一人の食卓。漬物を忘れましたが。全部手づくり。
塩秋刀魚を焼いて、だいこおろし添え。
筍と蕗、昆布、の炊き合わせ。
菜の花と豆腐の味噌汁。
オクラとモズクの酢の物。
土筆の佃煮。
塩秋刀魚を焼いて、だいこおろし添え。
筍と蕗、昆布、の炊き合わせ。
菜の花と豆腐の味噌汁。
オクラとモズクの酢の物。
土筆の佃煮。
危ういことは、予見できていたのでしょう。恐らくきっと。
かつて、取引をしたのですよね。
飴は、程々に甘かった筈です。
取り返しは、決してつきません。
それは、あなた方も私も同じ。
犯した過ちは、もう、あがなえません。
罪とお金を天秤にかけても、それは、むなしい。
もう、甘く感じる飴は、存在しません。
目に見えないほどの細い雨が、
降っています。
確実に降っています。
屋根瓦が濡れていますから。
昨日、十数年ぶりに、安芸津の正福寺山へ、友人とお花見に行きました。
以前行ったときの同行者の半分は、もう既にあの世に旅立っています。
時の流れを実感させられます。
散り初めの桜の花びらが海風に舞い、お弁当の上を飾ってくれました。
瀬戸の島々を眼下に眺めながら、ぼ~と、していました。
友人:桜の木の下にはね。
私:死体だろ。
友人:誰だったっけ。
私:坂口安吾。
友人:そうか。
私:別に桜の木の下でなくたって、死体なんて、そこらかしこに散らばっているよ。
友人:そう?
私:うん。
友人:お弁当、食べよう。
昔、カンボジアを旅行したことがあります。もちろん内戦後のことです。クメールルージュ。そんな言葉が思い出されます。激戦の地の一つだった川へ至る緩やかな丘陵を歩いていたときのことです。行く手には、人の骨片が無数に散らばっており、その余りの夥しさにそれを避けて歩くことは、到底無理で、靴を通り抜けて、足の裏へ骨の感触が伝わってくるような気がしたものです。そのときのシーンは、乾いた風と共に、未だ鮮やかに甦ります。
彼らは、生きるために闘っている。
彼らは、俺たちの為に闘っている。
闘いを放棄した市長を選んだからには、
闘うのは、おまえたちだぞ。
わかってんのか、おい!!
数日前に気づいたのだけれど、ジョグの途中にある家、空き家になっていた。ついこの間まで、初老のお母さんと息子さん(たぶん)と猫が暮していたはずだけど。
誰もいなくなった家の庭先で、白梅が満開。椿の蕾も膨らんでいた。
あっけないもんだ。
昨日は、清明節。
中国ではお墓参りの風習があります。
この季節、命が、穏やかに、首をゆっくりともたげ、
空気が清々しく流れ、宇宙を明るく満たしていきます。
そんな気分を「清明」という文字に託したのでしょうか。
永かった春は終わり、
人は野遊びへ。
田仕事も本格的に始まる頃です。
俳人、細見綾子の代表作から一句。
「再びは生まれ来ぬ世か冬銀河」
心に突き刺さります。
明け方、寝床からもぞもぞ抜け出して、空を見上げれば、まだ、冬の空気に星座が・・・。
今日は、晴天になりそうです。
蝉の声で、目が覚めました。
庭に出てみたら、真っ赤な朝顔の花が開いていました。
朝露が花びらの真ん中で輝いています。
去年より3週間近く遅く、
さくらんぼの花が咲き始めました。
あるお店にて。
なんでもないことで、激怒してしまった。
哀しい。
なんでやろう。
雪、溶けました。
おはようございます。
昨日は吹雪の一日。
今朝は、積雪4,5センチぐらいか。
春の雪、というより、真冬です。
団地の西北(恐らく)に聳える阿弥陀山(837m)の頂き辺りに雪雲が湧くと、瞬く間もなく集落へ雪が吹き降りてきます。
あ~、今も降り続いています。
去年だって、3月末には雪が降っています。
こちら、こんなものでしょう。
そして、TVを点ければ、新聞を読めば、パソコンを開けば・・・。
天災による被害が、人災で、とめどもなく増幅されていきます。
(あの福島原発での作業員の被爆事故は、ニュースで知る限り、完全な人災です。)
(愚かな、余りにも愚かな。あの企業や、なんとか保安院や、すべての権力者たちの余りにも愚かな。そして、原発の今日に至る歴史の、余りにもいい加減な。)
(そしてまた、地方行政組織のなんと脆弱だったことか。)