25年ぶりの長門の海。ハマオモトの咲く浜へ。
中秋から晩秋へ。
25年ぶりの長門の海。
1996年9月10日の日付がプリントされた数枚の写真が出てきました。
あれから25年余。2021年9月19日(日)。
その同じ海まで車を走らせました。
長門市日置町二位ノ浜。
(平家物語ゆかりの地名。安徳天皇と共に入水した二位局(にいのつぼね)が打ち上げられたのがこの浜とか。)
美祢インターチェンジを下りてからの道のりは不確かで、途中なんどか道を迷いながらも、朝6時前に家を出てから3時間半。
時折雲が空を覆いながらもほぼ快晴。以前とほとんど変わらない小さな入り江に台風が去った後の波が打ち寄せていました。
サーファーたちが十数人波に乗ったり浮かんだり。
打ち寄せられた漂流物が浜を汚していましたが、波はそれなりに澄んでいました。
ただ、前回はまだ咲き乱れていたハマオモト(ハマユウ)の花は今回、時期が少し遅かったのか、殆ど散り果て、数輪、その名残が確認できるのみでした。
(メモ)
トノシキタダシ(殿敷侃)のこと。
1942(S17)年1月22日、広島市大手町で誕生。
1945(S20)年8月、母の背中で二次被爆。
1970(S45)年、朝日ジャーナル(12月6日号)表紙に「は(2)」(油彩)掲載。
1972(S47)年2月、国鉄退職。山口県長門市東深川に転居。
1975(S50)年、「自画像の風景」(油彩)
1977(S52 )年「ドームのレンガ」(銅版)
1977(S52)年、「釋寛量信士(鉄かぶと)」(油彩)
1978(S53)年、「釋寛量信士(父のつめ)」(油彩)
1978(S53 )年、「釋妙昭信女A(じゅばん)」(油彩)
1981(S56)年、「ケロイド(1)」(シルクスクリーン)
1987(S62)年、45歳
3月15日(日)、山口県大津郡日置町二位ノ浜、
インスタレーション「山口ー日本海ー二位ノ浜、お好み焼き」
7月18日、広島平和公園、インスタレーション「赤くぬられてヒロシマがみえた。」
1989年(H2)、インスタレーション「タイヤの生る木[plan.5]」
1991(H4)年、山口県油谷町川尻岬、インスタレーション、夢岬プロジェクト「夢装置」
1992(H5)年2月5日、絶筆「僕は 夜明けを 信じた」
1992年2月12日死去、50歳
*2021(R3)年5月13日付中国新聞記事に「殿敷侃 長門のアトリエ近く取り壊し 周縁で世界見つめる 来年没後30年 原爆原点に創作」。
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