« 「カバーズ」「嘘泣き」から、ジェロさんを始めました。 | メイン | ジェロ(jero)「COVERS2」を聴こう。 »

2012年4月 6日 (金)

深く皺の刻まれた掌の上のドッグタグ

昨日(5日)午後、

はつかいち美術ギャラリーで、

「ごくろうさま:ハワイの日系二世 ~BRAIAN Y.SATO  写真展~」

(4月3日(火)~8日(日)*その後、中国新聞社ビルでも開催)

を鑑賞しました。

ちょっぴり、気にかかっていたので。

私の母方の祖母は、

夫となる人の写真1枚を懐に渡航。

ハワイで結婚し、

パイナップル農場に夫婦で雇われて働いていたのだそうです。

その後、夫が病死し、祖母はまだ幼かった確か3人?の子どもを抱えて、帰国の途に。

神戸?の港から、広島の夫の里へ。

そこで、夫の兄と再婚します。

そして子どもを何人か生みます。

48歳という長高齢出産で生まれた末っ子が、私の母です。

ちなみに、母は9人兄弟、だったらしい。

これが、母から聞いた話。

母方の祖母は、私が小学校に上がるその前後に亡くなったような・・・。

記憶はほとんどありません。

(父の母は、父が幼い時に他界しています。)

なんとなく、ハワイ移民という言葉を聞くと、ちょっと気にかかるのです。

広島県、山口県は、特にハワイ移民が多かったようです。

遥か、明治の話。

<以下、私のためのメモ>

ピジョン英語(農園で話されている言語)

ラハイナ海岸、プウピハ墓地

オアフ島ワイアルア、プウイキ墓地

Go for broke!(当たって砕けろ!死力をつくせ!)

第442連隊

「翡翠のペンダント」更新

http://ameblo.jp/qingyesi/

トラックバック

このページのトラックバックURL:
http://app.blog.enjoy.jp/t/trackback/502667/28852205

深く皺の刻まれた掌の上のドッグタグを参照しているブログ:

コメント

コメントを投稿