2022年10月21日 (金)

灯浮標66.(2022.10.21)パーキンソン病と不眠、或いは幻聴。

深夜、二階の私の部屋から私の息苦しそうな気配がSの寝室の一階まで伝わったとか。

そんなことはありえないのだが、Sは、朝7時分と10時分のマドパー他の薬を服用して、私を呼んだらしい。

Sの部屋へ入ると、薬や湿布薬、その他の物がベッドの周りに散乱し、S自身も紙おむつを自力で脱ぎ、ズボンをはきかけて力尽き、ベッドの下で動けなくなっている。

幻聴がSを狂わせている。

二日続けてSが荒れている。

朝、sをどうにか動かせて朝を待つ。当日の予定していた用件である区役所分室へ行き、課税関係の書類を発行してもらう。それからクリニックで言語療法。

昨日今日の顛末を話すが、Sはそれが気に入らない。激しい振顫。

それからかかりつけ医を急遽受診。どうにか昼までに滑り込む。

医師といろいろ話すが、べつに画期的な対処方法があるわけでもなく。

パーキンソン病の代表的な症状の一つなわけで。

取り敢えずは薬をすべて私が管理することに。

睡眠導入剤の飲み方を工夫してみることに。実際は難しいだろう。

まず、私が常に24時間起きている訳には行かず、私の精神的肉体的疲労が蓄積するばかりで。

暗澹とした気分のまま帰途。Sは車の中でうつらうつら。

私もまた、ただひたすら、辛いし眠い。

2022年10月20日 (木)

灯浮標65(2022.10.20)パーキンソン病と認知症状。

日付が19日から20日に変わる頃、追加の導眠剤2.5ミリグラムを飲ませる。(19日夜10頃、デエビゴ錠5ミリグラム服用。)

明け方4時半頃、Sが二階に上がってくる。卵がどうこういっている。叱ると階下へ自分で降りる。

どうも気になるので、リビングへ行って見ると、既にゆで卵を3個自分でつくり殻をむき、一つをカップめんに入れ、それを食べている。残りの二つは私の為らしく、おわんに入っている。

Sは10月から要介護5。普通は動けない体なのだが。

どうも、導眠剤を飲んだにもかかわらず、眠られず、挙句に、夜零時から4時ごろの間にマドパーを2錠服用したのではないかと思われる。

薄ら寒さを感じる。数日前には、リビングの押し入れに何物かがいると、私に言い募っていた。

さっき、20日夜11時ごろは、背中に虫がいると私を呼び付ける。

薬の更なる減薬、薬の私の管理方法を考える。他、色々難題が例によって私一人に降りかかっている。

数日前から私は、酷い腱鞘炎。テーピングやら、サポーターやら、湿布やら。痛みどめやら。特効薬は無し。

2022年10月19日 (水)

甘南備寺参り。(2022.10.15)

先週土曜日、江の川沿いに建つ甘南備寺(江津市桜江町)を訪ねました。

日本海へ車を走らせるたびに、小さな谷に蹲るようにして佇んでいる古刹で、以前から気になっていました。

お寺の名前からしてなんか気になって。どうも甘南備寺(かんなびじ)と詠むらしく、同じ名前のお寺は、ネットで検索すると、京田辺市にも見つかりました。それによると、地名は弥生時代にさかのぼるとか、かなり古いらしい。

桜江のこちらは天平18年(746)開基とか。お寺の参道脇の石柱には<石見霊場第十一番札所真言宗宝生山甘南備寺>とありました。少し大げさではあるが銀杏が参道脇を埋め尽くすほどに。

丁度お参りは私一人。こじんまりとして、あっけないほど。

追記:お参りの道すがら、何でもない田舎道の三叉路で、一時不停止で、パトカーに誘導されて、ああ、2点減点。ゴールドのまま免許証十数年後に返納の予定は一瞬にして打ち砕かれたのであります。泣くよ!!マジ!(はい、7000円納入済です。)

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帰路、国道沿い、島根県邑南町の断魚渓に立ち寄りました。コロナ後遺症なのか胸はぜいぜい、渓谷へ下りて又上がる山道は、ことのほか足腰に応えました。こちらも淋しい程に私一人でした。

2022年10月16日 (日)

キム・ジハ(金芝河)を読む。(再読)2022.10.15

「キムジハ詩集 五賊 黄土 蜚語」(カンスン訳 1972年 青木書店刊)読了。

数十年ぶりに再読した。詩はもちろんだが、本書に収載してある「戯曲 銅の李瞬臣」には、やはり胸が締め付けられる。

金芝河は、2022年5月8日、韓国の自宅で死去。81歳。

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2022年10月 8日 (土)

灯浮標64.(2022.10.8)パーキンソン病と新型コロナウィルス陽性。

Sが、私と一日遅れで、新型コロナ陽性となりました。

<記録>

2022年9月28日午前、私、新型コロナウィルス、抗原定性検査で陽性判定。

同日午後、Sは陰性判定。

<29日>

早朝5時頃、S、不調を訴える。発熱。

体温:38.7度。酸素:95.

保冷剤で両脇、頭を冷やす。

私が購入しておいた抗原定性検査により、陽性反応。

朝7時:体温:37.6度。酸素99.その後、酸素量は95~96で推移。

訪問看護師に連絡。取り敢えず、私のロキソニン系の解熱剤を服用させる。

午後、かかりつけ医処方のカロナール錠を薬剤師が自宅まで届けてくれる。

夜7時過ぎ、訪問看護師来る。かかりつけ医の指示で訪問看護師により、改めて抗原検査。やはり陽性。

正式にかかりつけ医に報告。

<30日>

朝:7時:体温38.1度。酸素93.その後96に上昇。体温も37.2度~37.7度の間で推移。

本人の意識はしっかりしており、比較的元気。

かかりつけ医から電話。状態確認。

市、区保健所から連絡。私が状態説明。

(その後毎日のフォローアップセンターからの連絡には私が対応。)

訪問看護師からは毎日朝夕2回連絡有。

Sはパーキンソン病、曾て膿胸を患っているという事で重症化リストに入っている。

介護度は10月から要介護5.

自宅療養を希望。(療養期間は29日から10月6日迄)

<1日>

朝7時:37.7度。酸素96.

日中は体温、酸素量とも変動がある。

K君から食料品を宅配便で送ってくる。助かる。

夜7時:体温37.0度。酸素96.

夜、広島市からSの療養パック届く。(レトルト食品、缶詰類、紙パックジュースなど。ティッシュ、紙ナプキン、アルコール洗浄剤、ハンドソープ、ビニール袋、トイレットペーパーなど衛生用品)

意識しっかりしている。元気。咳もほとんどない。

<2日>

朝7時半:体温36.8度。酸素96.

朝からカロナール服用をやめる。軽い咳が残っている。

夜18時半:体温36.7度。酸素97.

<3日>

朝7時半:体温36.6度。酸素:96.

夜18時:体温36.9度。酸素:98.

パーキンソン病本来の症状が出始めている。

軽い幻覚あり。悪夢を見ている。

<4日>

朝8時:体温36.1度。酸素:99

昼ごろ、ケアマネージャーから電話。

夜18時半:体温36.1度。酸素:97。

<5日>

朝7時半:体温36.6度。酸素:97.血圧:156-90

夜18時半:36.7度。酸素98.

夜7時過ぎ、訪問看護師が来られる。状態確認。聴診器を胸にあてられる。問題無しとのこと。

相変わらず、悪夢、幻覚に悩まされている。

<6日(木)>

朝7時半:体温36.4度。酸素:96.血圧:159-109.

ここ数日、血圧が高め。(その後、8日ごろから血圧下がり始める)

市の看護師から電話問診。今日で無事に自宅療養期間終了。ただ、数日は不要な外出は控えるようにとのこと。

血圧の薬が7日で終わるため、お昼前、K内科クリニック院長と電話によるSの診療。

処方箋を直接薬局にFAXしてもらう。

私が近くのYクリニックに診察(私の血圧降下剤などの薬が無くなったため。)を受けに行ったついでに、薬局でSの薬も受け取る。

夜:体温36.7度。酸素:98.

悪夢は依然続いている。

コロナ症状の治まりと共に、パーキンソン病本来の症状が再び強くなってきているようだ。

*7日には、久しぶりに、男性ヘルパーさんの入浴介護により入浴。

2022年10月 7日 (金)

新型コロナウィルス感染検査で陽性となりました。

(記録)

2022年9月26日(月)深夜、体全体に強い倦怠感を覚える。

9月27日(火)、

喉に違和感。軽い痛み。咳は無い。

薬局で痛み止め、咳止め。トローチ。購入。

体温37,4度前後で推移。微熱。

9月28日(水)

昨夜から扁桃腺周囲が強い痛み。軽い咳。体温は依然37.4度前後。

朝、行きつけの耳鼻咽喉科を受診。

受診前に、コロナの抗原検査(抗原定性検査:SARS-CoV-2デビッド抗原テスト)が必要と言われ、すぐに隣接の薬局薬剤師による検査。結果は陽性反応。

もう誰が罹っても不思議ではないからと、薬剤師さん。

薬局、医師から関係機関に連絡。

咳止め、解熱剤などを処方してもらう。

これらはすべて駐車場に止めた私の車内外で行われた。

昼ごろから地元自治体関係部署(市、区保健所、フォローアップセンターなど。)より連絡複数回。

夜、38度台半ばまで発熱。喉の痛み酷い。痰も出る。

ほぼ一晩中苦しむ。

9月29日(木)

明け方から症状ほんの少し改善。

喉の痛みは和らぐ。咳もほとんどない。

血中酸素濃度は97.

体温36.9

血圧が高め(152-90)

30日(金)

朝:体温36.1度。酸素量98.

頭痛、喉の痛みがひどい。

10月1日(土)

朝:体温:36.1度。酸素97.

フォローアップセンターの担当者と喉の痛み、頭痛、倦怠感などについて話す。いわゆる後遺症だろうと言われる。口内炎もあり。

10月2日(日)

朝:体温36.5度。酸素量98

排便4日振りにある。口内炎、喉の痛みほんの少し改善。強い倦怠感有。咳がある。

解熱剤中止。

10月3日(月)

朝:体温36.3度。酸素量100.

痛み止めも服用中止。

強い倦怠感。喉の痛み、やっと和らぐ。口内炎はまだ残っている。

席はまだある。特に夜、せき込む。

10月4日(火)

朝:体温36.4度。酸素98.

倦怠感は和らぐ。喉の痛みはほとんどないがせき込む。頭痛もあり。

10月5日(水)

朝:体温36.1度。酸素99.

今日自宅療養期間終了。フォローアップセンターの看護師の問診有。

結果、予定通り今日で自宅療養期間終了となる。

(発症日28日を0日とし、翌日から5日まで7日間の療養期間。)

*尚、発症当日は電話で、翌日から5日までは毎日保健所から送信されてくるMyHER-SYS(ハシス)に返信の形で、携帯メールで症状を保健所に報告した。

*また、29日夕方には、前日28日当日に市健康福祉局に申し込んだ自宅療養パック(食料品<レトルト、缶詰が中心>、衛生用品等)が段ボール2箱で届く。(無料)

そして今日10月7日現在。

軽い咳は依然続く。倦怠感もあり。看護師によると1ヶ月程度は様々な後遺症が残るらしい。

まあ、私は症状としては軽いほうかなあ・・・。(ワクチン4回接種済ではあったが。)

2022年9月22日 (木)

灯浮標63.(2022.9.22)パーキンソン病におけるギャンブル依存症の熾火。

灯浮標は、パーキンソン病患者S(病歴17年9か月:約18年)の病的賭博を中心としたその病気の現在を記したブログです。

来月10月1日からSno介護認定は、これまでの要介護2から介護認定5に変わります。

それに伴い、昨日21日、我が家で担当者会議が開かれました。Sのベッド周りにケアマネージャーを中心に春パーさんなど関係者5人が揃い、今後の介護方針を検討しました。(3事業所は書類のみでの参加)

基本的には当面従来通りの介護サービスです。

皆さんの前で、Sha,病的賭博について口を開きました。

会議後、Sは今書いている原稿の為にパチンコ屋の取材がしたいと私に言います。

これはたびたびS が私を困らせた方便です。

やはり、根本では病的賭博、その依存症は治ってはいないようです。

私は、内心激しい絶望感と怒りのままに、Sのお姉様に電話。パチンコ依存症のこれまでの経過を話しました。お姉様は良く御存知ではなく、とても悲しんでおられました。

結局、その日は諦めさせたのですが、この依存症の根本治療の困難さを改めて実感しました。

本人は今一つ、分かっていないようです。

また、Sの場合、パーキンソン病薬以外にも病的賭博を推し進める要因があったわけで、そこのところについて、本人の自覚が甘く、全てを薬のせいにするのは、一種の逃げであると言えます。

本人の我欲やプライド、そして独善的な性格は、もう完全には治らないと思います。

パーキンソン病の進行や加齢が本人にどれだけの人生の試練を与えて、どんな生き方をS自身が選ぶのか、私にも分かりません。

2022年9月19日 (月)

没後30年 生誕80年 殿敷侃展示室にて。(2022.9.18)

18日午後から台風14号の影響が強くなる。今日は終日暴風雨。日付が変わる頃、風がやっと幾分落ちついて来た。

昨日9月18日(日)、島根県益田市のgallerly&cafe草花舎で開かれている「没後30年生誕80年殿敷侃展示室」に伺いました。

オーナーで生前の殿敷さんと交流のあった澄川やしまさんから、美術家殿敷さんの作品制作のエピソードや日々の暮らしの事など、貴重なお話をお聴きすることができました。

また、未発表の作品などにも、感動を新たにしました。改めてありがとうございました。

(今月28日まで。詳しくは草花舎FBで。)

(メモ)

トイレ休憩などを挟みながら。

8:53自宅発~R488~R191 ~(途中から広域農道等を経由)R9 ~11:31益田(草花舎)着

13:15草花舎発~R9~R191 ~R488 ~15:36自宅着

(往路:107.8キロ 復路:約113.8キロ 全行程221.6キロ)

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2022年9月12日 (月)

灯浮標62(2022.9.12)介護認定について。

先週9月9日、Sの新しい介護認定証が広島市から届いた。これまでは要介護2だったのだが、10月1日からの3年間は要介護5という判定となっていた。

本人は、そこまでとは思っていなかったらしくかなり精神的なショックを受けたようだ。Sはだいたいが、昔から精神的な脆さが顕著で、今回も、その要介護5の判定に、心のやり場がないようだった。

考えてみるに、医師の意見書が書かれたのは恐らく幻覚幻聴などが最も酷かった春ごろではなかったか。そういうことも判定に影響しているようにも思える。

Sは唯一の肉親であるお姉様に電話をしたのだが、Sにとっては思いのほかそっけなく、意に反して施設入居を勧められ、心は落ち着かなかった。

さて、10月からの介護シフトをもう一度考えなければ。

というものの、実際介護をしているのは私一人で、たいして負担の軽減も望むべくも無く、私にしても気は晴れない。

ここ数週間、Sは、歩行が特に困難になってきている。

夜は、眠れたり眠れなかったり、排便も相変わらず不規則。排尿も介護が必要だったり、自力で出来たり変動が激しい。

また、足の所謂パーキンソン痛も日常化、恒常化している。

私自身の加齢などに伴う肉体的及び精神的疲労の蓄積と共に、悩みは尽きない。

(追記)

以前にも恐らく書いたような気もするが、Sの特定調停の支払い期間、4年間も、パチンコ、ギャンブル通いは全く止まることは無かった。犬の世話は私になっていたし、その分ある意味気楽だったわけで、早朝から深夜まで連日のパチンコである。そして、金が底をつくたびに、私に無心の電話、或いはメール。結局私が折れるまでひつこく求めてくる。留まることがなかった。バスで出掛ければ私に迎えに来させたり、タクシーを使ったり。諍いの日々だった。勝手口の破れたままのガラス窓は、その名残だ。

結局処分したSの家もそのほとんどが、ギャンブルへと消えて行った。

いまさらに、折々にその時の私の苦しみ怒り、空しさが甦って来る。彼の親族にも誰にも、今に続くそれらの深さ、心が折れる苦しみは分かりはしないだろう。

もちろん、Sにも分からないだろう。

2022年9月 7日 (水)

シュトルム「みずうみ」読了で、夏も終わる。

(メモ)

8月8日に次いで、8月21日、8月30日、そして9月4日と、今年は珍しく頑張って、海へ。

いつもの日本海、江津の海だが。

今年はいつもと違って、ほとんど人がいない。9月4日など、私一人。

ルートは、結局自宅から加計SIC~大朝IC、そして中三坂トンネル、国道を川本、桜江と走り、途中から浅利方面へ折れ、工業団地からR9へ出る。途中休まなければ2時間5分程度も可能。休めばそれでも2時間20分もあれば十分。往復で240キロから250キロ弱。まあ、私の体力からして、いつまで行けるだろう。

この夏は、シュトルム作「みずうみ」(岩波文庫)を海辺で読み始め、海辺で読み終わった。

生と死と愛についての小説五編が収録されてある文庫本だ。

では今夜はここらで。

もうすぐ中秋。