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2014年12月20日 (土)

朱自清の「父の背中(原題:背影)」を、私の翻訳でご紹介します。

12月16日の夜から降り始めた雪は、我が家の庭先では18日までに30センチほど。

19日は久し振りの青空だったのですが、雪は溶けず。

20日の今日は朝から雨。やっと、路面が見え始めています。

私の家のあたりでこんなに雪が溶けないのは、この10年記憶がありません。

さて、今年は朱自清の作品をご紹介していますが、春の「春」、秋の「ばたばた」に次いで、冬は「父の背中」です。

ではどうぞ。

「父の背中」(原題:「背影」 )        朱自清

 私と父はもうニ年余り会っていない。私が忘れることのできない記憶は、父の背中にある。その年の冬、祖母が亡くなった。泣きっ面に蜂で、父は職を失っていた。私は北京から徐州に着いた。そこで父と落ち合って祖母の家に帰り、葬儀の支度をするつもりだった。私は徐州で父と会った。父の住まいは荒れ果てていた。私はそこでまた祖母を思い、涙が頬を伝うのだった。父は言う。「過ぎたるはかくの如し、なんの困難があろうか、天に人の道の絶えざるは無し」と。

祖母の家に帰ると、あれこれ質に入れてお金を工面したのだが、それでも父はまだ借金をしなければならなかった。その借金で葬儀の費用を賄った。数日というもの、家の中は惨憺たる有り様だった。それは、一つは葬儀の為、また一つは父の無職であるがゆえのことだったのだが。葬儀が終わり、父は職探しの為に南京行きを算段した。私もまた勉強の為に、北京へ帰らなければならなかったので、私たちは一緒に発った。

 南京に着くと、その地の友人と街に出て、一日を過ごした。二日目は午前の便で長江を渡り浦口へ。午後、ここから北京行の汽車に乗る。父は、忙しいので私を送らないと言っていた。ちょうど宿に父と旧知のボーイが居り、私のことを任せようとしたのだった。父は事の仔細を話して、ボーイにあれこれ私のことを頼み込んでいた。しかしながら、結局のところはボーイを信頼できないのか、不安は隠せない様子だった。だが実際、私はその時、既に二十歳で、北京とニ、三回は往復していたし、特に急がなければならない旅でもなかった。父は、思案の挙句、結局、父もまた私を駅へ送って行くことにした。私は何度も父に、その必要はないと言ったのだが、父は「大丈夫、それにあいつらにお前を任せるわけにはいかないから」と、言うのだった。

 私たちは長江を渡ると、駅に向かった。私は切符を買い、その間も、父はせわしなく荷物を見ていた。多過ぎる荷物のため、ポーターに幾ばくかのお金を渡して、その荷物を運ばせようとした。父はせわしなくその金額を掛け合っていた。私は、その時はまだあまりにも世間知らずだったのだろう、父のその値段交渉といったらみっともなく見え、かといって、私にはどうしても口を挟むことが出来なかった。父はどうにか金額を決めると、私と汽車に乗り込んだ。父は入り口の椅子を私の席に決めた。私は、父が確保したその席に、紫色のオーバーコートを敷いて、座り心地を整えた。父は、周囲に油断をしないように、そして夜はよく眠れないだろうから風邪をひかないようにと、言った。私の面倒を見るようにか、ボーイにまた何やらくどくど頼んでいた。私は心の中で、父の度を越した心配性を嘲笑った。ボーイやポーターは父のお蔭で濡れ手に粟、幾ばくかの小遣い銭をせしめた。彼らにとっては思いがけない儲けだったに違いない。しかも私ときたら、もういい年をしているにもかかわらず、自分の目の前の蠅が追えないのだ。ああ、今にして私は思う。あの時私は、傲慢なばかりで何も分かってはいなかったと。

 「お父さん、もう行ってください」と言う私の言葉には応えず、父は汽車の外を見て「蜜柑を買って来る。お前はここに居なさい。動くんじゃないぞ」と言った。私が目を遣ると、ずっと向こう側のプラットホームの柵外で物売りが客を待っていた。蜜柑を手に入れるには、そのプラットホームまで辿り着かなければならない。線路を跨ぎ、柵の外へ飛び降り、それからまた柵をよじ登るのだ。父は太っていた。そこまで行くには些か時間がかかった。私が行けばよかったのだろうが、父がそれを許す訳もなく、父は既に行動を起こしていた。私は、父が被っている黒い布製の小さな帽子を見た。それから黒くて大きな上着を見た。丈の長い紺の綿入れを見た。父は、よろよろと線路脇へ辿り着いた。ゆっくりと身を乗り出した。それはまだよかった。問題はそこからで、父は線路を跨ぎ、それからプラットホームの柵をよじ登るのだ。それは容易な事ではなかった。父は両手で柵にしがみつき、両足をばたつかせていた。父の太った体は、左へ僅かに傾いた。力の限りあがいている様子が見て取れた。私は、この時、父の背中を見ていた。私の目に涙があっという間に溢れてきた。私はあわてて涙を拭った。父に気付かれることは無く、周りの人々にも気付かれること無く。私が再び目を上げたとき、父はもう朱(あか)く熟れた蜜柑を抱えてこちらへ向かっていた。線路を跨いで、蜜柑を地面に一旦置き、ゆっくりとホームに上がると、再び蜜柑を抱えた。こちらへやってきた父の体を、私はホームに出て支えた。父と私は連れだって車内に戻った。それから、父は蜜柑を私の皮のジャンパーに押し付けた。ジャンパーに付いた泥を払うと、私の心の内はなんだか軽くなった。父が口を開いた。「じゃあ私は行くから。あっちに着いたら手紙を書きなさい」。私はその時、父が車内から一刻も早く出て行ってくれたらと願った。父は数歩歩いて振り向いた。父は言った。「さあ、自分の席に戻りなさい。荷物を置いたままじゃないか」。私は、父の背中が人混みに紛れるのを待った。もう父を探さなくても良いのだ。私は席に戻った。私の目に涙がまた溢れてきた。

 ここ数年来、父と私は東奔西走で、家の状態と言えば、ますます悪くなるばかりだった。父は若くして家を出て働き、一人で身を立てていた。多くのことを成し遂げたのだった。だが、老境を知ってから全くもって意気消沈した。父は、時に、自分ではどうにもこうにも思うようにならない自分の感情に、苛立つ。家の、こまごまとした些事にさえ、父の怒りは触れるのだ。父はもう昔の父ではない。その父に私は、ここ数年会っていない。それでも父は、あれやこれやと私を思い遣り、私の子供を心配する。私が北京に行ってから、父は私に手紙を一通寄越した。手紙の中で父は、「体は大丈夫だが、ただ肩が痛い。箸や筆の上げ下げが辛いし、それがはなはだ不便だ。この世を去る時も、そう遠くはない」と。私はここまで読むと、私の透明な涙の中に、また、あの太った父の姿が浮かぶ。青い綿入れ、黒い上着の背中。ああ!私はまたいつ父に会うことが出来るのだろうか!

(一九二五年十月北京にて)

 

*底本「朱自清散文集」百花文艺出版社

(訳:洋文 2014.1130

 <転載、引用厳禁!>

2014年11月17日 (月)

朱自清「春」を訳しました。

「春」

                                                朱自清

 

待ってた、待ってた、東風(こち)が吹く。春の足音が近づいて来る。

万物は目覚め、その瞳は輝く。山は朗らかに笑い、水は滔々と流れ、太陽も一層赤い。

土を穿って草は、瑞々しく鮮やかだ。庭に田野に、そこかしこに青々と春。人は、座ったり、横になったり、転がったり、ボールを蹴ったり、駆けたり、鬼ごっこに興じたり。風はふんわり軽やかで、草はなんとも柔らかだ。

 桃、杏、梨、どれもこれもが咲き競い、どれもこれもが満開の時。その花弁の紅は火のようで、その咲き乱れる様は霞のようで、その白さは雪のよう。花は甘美に香る。目を閉じれば、たわわに実った桃、杏、梨!花に誘われ無数の蜜蜂が羽を唸らせている。アゲハやシジミ、様々な蝶が、舞い寄っては去り、去っては舞い寄って来る。野の花は遍く地上に姿を現す。名も知らぬ野草、誰もがその名を口にする春の花、そのことごとくが里を埋めている。まるで野に瞳があるように、そしてまたそこが星の世界であるかのように、花の瞳が瞬いている。

「柳の風の心地よさよ」。その優しさ暖かさにお母さんの掌を思う。大地に命は芽生え、若草は丈を伸ばし、花々は香り、大気は潤う。花と若葉に包まれて、鳥は安らかに巣篭る。楽しいではないか。鳥は自慢の喉を震わせて、その心地よい音色を聴かせてくれる。歌声は風に乗り、流れる水と溶け合って行く。牧童が牛の背で笛を吹く。その笛の音は、天高く響き渡る・・・。

  雨が数日降り続いたからといって、この時期ならば、どれほどのことがあろう。悩ましくはない。ご覧なさい。雨はまるで牛の毛のように艶やかで、花のめしべのようにたおやかで、そしてまた、その細密さは絹の糸。雨は、精緻に織り上げられて、家々の屋根を隈なく包み込み、一層仄暗く煙っている。それでも、木々の緑は鮮やかに輝いているし、あなたが目を落とせば、下草も青く染め上げられている。やがて日は暮れ、灯が点り、点々と淡い光が夕闇に滲む。しめやかで平和な夜が訪れる。里の小路の石橋の畔に、とぼとぼ傘を差して行く人があり、 野良には、夜のとばりに追われながら、蓑を纏い笠を被り仕事に精を出す農民がいる。彼らの家々は、春の雨に、あまねく黙している。

この空が晴れたなら無数の凧が舞い、子どもたちが群れ遊ぶ。家並の軒先を老いも若きも行き集い、今この春を楽しんでいる。春は体に生気が宿り、精神は奮い立つ。それぞれの春を謳歌しよう。「一年の計は春にこそある」。いろんな夢や希望が、頭をもたげてくる。

春は、生まれたばかりの女の子のようだ。つま先から頭のてっぺんまで伸び盛り。

春は、娘のようだ。ほら、まるでしなやかに揺れる花の枝で、その娘ときたら、笑い転げる、走り回る。

春は、りりしい青年のようだ。腕っぷしは強く腰まわりは逞しく、彼らは、もはや老いたる私たちの先を歩む。それを使命と、よくよく分かっているのだ。

 

*底本「朱自清散文集」百花文艺出版社

 

(訳:洋文 2014.5.17.)

 

*朱自清:18981948.近代中国を代表する詩人、エッセイスト。

*先日のブログで、今春に「春」をUPと書きましたが、私の勘違いで、1月に一部分の訳だけをUPしていました。改めて「春」の全訳をUPしておきます。

 

 

2014年11月15日 (土)

 朱自清「ばたばた」(原題:匆匆)を訳しました。 

中国のエッセイストで詩人、朱自清の作品紹介第2弾です。

前回の「春」が確か5月ごろだったので、半年ぶりですか。今回は「ばたばた(匆匆)」。あくまで自分なりの自己満足訳ということで。ではどうぞ。

    「ばたばた」(原題:匆匆)                       朱自清

  燕は去り、また再び飛来する。楊柳は枯れても、また再び緑の時が訪れる。桃の花は散り、また再び花が咲く。時よ、あなたはご存じだろうか、私たちの営みが、何故にこうして過ぎ越しを繰り返すのかを。 時の盗人よ。あなたはいったい何者なのか?そして、過ぎ去った時をいったい何処に隠したのか?いやいやそうではなく、時は、自らの意志で逃げ去ったのだろうけれど。では、果たしてその逃げ去った時は、今何処に居座っているのか。

  もっとも、彼らが私にどれだけの猶予を与えてくれているのか、私は知る由もないが。ただ言えるのは、私の手は何かを確実に掴み取ったわけではなく、掴み取った筈の何かは、手ごたえも無く虚ろであるということだ。時は何も語らず、二十年以上も私の手の中から流れ落ち続けている。もともと、時の一滴は海に消えた針の先端ほどで、私の時はその僅かな一滴の連続に過ぎず、音も無く、影も形も無い。様々に思いを馳せれば、私は涙を禁じ得ないのだ。

  去るべきものは去り、来るべきものは来る。去るもの来るもの、その狭間で時は何故にこうも慌ただしいのか。朝起きると、我が家の狭小な一室にも、太陽の光はあちらこちらから差し込んでくる。太陽には脚があり、それは軽々と音も立てずに移動する。私もまた似たようなものなのか、日がな一日ただ黙々とせわしなく同じ所を回転しているにすぎない。時は、手を洗うたびに手水鉢から零れ落ちる水のようにあっけないし、そしてまた、食事時に御碗から飯粒が零れ落ちるように、去っていく。私がぼんやりしている間に、時は私の目の前から消える。しかもそれは、いつだって慌ただしく、手を伸ばして遮ろうとしても、遮ったその手の端から遠ざかる。未明、私はまだ寝床に横たわっているのだが、よくしたものでそれは私の体にまたがり、私の足元から飛び去って行く。目覚めてまた再び太陽に別れを告げて、私の一日が終わる。私は大きく溜息をつく。一日は私の溜息に始まり、瞬く間に過ぎて行くのだ。

  飛ぶが如くに逃げていく時よ。無数の営みがひしめくこの世界の中で私には、いったい何ができるというのだろう。ただ当てどなくうろつくだけか。ただせわしなく動き回るだけか。私には、これまでの人生、日数にすれば八千日以上をばたばたうろつく以外に、時を費やす術は無かった。過ぎ去った時は、僅かな風にも吹き散る煙の如く。朝の太陽に溶ける薄い霧の如く。私は、いささかでも私の痕跡をこの世に残せるのだろうか?これまでに私の残したものは、頼りなく揺れる、か細い絹糸一本にでも例えられるのだろうか?私はこの世に裸で生まれ落ちた。そしてまた一瞬にして裸で帰っていく。だから私は、無駄にせわしないこの生き方を、そう易々と受け入れたくはない。

  時よ、聡明なあなたは私に答えなければならない。我たちの「時」は、何故に繰り返すのかと。  [1922.3.28.]

*底本「朱自清散文选集」百花文艺出版社

(訳:洋文 2014.11.13.)

2014年11月13日 (木)

出雲、石見路。2014年、初冬。

<雨の出雲へ>

今週の日曜日(11月9日)、ふと思い立って、雨の中、出雲大社まで車を走らせました。往路は、中国自動車道から三次へ降り、R54経由で出雲まで。 赤名峠は紅葉がピーク。赤や黄が雨に滲んでいました。 お昼ちょうどに出雲大社に到着したのですが、激しい雨にもかかわらず、日本各地から多くの参拝客が訪れていました。スターバックスもあったりして、すっかり縁結びのパワースポット。私は、もう何十回となく訪れているものの前回が10年以上前。その間に、周辺を合わせて、かなり様変わりしていました。

... お参りした後、色々と思い出深い鷺浦、鵜峠(ここへの道は狭く勾配もきついのでお勧めしませんが。)へ。それから日御碕へも足を延ばしました。

日御碕までは出雲大社から車で僅か15分程度にも拘らず、大社周辺の喧騒が嘘のよう。駐車場も日御碕灯台への遊歩道も閑散としていました。 「雨だから?」って、土産物屋さんの店頭で暇を持て余しているおばあちゃんに聞くと、「いや、いつもこう」だそう。 いいところなのにね。せっかく出雲大社までお越しになったのなら、日御碕へもおいでになればいいのに。 私は、雨が小降りになるのをその店先で待って、それから日御碕灯台のてっぺんへもえっちらおっちら上ったのでしたが、あれだけ降っていた雨が、私が上りきるのを待っていたかのように止み、薄日さえ差し始めたのでした。 ちなみに、経島(ふみしま)にウミネコが飛来するのは、12月になってからだそうです。

雨が上がったので、海岸沿いを、しばらく走りました。

松江道も開通し、浜田道と併せて、まあ当たり前と言えば当たり前ですが、この10年で物資の流れもすっかり変わってしまったなあと、感慨深いものがありました。

降っても晴れても出雲路、皆様もどうぞ。

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2014年6月 7日 (土)

「野窓(Nomado)」二題。2014.6.7.

「卯の花腐(くた)し」

ふっと、日が差したのも束の間。

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雨後の筍。

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2014年5月31日 (土)

今日の渇きの為に。

《今天的渴望

枣树

几天前,是我的生日。

父亲去世以有十数年了。

但是到现在我也不明白,能干什么?想干什么,在努力什么?

回过头想想,从母亲去世以来,感觉全身的力气好像也随着母亲消失了,

怎么也没办法找回。

但是在我生日的时候收到了好多朋友的祝福。

对于像我这样的人,能在这个时候收到这么的祝福,这让我感到很幸福,

很满足,使我充满了力量。

 

我感觉,现在,我的国家的指导人在引发战争。

很以前,我看了电影,“因为很远的国家的核试验,男人自杀了的故事”。

现在,让我感觉到离我很远很远。

 

大概明天会下雨。

因为花今天须要浇水,所以我不能等到明天。

(2014.5.20)

 

 

 

今日の渇きの為に。

数日前、誕生日を迎えました。
父が旅立った年まで、あとほんの十数年。
何ができるでもなく、何をしたいでもなく、なにをしようでもなく…。
思えば、母が旅立って以来、どうにもこうにも、脱力感の日々です。
それでも、私のそのささやかな記念日を祝ってくれる友人がいたり。
家族の無い私には、それだけで十分で。

さて、そんな私の暮すこの国の為政者たちは、戦争への道を拓き始めているようです。
嘗て観た映画に、遠い国の核実験に絶望して自死する男の話がありましたが、
それもまた、あまりに遠すぎる遠すぎる。

明日は雨になりそうです。
それでも私は、今日の渇きの為に、鉢植えの花に水を撒いたのです。

5

 

 

 

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2014年5月19日 (月)

「青草」 (枣树)

「青草」       枣树

天微亮
朝露闪着光...
从叶端落了
一滴又一滴
水滴入掌心
沁入掌纹

空は仄かに明け
朝露が日に光り
葉末から一滴二滴
掌に零れて
滲む

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2014年2月15日 (土)

猫柳にも宿る温もり

いわはしるしみずのながれをわってさく

ねこやなぎにもやどるぬくもり

      <宮下重光(みやのしたのしげみつ)>

                 「万菜集 巻一」より

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2014年2月12日 (水)

 「夢ってやつは」魯迅

夜中に、魯迅の言葉を訳してみた。但し、例によって私流。

 「听说梦(南腔北调集)」   鲁迅
做梦,是自由的,
说梦,就不自由。
做梦,是做真梦的,
说梦,就难免说谎。
*「魯迅箴言(魯迅の言葉)」(監訳:中村愿、平凡社刊)より

(拙訳)
 「夢ってやつは」   魯迅
夢、見るのは自由だが、
夢、それを語るには躊躇する。
夢、見る夢は正夢でも、
夢、それを語れば逃げていく。
 
<無断転載禁>

*画像は、去年の暮、道端の草むらで熟れていた烏瓜(カラスウリ)。
 魯迅の言葉との関連性は全くない。ただなんとなくいいんじゃない。
 

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2013年12月21日 (土)

「殿敷侃再考」(森村泰昌×濱本聰)2013.12.21.広島市現代美術館

今日も、雪。重い雪でした。

さて、午後、広島市現代美術館へ。

森村泰昌さんと濱本聰さんの対談を聴きに。

テーマは「殿敷侃再考」。

ちょうど常設展では、森村泰昌さんと殿敷侃の収蔵作品を一挙観ることができるわけで、

それもあって。

今回の常設展のテーマは「コドクノチカラ」(2014.2.23迄)。

なんともはや・・・・・のネーミングではありますが、それはおいといて。

2時間があっという間の、楽しい対談でした。