厭桜記(仮)
昔はそうでもなかったのだ。昔と言ってもいつからと特定できるものでもないのだが、ここ数年、そして年ごとにそういう気分が増しているのだ。そう、昔ほど好きではない。この季節、街を野を埋め尽くす、溺れそうになるほどの桜の花の海に、私は辛い。むせかえるようなそれから逃げ出したいくらい。
桜の花の洪水に、大して侘びもなければ、雅趣もない。桜の名所と言われるあちらこちらでは花見客たちが桜の幹を芯に渦を巻く。車も人も渋滞する。ゴミは散乱し、アルコール類のアルミ缶は桜の根元に蹴り寄せられている。
安吾も由紀夫も嘗ては(遠い十代に)読んだけれど、今は、この時季の桜が嫌いだ。
なんでこうも人は桜を植えるのか。桜でも植えとけばなどと、中には安易なものもあるのではとも思う。
ま、永く守られている桜の古株はべつだが・・・。
それにしても、手入れのない荒れ果てた山塊や野に咲きこぼれる桜を見るにつけ、なんだか、むなしくもある。
それでも、山桜は咲いている。(山桜は、好き嫌いから除外しよう。)
山桜の足元に咲く、躑躅の赤赤とその見事さ鮮やかさ逞しさ、しなやかさにこそ惹かれる。
今、街ではソメイヨシノが散り始め、八重桜が満開だ。
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