汚染水であり、性的児童虐待である、ということ。
東京電力福島第一原発から排出された汚染水を処理水と言い換える。
言い換えても、トリチウム、セシウムなどの放射性物質によって汚染された汚染水である事実は薄められない。
芸能事務所のトップが長年にわたって数百人、いやそれ以上とも言われる少年たちに性的虐待を加え続けた事実を性加害と言い換える。
言い換えても、その犯罪行為の事実は薄められない。
そして、多くのメディア、マスコミも、その処理水、或いは性加害の呼称を使う。
根っこは同じではないのか。
恐らく多くの市民は、国民は、たいしてそれを気に掛けること無く日々を過ごし、やがて何事も無かったかのように、風化していくのか、いや、それはまずいのだ、まずいのである。
知りながら知ろうともせず、自分自身の立ち位置を曖昧にして、楽な方へ傾いて行く。そうしてきた「私たち」が、これからもそうであるなら、曾て多くの国民が戦争へ戦争へと雪崩を打って熱狂した歴史は繰り返されないとも、限らない。
過去を掘り起こしながら、今、少なくとも私は、処理水ではなく汚染水と呼び、性加害ではなく、性犯罪として、ニュースを(正しく)読み換える。
許されざる日々を忘れてはならない。
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