灯浮標58(2022.8.4)パーキンソン病の夏。
未明3時過ぎ、小便を済ませて、いつものように階下のSの寝室の様子を窺う。
半ば覚醒している。尿瓶に小便をさせる。神パンツを替えて、足先を熱いタオルで押さえてやる。
しばらくして落ち着く。電気を消して部屋を出る。
(ここ数日は、かかりつけ医の処方により、導眠剤デエビゴ錠5㎎+2.5㎎の7.5㎎服用している。)
朝5時、Sが私を呼ぶ。悪夢にうなされた様子。私の体調は相変わらず今一つすぐれない。
苛立ちの感情のまま、Sの求めるまま、起床時のマドパーを1錠服用させる。
ほんの少しは落ち着いた様子。時折、軽い寝息が聴こえる。
地球は自転し、公転し、そして私は老いる。
Sも老いる。
もう一週間、或いは数日もすれば、朝方だけは涼しくなる、それが何時もの立秋あたりの実感。
広島原爆忌が近い。
過度な絶望はないが、かといって希望など、たいしてあるわけもない。
因みに、カルトに精神が侵されることも無いだろう、私の場合。
Sにとっては、ギャンブル(まあ一種のカルトかも?抜けることが極めて困難という意味でも)に侵された心と体は、未だ完全に回復したとはいえないのではないだろうかと、漠然とだが思う。
今日は朝、月一回の訪問看護。午後は街中の内科でリハビリ。の予定。
昨日は朝、ヘルパーさん。午後は訪問リハビリと月一回のケアマネさんの訪問。来月9月の予定など確認。言語リハビリの回数を少し減らそうかなどと話す。
私はもちろん、Sの体力的負担をそろそろ減らしていく必要がるのでは、などと。
蛇足:
時折、「パーキンソン病」を縮めて「パーキン」と呼ぶ人有り。Sはそれがあまり好きではないらしい。まあ、私もだが。若干ニュアンスが違って感じられるのだ。
嵐であろうと波穏やかであろうと、その遥か波間に見え隠れする灯り。一瞬消えたと見えて消えてはいない。
その灯浮標を便りに、向かう先は何処なのか、・・・分からない。
このブログ「灯浮標」は、今年の2月中旬に記し始めてもう58回になる。窓の外が明るみ始めている。5時半。ほんの少し眠る。
しばらく休もうかなあ、とも。どうなるか分からないけれど。
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