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2020年8月 7日 (金)

大阪市平野区自治会役員強要、障がい者自殺の件を大阪の友人から知らされて。

ネットで検索すると朝日、産経、関テレなどの項目が容易に検索できるが、私の住んでる広島など地方ではそうしたニュース項目は私の知る限りで新聞などには見当たらなかった。NHKなどメインニュースでとりあげられたのかどうか。

自治会組織は、時に権力組織と化す。言いたくても言えない雰囲気がある。ボス的な存在が意見を封じ込めることもあるし。(実は、私の両親は町内会と折り合わず、以来数十年、両親亡き後も町内会に加入していない)。

今の日本にも依然蔓延している同調圧力。それは戦前から基本的には変わっていないように思う。自治会、町内会などは、時として、国家権力の統治或いは監視システムに組み込まれ、そこでは「個」のあれこれは、抹殺されてしまう。「個」のあれこれにこそ、人は目を配り、お互いに助け合わなければならないのではなかろうか。そう思うのだけれど、それは現在、現代、うまくは機能しないし、心の有り様も変わってしまったのだろうか。あまりにも悲しいし、情けない。

うがった見方をすれば、それは、現国家権力に庶民はからめ捕られ、いいように振り回され、犠牲者を生み出しているのかもしれない。(大阪に限れば、ポピュリズムの極みとも私には思われる政党が地方自治を牛耳っているように思え、そこに絶望的なほどの庶民の妄信も貼りついているようだし、いわゆる弱者には、そしておそらく私にも生きずらい。)

彼の自殺は、他人事ではないのだ。

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