桜の花の海に、私は辛い。むせかえるようなそれから逃げ出したいくらい。

桜の花の洪水に、大して侘びもなければ、雅趣もない。桜の名所と言われるあちらこちらでは花見客たちが桜の幹を芯に渦を巻く。車も人も渋滞する。ゴミは散乱し、アルコール類のアルミ缶は桜の根元に蹴り寄せられている。

安吾も由紀夫も嘗ては(遠い十代に)読んだけれど、今は、この時季の桜が嫌いだ。

なんでこうも人は桜を植えるのか。桜でも植えとけばなどと、中には安易なものもあるのではとも思う。

ま、永く守られている桜の古株はべつだが・・・。

それにしても、手入れのない荒れ果てた山塊や野に咲きこぼれる桜を見るにつけ、なんだか、むなしくもある。

それでも、山桜は咲いている。(山桜は、好き嫌いから除外しよう。)

山桜の足元に咲く、躑躅の赤赤とその見事さ鮮やかさ逞しさ、しなやかさにこそ惹かれる。

今、街ではソメイヨシノが散り始め、八重桜が満開だ。

2025年4月 1日 (火)

続・灯浮標41 パーキンソン病を食い潰す、ギャンブルという悪魔。

改めて。

Sがパーキンソン病と医師が診断書に書き込んだのは、2006年1月。Sはまだ50代初めだった。

あれから20年近くが過ぎる。

仕事を早期退職するその前から、地方競馬や中央競馬、海外(韓国、シンガポール、マカオ)のカジノに囚われてしまう。前後してパチンコにも入りびたるようになる。

それがすべてパーキンソン病によるものとは言えないかもしれないが、パーキンソン病薬の服薬が引き金になっているのは疑いようがない現実。

ギャンブルで、住む家も、お金も、人の信頼も失ったSを、そのギャンブルが生涯にわたってSの精神を蝕み続けるのだろう。

2025年3月28日 (金)

続・灯浮標40 パーキンソン病と突発性睡眠。

3月19日(水)午後、Sとカラオケ屋へ。駐車場に車を入れたが、S,助手席で意識消失状態。いくら体を揺すっても全身の力が抜けた状態で反応がない。5分程度たって、ふいにSは我にに帰った様子で立ち上がり、歩行器を押してすたすたとカラオケ店内に入っていく。

3月24日(月)ショートステイ先で、早朝トイレの中で動けなくなっているのをヘルパーさんに発見され、スタッフ二人がかりでベッドに移したと。

3月25日(火)午後、デイサービス先でカラオケの最中、意識消失。スタッフさんがベッドに横たわらせたと。(血圧の上は130程度あったと。)

こうしたことが、ここ最近たびたびある。訪問看護師とも話したが、パーキンソン病患者の代表的な症状の一つ、突発性睡眠とみられる。

また、27日(木)朝、ベッドで、リハビリパンツの中に大量の排便。ベッドの上で始末できるところまでして、それからどうにかSを浴室まで歩行器で歩かせて、介助しながらシャワーを浴びさせるものの、処置が本当に大変だった。大量の洗濯物、疲労感・・・。そういえば、先日は車いすに乗った状態で、無意識の状態で排便をしたことも。

この時期は、季節的なこともあるのか、パーキンソン病患者はだいたい身体的にも精神的にも不安定な人が多いと看護師が言われるが・・・。先週、医師とも話したのだが、対応が難しい。

幻覚幻聴は相変わらず激しい。特に深夜から朝にかけて、連日犬や人が出現している。