文化・芸術 Feed

2022年4月10日 (日)

灯浮標26(2022.4.10)パーキンソン病と認知、依存症、幻覚など・・

8日(金曜日)は未明3時台に電話で起こされる。昨日は久しぶりに夜中、呼ばれることはなかった。今日は未明2時台に呼び起こされる。悪夢を見たらしい。また、曾ての飼い犬も繰り返し夢や幻覚で出現しているようだ。実際に玄関の扉を開け犬を捜し飛び出ることもある。

ミラベックスを減らして以降、頻度は落ちたような気はするがやはり幻覚幻聴の類はなくならない。また夜中に空腹を覚えて冷蔵庫からリンゴを取り出して丸ごと齧ることも複数回。

気分の波の揺れが大きい。

まあ、私もこのところ、介護疲れの積み重なりもあってかイライラの幅が大きい。

ウクライナ報道。進展はなかなか見られないようだ。

言葉を、只連ねて見る。思い出すままに。

キーフ、ブチャ、マリウポリ、ソチ、ベトナム戦争、枯葉剤、アウシュヴィッツ、南京虐殺、広島、長崎、東京大空襲、沖縄戦、関東大震災、朝鮮人虐殺、日本軍731部隊、細菌兵器人体実験、シベリア抑留、ホロコースト、ロヒンギャ、クメールルージュ、・・・・・・・・

2022年3月25日 (金)

厳島・弥山登山(十数年ぶりに!)

2022年3月24日木曜日。薄曇りから晴れ。

思い立って、十数年ぶり、宮島の弥山に登ってきました。

もう何度もいろんなルートで上ったり、尾根つたいに縦走したりした宮島の弥山。

最後に登ったのは、たぶん十数年前。

足腰に自信無かったのですが、上ってみたくて、しかもかなりなハードスケジュール。

宮島行桟橋10時40分~(JRフェリー往復運賃360円)~宮島桟橋着10時50分~

紅葉谷コース11時5分登山開始~

~途中5分休憩をはさんで~弥山山頂(標高535m)着12時15分

(おむすびとバナナを齧って)山頂発12時45分~大聖院コースを下山1時36分~

宮島桟橋発2時10分~(JRフェリー)~宮島行桟橋着2時20分~帰宅

何とかなりました。翌日の筋肉疲労の辛さときたら。

それでも、瀬戸内海を望む景色は最高でした。

コロナ禍、観光客多し。

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2022年3月21日 (月)

灯浮標20(2022.3.21.月) 血圧高め、とか。私の事だけれど。

Sは19日(土)20日(日)、月一回のショートステイ。私のレスパイト。

土曜日は田舎へ墓参。帰路、激しい雨にたたられる。長い運転歴の中でもあまり経験がない程で、途中パーキングエリアで仮眠。

20日は、地下鉄サリン事件から27年。14人死亡、6900人の被害者。

そして、宮城・福島では依然2万戸が断水とか。

私と言えば、朝から血圧が高い。175-116(食前、朝10時)

何度計っても・・・・結局170-109がせいぜい。流石に心配になる。

振り返ってみるに、昨年4月頃から血圧が高くなり始めたのだが。まだ薬のお世話にはなっていない。

朝4時、いつものように、テレビからは通販番組が流れている。

今日はSの友人が数か月ぶりに遊びに来る。

もう少し眠る。

2022年3月18日 (金)

灯浮標19(2022.3.18)パーキンソン病とギャンブル依存症などのブログ。

2022年3月16の日午後11時36分ごろ発生した宮城・福島を中心とする震度6強の地震では多くの被害がでた。現時点で3人死亡180人以上がけが。東北新幹線脱線。福島原発は一時冷却停止。

ウクライナでは、500人以上の市民が避難しているマリウポリの劇場がロシア軍に空爆されて、多くの死者、けが人が出ているようだ。救出が続けられている。

今朝4時頃、Sの呼ぶ声に起こされて、下着を換えてやり、脚や顔などを拭き、体勢を整えたり。新しい薬がオンジェンティス錠は効くには効くが、まだ体が上手く対応できていないようだ。

(薬の為か、気候のせいか、気分がどうも過剰にハイになっているようだ。色々な面で却って不安にもなる。)

昨日の朝、3時ごろから4,5時間、リビングの車椅子に移動して眠ったままだったらしい。(本人談)私が声掛けをしてもしばらく意識も体も覚醒していなかった。

朝8時過ぎの段階で低血圧状態。(起立性低血圧ではないようだが。)

*血圧メモ

<食前8:10> 79-52(脈拍51)

<食前8:15> 87-57(脈拍54)

<食後8:45> 105-61(脈拍53)

血中酸素濃度は100.

丁度この日、午後リハビリだったので、問診の医師に話すが、様子見で、先ずは問題はないだろうとのこと。

2022年3月15日 (火)

灯浮標17.(2022.315.)パーキンソン病と依存症。新薬服用のことなど。

灯浮標16からの続き。

先週9日から服用を始めたオンジェンティス錠の効果とはっきり言えるのかどうか確信は持てないのだが、少なくともS本人はその効果との認識があるようだ。

ウェアリングオフの時間が少なくなったようだ。ただ、夜中の覚醒はより顕著。それは、こちらも新しく服用を始めた導眠剤デエビゴ錠の影響も加わっているようにも思えるが。

昨日は言語療法リハビリもあり、本人のモチベーションが高く、また今日15日は特にデーサービスで数か月ぶりに音楽療法が再開されると言いうこともあり、気分が高まっていたようで、夜中、私が知らない時間に起き出してと言うか、ほとんど眠って居ないのではないかと推察されるが、4時過ぎに物音で階下に降りて見ると、Sが台所で動けなくなっている。

むすびが欲しいと言うので3個ほど小ぶりで作ってやる。マドパー半錠を服用させてマットレスに寝かせる。

隣りの寝室は、脱いだ衣類や、薬、湿布などが散乱。

洗面所も似たような状態。深夜に着替えたり、その他ごそごそ動き回った様子。

今日の音楽療法で自分の過去に作った曲を取り上げてもらえるかもしれないと言う思いから、楽譜や自らピアノを弾いて歌ったCDなどの準備を数日前からしている様子(期待と不安が重なり合って、行動が収まらなくなっている。しかもその際、ドーパミンが多量に出て、しんどさを快感が無自覚の内に上回っているのではないか・・・。本人には自覚がないから調節ができない。歯止めが効かない。)だが、そうした思いから精神状態が躁となっている。

新薬の影響もあるのか、ここのところ何につけそうした感情の高まりが強い。私から見れば常軌を失っているようにも・・・。

ただ、これはパーキンソン病にたびたび見られる典型的な症状、行動パターンの一つとも。ドーパミンの成せることかも。(知人のパーキンソン病を長く患っていらした高齢男性も夜中の活動が収まらず、奥様がご苦労をされたという話をたびたび聞いた。)、

私と言えば、Sのそうした様々なことに振り回される。

ここ数日、私自身もあれこれ忙しく、相変わらず疲労が蓄積するばかり。

今日も忙しない一日になりそうだ。口内炎がひどい。

2022年2月28日 (月)

灯浮標8(2022.2.28)パーキンソン病とテストステロンのことなど。

今朝も団地の坂道を救急車が駆け上がって行く。この団地は造成して入居が始まりすでに50年前後ではなかろうか。高齢化率が高い。まさに頻繁にという表現がふさわしいくらいに、救急車の音を聞く。

(メモ)

朝食事、テレビで男性の更年期障害について特集をしていた。

そこで耳にしたのが「テストステロン」。これは私の記憶にあった言葉だ。

確か、パーキンソン病となんらかの関連性がなかったのではなかろうか、と。

ネットで検索してみると、やはり多くの関連サイトが見つかる。

例えば「パーキンソン病を有する男性におけるテストステロン療法」、「テストステロン欠乏症によるパーキンソン病を有する男性患者における難治性非モーター症状」等々。

鬱症状であるとか、怒りっぽくなるとか、気分が頻繁に変わるとか、極度の倦怠感であるとか、様々な症状がみられる所謂更年期障害は、既に私にも多くあてはまるわけで、他人事ではないのだが、イライラはパーキンソン病であるSの介護にも負うところもあり、また自律神経失調性的症状もみられ、加齢と共に、複合しているのだろう。

ただ、sのパーキンソン病特有の症状が、テストステロン物質の欠乏にも拠ることもまた重要なファクターの一つなのだろう。

などとテレビを見ながらふと思った。

だからどうこうというわけではないのだが。

さて、私の横でSは、何時ものこととはいえ、食事をしながら既に意識が覚醒せず、食べ物をこぼしつつ・・・。ここ半年、いや1年、よくみられる傾向。覚醒状態と非覚醒状態のその変わり目もよく分からない。

今朝私が階段を下りて行った(夜2時過ぎ、5時過ぎにはいびきが聴こえ、よく眠って居たようだが。)6時過ぎ。(階下の部屋で一人眠っている)Sは既に衣服を自分で脱ぎ、シャワーを浴びていた。本当は、一人で早朝にそういった動作はやって欲しくは無いのだが。浴室で万が一の転倒など、怖い。

それから着衣を手伝う。おむつは今日は嫌がり、パンツを穿く。

午後1時からリハビリテーション病院で言語療法リハビリがある。これは月曜と金曜日の週2回。言語療法士と相性がいいのか、先ず先ず積極的である。それもあって、自分から用意をしているのだが、昨夜は血圧の薬を飲み忘れている。これは私の確認ミス。

昨日あたりから昼は気温も10度台まで上昇し、春めく。

(以下次回)

昨日2月27日の、新型コロナ広島県内の陽性者は837人。ここ数週間ずっと高止まりだ。

ただあまり数字にばかり一喜一憂すべきではないのでは。とも思う。

ウクライナ情勢に関するマスコミ報道は少なくともテレビではあまりにも少ない。

結局ネットに頼るが、それもネットによる。何が真実か、事実か。

いずれにせよ、ロシアやアメリカの大国の論理の犠牲になるのは何時も市民であるという事。

先ず、プーチンのロシアは撤退すべきだ。

2022年2月26日 (土)

灯浮標7(2022.2.26)パーキンソン病と共に。黄砂飛来。世界はどんよりとして憤りの中に。

時系列の整理を。

Sがパーキンソン病を発症したのは、医師のカルテでは2006年1月となっている。

定年退職まであと3年のタイミングで休職。休職は3年に及びそのまま定年他誌欲となる。

退職まで数年というタイミングですでに馬券など、ギャンブルにはまりつつあった。

それを決定的にしたのが、ネットで知り合った複数の人物の存在。

一種の洗脳と言えるのではないだろうか。

定年前後の事だと思われる。

定年退職した年。2015年。平成27年。夏の初め。Sは)べてを失っていた。負債を返すためにパチンコ通いという異常な日常。当時10歳と13歳の飼い犬の世話はパーキンソンの進行とギャンブルとでおざなりになりつつあった。私と共通の友人とで諭すが聞く耳を持たない。

債務超過の現実を前に、どうにも立ち行かなくなったSの日常。

結局簡易裁判所に助けを求め特定調停となる。こまごまとした書類集めやクレジット会社、簡易裁判所などとのやり取りは、全て私の作業となる。唯一の肉親であったSの姉にはSはすべてを話してはいない。

7月、私の家に犬二匹と共に同居。

この年の8月申し立てをし、9月特定調停が完了し11月から毎月の返済が以後4年(2019年まで)にわたって続くことになる。

二年後、Sは家と土地を手放す。そのお金は負債の返済とパチンコに消える。

その一年後飼い犬の内の一匹、ミニチュアダックスフンドが14歳で亡くなる。

その一年半後もう一匹の飼い犬だったコーギーが13歳の誕生日を待って夏、旅立つ。

その年の秋、9月負債完済。ただ、パチンコ通いは一向に収まっていなかった。

パーキンソン病によくみられるギャンブル依存症と考えられたが、Sは、私に医師への相談をさせなかった。Sの姉もギャンブル依存症が続いていたことについては知らない。

薬の調整によってもう少し何とかなったのではとも思うが、それも今となってはどうしようもない。私が甘かった面も多々ある。また、特定調停が始まった年の秋、ギャンブル依存から脱却を願って、依存症の会的なサークルに数回参加するが、Sはそれも次第に嫌がり止めてしまう。

2019年(令和元年)特定調停が終わって約2か月後、Sの肺に異常がみつかり入院。一ヶ月以上の入院。12月末に退院。

翌2020年1月、新型コロナウィルスで世間は騒然とし始めていた。

2月、膿胸、寛解。それからパチンコに1度。火は消えていない。翌年2021年秋にも1度。結局入院中から回数が激増してた宝くじのロトにのめり込む。

(特定調停後、ネット詐欺の一人が他都市でほかの被害者に訴えられ、Sも聞き取りの対象となる。刑事や検察庁からの聞き取り。私が立ち会う。)

2022年2月現在もロトは止まない。止むことはないだろう。

緩やかに進行するパーキンソン病の症状。現在ではすくみ足や振顫の回数も、継続時間もゆっくりと増加して行っているような気がする。

週2回のデーサービス。二回の訪問リハビリ。二回の通所言語リハビリ。週一回のヘルパーサービス。それとは別に週1回のヘルパーによる入浴介護。月一回の訪問看護。隔週の通院リハビリ。4週間に一回の神経内科通院(かかりつけ医となる。これはパーキンソン病発症以来のクリニックを、遠方であることなどから、私の負担も限界であり、今年別のクリニックに変更した。)

また、月一回のショートステイも。

どちらにせよ、当人の症状の進行(認知とはまだ言えないが、認知的症状(昼間の不確かな覚醒状態。)頻繁に起きる振顫、すくみ足、パーキンソン痛など)に加え加齢。更に私の加齢と長期に亘る介護からの蓄積した疲労もあり、先行きの見えない、将来への不安を抱えている。

もちろんSの見えない将来は不安である。言うまでもない。だが同時に、あくまで第三者である私の、当たり前ではあるがそう長くは無い、短い将来を考える。どう生きて行けばいいか、これからを。

<ロシア軍のキエフ侵攻!緊迫した世界状況!>

<収束を見せないコロナ禍>

2022年2月25日 (金)

灯浮標6(2022.2.25)パーキンソン病とギャンブル依存症。序の序の・・・

灯浮標5の最後に警察、弁護士等々に触れたが、結局のところ、SはSの職場にも迷惑が掛かるという事を利用にして、告発、或いは告訴までは踏み切れなかった。

ただ、お金を無心したのは彼らだけではなく。

Sが発病して数年後だったと思うが、兵庫県にある県立のリハビリセンターのうわさを聞いて、藁にも縋る気持ちで一ヶ月のリハビリ入院をする。が、そこのリハビリを私が見舞いがてら訪ねて、この目で見た限り、療法士はいかにも経験の薄そうな若者たちで、パーキンソン病に精通しているとは思えず、果たして、Sの体の状況は全く好転はしなかったのだ。却って状況は悪くなり、おまけに脊椎間狭窄症も病名までつけられ、入院から一か月後、コルセットを装着しての退院となった。そこで知り合ったギャンブルにはまってしまっていた男性からお金の無心を何度も受けることになり、断れず、融通するのである。(これは私が電話口ではっきりと断って終わるが。)

ネットで知り合った人物たちとは、なかなか関係が絶ち切れず、Sが負債を抱えてからも数年は続き、時にその中の一人には、私が厳しく進言するも耳を貸さず、さらに金銭を数回にわたって渡している。そうするうちに、ギャンブル依存症の傾向は強くなり、それは馬券へ、パチンコへと急加速していくのだった。枯渇するドーパミンを求めて・・・

(以下次回)

2月16日夕方からの雪は、結局24日の朝も止まず。こんなに厳しい冬は数年ぶりだ。


YouTube: 「雪の朝」lulu&tonys(完全版)

この詞が最初、頭に浮かんだのは、膿胸で入院していたsが退院間近だった12月末のこと。あれから年明け直ぐ、covid-19が猛威を振るい、パチンコどころではなくなるわけだが。今に続く、新型コロナウィルスが無かったら、果たしてSはギャンブルをやめていただろうか。悲観的になるのだ。退院してからも数回はパチンコに通っている現実を見れば!

<2月24日。ロシア軍がウクライナ侵攻。プーチンによる侵略戦争を許してはならない。>

2022年2月21日 (月)

殿敷侃「夢岬プロジェクト」(1991.5、川尻岬)から。「夢岬賛歌」のこと。

最新曲「夢岬賛歌」は、殿敷侃が彼の死の前年、1991年5月に山口県長門の川尻岬で行った「夢岬プロジェクト」へのリスペクトの意味も込めています。

実は、この詞を書いた時点で川尻岬へは行ったことがなく、その岬のイメージは想像であったわけで、その後ふと思い立ってネット検索。川尻岬は本州最西北端の岬で、しかもちゃんと灯台もありました。歌の世界観とは合っているようでありました。

そして、また、この曲の詞が浮かんだのは、朝方の布団の中。うとうと夢の中でした。

「夢岬賛歌」Lulu&tonys

作詞:Azmi h Eijima 作曲:Kamal

灯台の光とどくところ遥かに

明日を指し示し

夢を約束してくれる。

黄昏の風に吹かれて

朝焼けを纏う。

波の音は激しく

心騒ぐ。

1)

草原は 岬の端先へ

朝の光が 背中を押して

夢の岬へ 歩き始める

行く手で蝶が 舞い遊ぶから

悲しい気持ちは 捨てました

寄せては返す 想い出や

はじけて消えた 希望でも

きっと輝く 岬の空で

ああ ああ 夢よ飛べ!

明日を信じて 夢よ飛べ!

2)

灯台の 光を追いかけて

舟を漕ぎだす 夢を見ていた

黄昏どきは 朝焼けの色

羽を休める 岬の蝶に

悲しい気持ちも 拾います

寄せては返す とまどいや

一度は消えた 希望でも

きっと耀く 星の標よ

ああ ああ 夢よ飛べ!

明日を信じて 夢よ飛べ!

ああ ああ 夢よ飛べ!

明日を信じて 夢よ飛べ!

(2022.1.24)

今年の春ごろにでも、時間を見つけて、ぜひ、川尻岬を実際に尋ねてみたい。と思うわけで。


YouTube: 「夢岬賛歌」(ゆめみさきさんか)(試作)


YouTube: 夢岬賛歌(試作、アカペラ)

2022年2月19日 (土)

灯浮標3(2022.2.19)或る依存症の夏から(続)。或いは蹌蹌踉踉として。

「蹌蹌踉踉」。内田百閒を読んでいて出くわした言葉。

日付が18日から19日に変わった夜中12時。階下からの携帯電話に今夜も起こされる。

両腕を揉んでやる。両足をさすってやる。

Sは典型的なパーキンソン痛に悩まされている。

それに連日連夜付き合わされている私の神経もまた、疲れ切って24時間の果てしない介護の果てに、なんだかぼんやり「破滅」の文字が浮かぶ。

結局ね、介護者の方が先に倒れるのよ。とやはり長くパーキンソン病の夫の介護をされていた知人の言葉だが、そう、既に私の精神はそれだ。

ギャンブル依存症のSを何度諌めても全く治らないまま、4年5年6年・・・・肺に膿が溜まる「膿胸」で入院し、退院した年末。その翌年初めから日本でも新型コロナウィルスが猛威を振るい、やっとパチンコ通いは鳴りを潜めたのだが、ギャンブルの火はくすぶり続けているのだ。

宝くじ売り場への日参。

そうそうろうろう。私は、よろめきながら生きている。ただ、酒の一滴も飲まずにだが。

(以下次回)