余光中「翡翠の白菜」を翻訳しました。
朝からほぼ終日、翡翠色の雨が降り続いた清明の今日、余光中の「翠玉白菜」を翻訳しました。
「翡翠の白菜」(原題:翠玉白菜) 余光中 (訳:永洋)
その前身はミャンマーか雲南辺りの石
どんなに優れた腕を振るい
どんなに深く彫り刻んだのか
一彫一彫、筋肉に挑み骨を削ぎ
輝石玉鉱の牢から
解き放たれて、妃のしなやかな指に触れ
慈しみ艶やかに、衆目を浴びる
その羨望の目くばせ、灯りの下に身も露わ
一代また一代、時に愛でられ輝いて
流麗に、光を内に秘めながら
或いは翠に或いは白に、あなたはすでにそこになく
ただ一塊の玉(ぎょく)、一株の菜
あの日、あなたは名工の手に留まり
魂は煌めき
玉胚のその深部から転生する
逃げた時間は捉えられない
凡そ芸術は嘘から出た真
嘘から出た真よ、真から出た真よ
羽を震わすキリギリスは、何が故
答えは見いだせず、謎を抱いたままに
翠瑞々しく、色は褪せない
もはや、玉自らが名工を孕んでいる
(二〇〇四年一月三十一日)
*余光中(ユ・グワンチョン)の詩「翠玉白菜」を訳詩しました。余光中は1928年、南京生。大陸、そして台湾で最も知られている現代詩人の一人。その創作活動は詩のみならず批評、散文など多岐に及びます。今回の「翠玉白菜」翻訳は、胡有清編集による余光中の詩選集「翠玉白菜」(2013年、南京大学出版社刊)に所収の同名作品を底本としました。
*「翠玉白菜」は、台北故宮博物院所蔵の「翠玉白菜」(清代18~19世紀、高18.7㎝)を指します。硬玉の翡翠を彫り込んだ名品。白菜の葉先にはキリギリスと、詩には触れられていませんがイナゴも一匹ずつ彫られています。余談ながら私は、過去3回台北故宮博物院で実物に遭遇しています。 (2021.4.4.清明)
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