灯浮標7(2022.2.26)パーキンソン病と共に。黄砂飛来。世界はどんよりとして憤りの中に。
時系列の整理を。
Sがパーキンソン病を発症したのは、医師のカルテでは2006年1月となっている。
定年退職まであと3年のタイミングで休職。休職は3年に及びそのまま定年他誌欲となる。
退職まで数年というタイミングですでに馬券など、ギャンブルにはまりつつあった。
それを決定的にしたのが、ネットで知り合った複数の人物の存在。
一種の洗脳と言えるのではないだろうか。
定年前後の事だと思われる。
定年退職した年。2015年。平成27年。夏の初め。Sは)べてを失っていた。負債を返すためにパチンコ通いという異常な日常。当時10歳と13歳の飼い犬の世話はパーキンソンの進行とギャンブルとでおざなりになりつつあった。私と共通の友人とで諭すが聞く耳を持たない。
債務超過の現実を前に、どうにも立ち行かなくなったSの日常。
結局簡易裁判所に助けを求め特定調停となる。こまごまとした書類集めやクレジット会社、簡易裁判所などとのやり取りは、全て私の作業となる。唯一の肉親であったSの姉にはSはすべてを話してはいない。
7月、私の家に犬二匹と共に同居。
この年の8月申し立てをし、9月特定調停が完了し11月から毎月の返済が以後4年(2019年まで)にわたって続くことになる。
二年後、Sは家と土地を手放す。そのお金は負債の返済とパチンコに消える。
その一年後飼い犬の内の一匹、ミニチュアダックスフンドが14歳で亡くなる。
その一年半後もう一匹の飼い犬だったコーギーが13歳の誕生日を待って夏、旅立つ。
その年の秋、9月負債完済。ただ、パチンコ通いは一向に収まっていなかった。
パーキンソン病によくみられるギャンブル依存症と考えられたが、Sは、私に医師への相談をさせなかった。Sの姉もギャンブル依存症が続いていたことについては知らない。
薬の調整によってもう少し何とかなったのではとも思うが、それも今となってはどうしようもない。私が甘かった面も多々ある。また、特定調停が始まった年の秋、ギャンブル依存から脱却を願って、依存症の会的なサークルに数回参加するが、Sはそれも次第に嫌がり止めてしまう。
2019年(令和元年)特定調停が終わって約2か月後、Sの肺に異常がみつかり入院。一ヶ月以上の入院。12月末に退院。
翌2020年1月、新型コロナウィルスで世間は騒然とし始めていた。
2月、膿胸、寛解。それからパチンコに1度。火は消えていない。翌年2021年秋にも1度。結局入院中から回数が激増してた宝くじのロトにのめり込む。
(特定調停後、ネット詐欺の一人が他都市でほかの被害者に訴えられ、Sも聞き取りの対象となる。刑事や検察庁からの聞き取り。私が立ち会う。)
2022年2月現在もロトは止まない。止むことはないだろう。
緩やかに進行するパーキンソン病の症状。現在ではすくみ足や振顫の回数も、継続時間もゆっくりと増加して行っているような気がする。
週2回のデーサービス。二回の訪問リハビリ。二回の通所言語リハビリ。週一回のヘルパーサービス。それとは別に週1回のヘルパーによる入浴介護。月一回の訪問看護。隔週の通院リハビリ。4週間に一回の神経内科通院(かかりつけ医となる。これはパーキンソン病発症以来のクリニックを、遠方であることなどから、私の負担も限界であり、今年別のクリニックに変更した。)
また、月一回のショートステイも。
どちらにせよ、当人の症状の進行(認知とはまだ言えないが、認知的症状(昼間の不確かな覚醒状態。)頻繁に起きる振顫、すくみ足、パーキンソン痛など)に加え加齢。更に私の加齢と長期に亘る介護からの蓄積した疲労もあり、先行きの見えない、将来への不安を抱えている。
もちろんSの見えない将来は不安である。言うまでもない。だが同時に、あくまで第三者である私の、当たり前ではあるがそう長くは無い、短い将来を考える。どう生きて行けばいいか、これからを。
<ロシア軍のキエフ侵攻!緊迫した世界状況!>
<収束を見せないコロナ禍>
コメント