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2024年9月 4日 (水)

続・灯浮標33.パーキンソン病と幻覚の朝。ほぼ徘徊初期?

日付が変わった9月4日午前2時過ぎ。ふと目覚めて、Sが気になり階下へ降りる。

ベッドに車いすをつけ、体がベッドに不自然に横たわった状態で、足は車いすに残っている。

体制を整え、導眠剤を飲ませる。

朝6時、玄関の扉が開く音。階下へ降りる。Sの姿がない。玄関ドアを開けると、ガレージわきに、Sが杖と歩行器を支えに立っている。帰ろうとしない。制止を遮って庭に移動する。

何者かを探してのことらしい。幻覚が激しい。

そのまま動けなくなる。振戦も激しい。草むらに倒れこむ。

倒れこんだ庭先で、朝7時の薬を飲ませる。

庭からガレージわきに移動。車のドアを開けようとしている。

そのまま動けなくなる。車いすに乗せ、どうにか室内へ入れる。

ベッドに横たわらせる。私は疲労困憊。

9時前、訪問リハビリ。10時半から入浴介護。

午後、傾眠状態が続く。

バイタルは正常。

こうしたことは初めてではないが、私のメンタルがやられる。もちろん体力的にもつらい。

これから先どうなるのだろ。不安が募る。

本当にこれからが不安。私がSの介護を引き受けて、この7月から10年目に入った。

2024年7月18日 (木)

うつせみのはかなくて。ただひとはうつりぎ。(冷笑の薄気味悪さよ。)

石〇某の人を見下したかのような言説に酔いしれて我を見失うひとの。

例えば日々の暮らしのやり場のない憤りや閉塞感の救いとしての。

やり逃げそれも途中でだから始末が悪いし悉く裁判に負けてその独りよがりの結末を見ても。

薄気味の悪さよ冷たさよその空疎な実態に震えるがいい。

恐らくであるが精神的に満たされないある一定層の人々を取り込んで大きな潮流を作ろうとしているそのやり口に怖さを感じるしそれはその多くは超保守(的)とも呼べる層でもあろうしそしてそれは時代から取り残され零れ落ちている層とも言えるがそれ自体が磁石のようにくっつき力を持つならば怖い。

(彼は思想を持たない。彼は具体化しない。彼は安易である。)

2024年7月 1日 (月)

先々週からの雨は、止まない。(「雪朝」翻訳始めるも手強し。)

今日から7月。文月。七夕月とか。

先々週6月21日金曜日から断続的に降り続いている雨、昨夜は愈々激しく、市内各所に避難指示も。

肩の調子も一進一退。なんだかなあ。気分も晴れない。梅雨明けは何時か!!

(メモ)

「雪朝」の翻訳、先週6月24日一応スタート。

先ずは第一集、朱自清の『睡能小小的人』から。手強し。

完訳まで5年で済むか、十年かかるか、果たして。

生きなきゃ!」


YouTube: 「蛍の唄」lulu&tonys

2024年6月24日 (月)

梅雨入りの日を過ぎて。

中国地方、2024年の梅雨入りは6月22日。昼前から雨。

私は整形外科へ。6月8日に続いて2回目のブロック注射。

今回はどうしたわけか、軽い眩暈。医師、すぐにベッドに横たわらせる。

血圧も一瞬下がったようだが、気分は2分程度で収まる。

ここのところの右肩の痛みはやはり腱断裂から来ている。腕もなかなか上がらず。

医師はアンカーに拠る縫合など手術の話もされる。まあ、それは最終手段。

そこまで行かないまでも、なんとかしないと・・・・

クリニックを出たらお昼はとっくに廻っていて、土砂降りの中、スーパーなどで買い物。

日曜日は来客あり。(sの友人。)

そして月曜日は、どうにもこうにも体がだるい。

Sの入浴介護や、昼からも生活介助でヘルパーさん。

今日は雨は止んでいるがどんより空。気分も沈みがち。

2024年6月 9日 (日)

右腕。右肩。カルボカインアンプル注入!

6月3日月曜日夜から喉の痛み、咳が強くなる。Sの発症からほぼ3日遅れ。ただ発熱は無い。

6日で、Sの新型コロナ陽性による5日間の自宅待機期間が終わるが、濃厚接触者になる私の症状は、まだ完ぺきに治っているとは言い辛い。

激しい倦怠感を伴っている。ただ、相変わらず発熱は無い。

平熱が36.0前後と低めの私としては、ここのところ36.6前後で若干高いと言えば高いが。

8日。土曜日。Sはデーサービス。

私は、どうにか8割がた体調持ち直した感があり、延び延びになっていた整形外科受診!

凡そ2ゕ月前ぐらいから右肩の痛みが強くなり始め、一ゕ月前には、右肩が左肩を添えてやらなければ自力で上に挙らなくなっていた。最近では運転時、左手操作も辛くなっていたわけで。

ほぼ一年前とよく似た症状で、再発か。

その時は、左ひじの痛みが主だった。一年前と同じ整形外科クリニックへ。

ここはいつ来ても患者が多い人気?のクリニックらしい。

1時間半余り待って、診察。

X線、エコー、問診、触診など。

神経は少し切れてはいるようだけれど、手術までは必要ないだろうと。

結局、先ずは注射からと。

肩の患部に、

「カルボカインアンプル注1% 5mL、1菅」

「デカドロン注射液1.65mL、1菅」

太めの注射器から、肩の奥の関節部分へ液がじんわりと浸潤して行くのが実感できる。

注射が終わり針が抜かれた直後から、医師に促されるまま腕は、まだ軽い痛みを伴いながらも既に上へと動く。

2週間後にもう一度来なさいとのこと。

痛み止め薬「セレコキシプ錠100㎎<VTRS>」、胃薬「レバミピド錠100㎎<オーツか>」湿布薬「ロキソプロフェンNaテープ100mg<ユートク>」それぞれ1週間分処方。

クリニックを出たのは12時半近く。

それから市内中区で用事を済ませ、月1回の太極拳教室へ1時間遅れで。痛みが軽くなったものの、完全には遠いが、腕から肩が幾分上がりやすくなってきたわけで、なんとかがんばってみた。

同じ日、所用で出た市内中区三川町あたりは、広島の浴衣の着始めとかいう「とうかさん」(7.8.9日)が始まっていて、大混雑だった。曇天、4時過ぎには雨模様。

2024年6月 3日 (月)

続・灯浮標32(新型コロナ2回目の罹患)

6月1日(土)午前2時過ぎ、階下のSの様子が気になり下りてみる。体温37.8度から37.5度。ベッドの防水シーツ、衣服は排尿で濡れている。服を脱がせて体を拭き着替えさせる。シーツも換える。

朝9時前、再び、シーツ、衣類等排尿で濡れている。全て換える。

Sが、尿や水、汗などでべたつく体を流したいと、シャワーを浴びる。体温、37.8度前後。

訪問看護師に電話。看護師の指示で私が持っていたカロナール500㎎を服用させる。

お昼過ぎ、訪問看護師に来てもらう。熱は37度台。

夜になって、発熱は38.3~38.7。

翌日、カロナール服用もなかなか効かない。昼には体温38.9度まで上がる。

看護師と相談し休日救急医(内科)へ。

車で20数分。

検査の結果、2度目のコロナ陽性。

日曜から木曜まで5日間自宅で安静にしておくようにと言われる。

点滴。ピーエイ配合錠(毎食後)、ラスビック錠(夕食後)をそれぞれ2日分処方。

カロナールと併せ服用指示。

夜10頃から熱下がり始める。36.6度。

翌月曜、3日。熱次第に下がる。36.6前後で落ち着く。

少し咳は残ってる。

朝、訪問看護師来られる。肺の状態は問題なさそうとのこと。

血圧、酸素量とも問題ない。

私の体温は36度前半から35度台まで。夕方36.8度。体調はすぐれない。

軽い咳。倦怠感。(もしかしたら私もコロナ菌を持っているのかも。)

S,体調良くなってくると、ごそごそと落ち着かない。

(4日朝~)

Sの体温は36.3度。峠は越えたようだ。

私の体温も36.3度。ただ喉がいがらっぽく、からだがだるい。

2024年4月16日 (火)

続・灯浮標31.日々乱気流の如く。(概日リズム(体内時計)~日中過眠)

以前からの傾眠は、日ごとに強くなる。起立性低血圧は取り敢えず影を潜めたが、日中、血圧は下がらないままでうつらうつら。概日リズムの乱れに拠るのだろうか。自律神経の失調だろうか。

そして、朝から夜まで覚醒しない。それに加えて幻覚幻聴も貼りつく。

いずれも、パーキンソン病の代表的症状の一つではあるらしいが、介護の側からすれば、しんどい。

ただただ、しんどい。私にはどうしようもないのだが・・・。

今日も一日酷かった。朝、訪問看護師、ケアマネージャー、そしてKのお姉さんにも電話するなど。私はただひたすら疲れ果てる。(介護者である私、どうしても感情的になってしまう。)

明け方、喉に針があると騒ぐ。どう見てもそんなものは無い。多分、口の中が乾いて、ひりひりとしているのではないかと思われる。Kは普段から無呼吸症候群があり、ほぼ一晩中口を開けたままで眠って居る。それによって様々な症状を併発する。これまでも、無呼吸症候群については、色々処置をしたが効果は無いし、本人も詳しい検査など受けようとしない。

血圧や酸素量、体温などはほぼ問題ないのだが、とにかく本人が言うことを聞いてくれない。目を覚まさない。恐らく夜、充分な睡眠をとっていないと思われる。

急遽。看護師さんの力を借りて、紙おむつを換え、車に乗せ、午前11時近くやっとデーサービスに送って行く。

2024年4月 5日 (金)

花蓮のマグネット。

4月3日午前7時58分(日本時間8時58分)、台湾花蓮県海域で発生したマグネチュード7.3の地震で、4日現在、死者10人、負傷者1100人、連絡がつかない人が約10人、そして約700人が孤立。山崩れや建物崩壊など大きな被害が出ています。亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。また、被害に遭われた方々に心からお見舞い申し上げます。

今から十数年前の初夏(2012.6.9)、台北から花蓮まで電車に乗って一人旅をしたことがあります。電車内では、たまたま乗り合わせた台北から太魯閣へ向かう家族と話が弾み、私の拙い中国語に付き合ってもらった記憶があります。また、花蓮では、レンタサイクルで郊外まで足を延ばしました。

こんな形で花蓮を思い出すことになるとは・・・。

花蓮県や被害に遭われた地域の人々の暮らしが、一日も早く元に戻りますように。

あの花蓮の旅の記念に花蓮駅で買い求めた、マグネットを眺めながら心からそう思います。

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2024年3月15日 (金)

続・灯浮標30.パーキンソン病と低血圧、幻覚、そして介護疲労。

灯浮標29の続き。

14日、行きつけのクリニックでSのリハビリ&問診。

起立性低血圧に対応して、降圧剤を減薬。

Sがこれまで飲んでいた降圧剤は、アムロジピンOD錠5mgとオルメサルタンOD錠10㎎。

これの内、アムロジピンOD錠を2.5mgに減薬することに。

夜、Sのお姉様にSの現況などショートメッセージで送信。あなたの思うようにしてくださいと返信。(まあ、分かってはいるが正直気分は・・・・・である。辛い。孤立感だけが募るわけで。)

夜から15日朝方にかけて、相変わらずSの幻覚酷く、私を呼び続ける。眠れない。

2024年3月13日 (水)

続・灯浮標29.パーキンソン病患者における起立性低血圧のこと。

(メモ)

今日3月13日木曜日。お昼前、S,入浴介護を受けて、続いて私が30分程度入浴。その後1時ごろリビングへ行くと、S、車椅子でぐったり。揺さぶっても起きない。涎有り。意識消失状態。私が入浴前は意識ははっきりしており、僅か30分程度の間に血圧が急激に低下した様子。

血圧測れず。体もぐったり。車椅子からベッドになんとか移す。呼吸はしている。顔色も悪くは無い。

血圧を測るが両手首ともエラーを繰り返す。数分後なんとか測れる。

血圧75-57、脈59.酸素は94.

一時間後、107-68、脈波47.酸素は78から98まで。(もう何年も無呼吸症候群有)

やっと落ち着くが、念のため訪問看護師さんに来てもらう。

起立性低血圧か。

看護師さんは、状態も落ち着き問題なしと。

脈が取れなく、顔色が悪い場合は救急車を呼ぶしかないとのこと。

*

昨日12日。かかりつけ医受診の際は、連日の幻覚に対応して、レスパイト入院を考えたらともいわれる。悩ましい。