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2023年2月26日 (日)

若干のノスタルジーを込めて、エゴン・シーレのこと。

初めて私がエゴンシーレの存在を知ったのは、大島渚監督が、もうとっくに誌名も忘れたが確か雑誌のコラムか何かで、自身の好きな画家の一人としてエゴン・シーレの名前を記しておられて、そう言う偶然があったからだ。もう何十年も昔の事だ。

殆どその当時、あれもまた偶然なのだが、広島の街を歩いていて、京口門辺りに画廊があって、それはビルの狭い階段を上がった二階で、常設展だったような気がする。そこに、エゴン・シーレの小さな素描(まるで息を吐くような若い男の顔だったような)が一点掛けられていた。

しばらくその作品に見入っていた。そうしたら、画廊のオーナーらしき人物が、英語版のEGON SCHIELE図録を私に手渡し、差し上げますと。

それが今も手元にある。表紙にローマ字で小さくNAGATAの文字が読み取れる。その「ナガタ画廊」は今もあるのだろうか…。

今回、今更ではあるが、ページをめくっていて、その最後に色の褪せて薄っすらと染みのついた「友部正人コンサート」のチラシが挟まっていることに気がついた。

それには’82年3月21日(日)開演午後6時。ところ:ナガタ画廊、前売1,000円、当日1,200円とある。それで、私がシーレの作品を初めてみたのが27歳だったことが分かった。今からもう40年以上前の事だ。

次にエゴン・シーレを見たのが、ナガタ画廊での出会いから4年後、1986年5月17日~6月29日、奈良県立美術館で開催された「エゴン・シーレとウィーン世紀末」展でのことだ。私はなけなしの財布をはたいて、奈良まで行った。その時買い求めた図録もまた手元に在る。因みに私が持っているシーレに関する書籍の類は、他に「美術手帖3 特集シーレとウィーン 1986」ぐらいだ。

私は、今もシーレに惹かれる。ノスタルジーと共に。雑なあざとい言い方と分かったうえで「体の奥が疼く」のだ。特に一連のヌードの自画像がいい。また、街並みを描いた作品の中には、意外かも知れないが、殿敷侃の最初期の油彩と通じるものがるような、そんな思い込みも私にはある。

さて、現在のこと。「レオポルド美術館 エゴン・シーレ展 ウィーンが生んだ若き天才」が、東京都美術館で2023年4月9日(日)まで開催されている。そういうことである。

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