灯浮標62(2022.9.12)介護認定について。
先週9月9日、Sの新しい介護認定証が広島市から届いた。これまでは要介護2だったのだが、10月1日からの3年間は要介護5という判定となっていた。
本人は、そこまでとは思っていなかったらしくかなり精神的なショックを受けたようだ。Sはだいたいが、昔から精神的な脆さが顕著で、今回も、その要介護5の判定に、心のやり場がないようだった。
考えてみるに、医師の意見書が書かれたのは恐らく幻覚幻聴などが最も酷かった春ごろではなかったか。そういうことも判定に影響しているようにも思える。
Sは唯一の肉親であるお姉様に電話をしたのだが、Sにとっては思いのほかそっけなく、意に反して施設入居を勧められ、心は落ち着かなかった。
さて、10月からの介護シフトをもう一度考えなければ。
というものの、実際介護をしているのは私一人で、たいして負担の軽減も望むべくも無く、私にしても気は晴れない。
ここ数週間、Sは、歩行が特に困難になってきている。
夜は、眠れたり眠れなかったり、排便も相変わらず不規則。排尿も介護が必要だったり、自力で出来たり変動が激しい。
また、足の所謂パーキンソン痛も日常化、恒常化している。
私自身の加齢などに伴う肉体的及び精神的疲労の蓄積と共に、悩みは尽きない。
(追記)
以前にも恐らく書いたような気もするが、Sの特定調停の支払い期間、4年間も、パチンコ、ギャンブル通いは全く止まることは無かった。犬の世話は私になっていたし、その分ある意味気楽だったわけで、早朝から深夜まで連日のパチンコである。そして、金が底をつくたびに、私に無心の電話、或いはメール。結局私が折れるまでひつこく求めてくる。留まることがなかった。バスで出掛ければ私に迎えに来させたり、タクシーを使ったり。諍いの日々だった。勝手口の破れたままのガラス窓は、その名残だ。
結局処分したSの家もそのほとんどが、ギャンブルへと消えて行った。
いまさらに、折々にその時の私の苦しみ怒り、空しさが甦って来る。彼の親族にも誰にも、今に続くそれらの深さ、心が折れる苦しみは分かりはしないだろう。
もちろん、Sにも分からないだろう。
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