薄っすら、夜明け。
今日も、始まるね。
いや、もう、とっくにはじまってるよ、とうの昔から、ずっと、ね。
今日も、始まるね。
いや、もう、とっくにはじまってるよ、とうの昔から、ずっと、ね。
珍しく、棗の実がスーパーに出ていました。
人差し指の先ぐらいの大きさなんです。
日に焼けて、熟れています。
甘酸っぱい、リンゴみたいな味かなあ。
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昼間は、それなりに暖かいのですが、
日が傾くと、ほら、もう、足元から寒気が上がってきます。
今日10月8日は旧暦の8月23日。二十四節気で、「寒露」と呼ぶそうです。
露も凍りそうな寒さの訪れです。
昨日7日は、私の中国語の先生(留学生)に誘われて、
広島YMCAの文化祭をのぞいてみました。
その留学生のバザー。羊肉の串焼きが美味しかった。
香辛料が、独特。クミンとか振りかけてね。
今、中国、タイ、ベトナム、ロシア、アメリカなどから日本語を学びに来ているとか。
多彩です。
そういうわけで、共通言語は日本語。
おじさんはちょっぴり若さが懐かしく、ウラヤマシの眼差しでありました。
さてと、日暮れです。これでも、聴こう。
ジェロさんの「やんちゃ道」!
http://www.youtube.com/watch?v=EPdf_IHMmzk&feature=colike
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PS:
昨日2012年10月5日のこと。
広島の県北。中国山地の懐深く。
母の生家へは、大方、47、8年振りになるだろうか。
最後に行ったのは小学校の高学年の頃か。
記憶が曖昧なのだが、当時は車も通れない山道を行ったわけで、
車での今回は、道も違う。
それでも、その集落の最寄りの郵便局で道を確かめれば、当時と大差は無く、
途中から車を置いて、歩いた方が無難という。
対向車は先ず無いだろうけれど、怖い、らしい。
で、その郵便局から片道5キロの道を、恐る恐る。
山ひだのつづら折、上り、下り、曲がり、くねくね、うねうね。
目的の集落へあと1キロ足らずで、車を道端へ寄せ。
谷の底の道を、荷物を下げ、歩いた。
出会う人はなく、捨てられた家が点在していて、或いは、家も無く、
その、道の果てに、視界が開けて、母の生家がある。
私のいとこにあたるおばちゃんが、
庭先から私を見つけ、私が手を振ると、
坂道を下って、細道を小走りに来る。
薄い記憶ではあったけれど、当時とほとんど同じ風景の中に、
ぽつんと、一軒。
悔しいが、胸がいっぱいになった。
数十年の距離は飛び、
記憶が「上書き」されていく。
「ふいに思い立って。また機を逃すと、ね。母の間際までの心残りだったから」
「お母さんに似てきたねえ、あんた」
世間話をして、時間が過ぎ、話が途切れる。
母の両親と母の兄弟の何人か、
おばちゃんの連れ合いやら、おばちゃんの両親やら、
そして母方の一族が眠る墓地へと、
おばちゃんに案内をしてもらう。
おばちゃんは、持っていった花を挿してくれて、それから、
あんたが車を寄せたところまで見送るからと、私の先を行く。
それから、おばちゃんは手を振り、道の果てへと坂を下っていった。
今日の曇りではなく、青空がどこまでも広がっていた昨日で、よかった。
私は、帰る道すがら、切り通しの岩肌に咲いていた野の花を手折った。
画像の花がそれ。
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台風17号が近づいているけれど、
どうなるんだろう。
中国と日本、国交正常化40年。
まだ、40年足らずだから。
そりゃ、色々あるよね。
魯迅がこう言っている。
我以为国民倘没有智,没有勇,而单靠一种所谓「气」,实在是非常危险的。(鲁迅「坟·杂忆」1925年)
「国民が、もし知恵もなく、勇気もなく、一種のいわゆる「気(いかり)」にのみ頼るならば、それはあまりに危険すぎる。」(魯迅「墳・雑憶」1925年)
<「魯迅の言葉」監訳:中村愿、平凡社刊>より。
画像は、数日前から香り始めている、庭先の金木犀(金桂)。
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