深く皺の刻まれた掌の上のドッグタグ
昨日(5日)午後、
はつかいち美術ギャラリーで、
「ごくろうさま:ハワイの日系二世 ~BRAIAN Y.SATO 写真展~」
(4月3日(火)~8日(日)*その後、中国新聞社ビルでも開催)
を鑑賞しました。
ちょっぴり、気にかかっていたので。
私の母方の祖母は、
夫となる人の写真1枚を懐に渡航。
ハワイで結婚し、
パイナップル農場に夫婦で雇われて働いていたのだそうです。
その後、夫が病死し、祖母はまだ幼かった確か3人?の子どもを抱えて、帰国の途に。
神戸?の港から、広島の夫の里へ。
そこで、夫の兄と再婚します。
そして子どもを何人か生みます。
48歳という長高齢出産で生まれた末っ子が、私の母です。
ちなみに、母は9人兄弟、だったらしい。
これが、母から聞いた話。
母方の祖母は、私が小学校に上がるその前後に亡くなったような・・・。
記憶はほとんどありません。
(父の母は、父が幼い時に他界しています。)
なんとなく、ハワイ移民という言葉を聞くと、ちょっと気にかかるのです。
広島県、山口県は、特にハワイ移民が多かったようです。
遥か、明治の話。
<以下、私のためのメモ>
ピジョン英語(農園で話されている言語)
ラハイナ海岸、プウピハ墓地
オアフ島ワイアルア、プウイキ墓地
Go for broke!(当たって砕けろ!死力をつくせ!)
第442連隊
「翡翠のペンダント」更新
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