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2020年10月24日 (土)

金木犀の雨 ~金木犀の降る雨に あなたの靴音を聞いている~

一昨日から降り続き、昨日の朝、やっと止んだ雨。濡れた路面を、金木犀の花がうずめていました。(2020.10.23)

数年前に作った歌を、ふと口づさんだのでした。

「金木犀の雨」

  作詞:AZMI 作曲:Kamal

1)

ふるさとの道は 閉ざされて

脇道見知らぬ人 濡れて行く

いつもの癖で 目を伏せて

あなたの靴音を 聞いている

金木犀の降る雨に

あなたの靴音を 聞いている

2)

知らないまま すれ違うなら

これからもまた ただ ひとりの道

知らないまま 去り行く人

振り向けばあなたが 居るような

金木犀の 先に海

振り向けばあなたが 居るような

(2017.10.6)


YouTube: 「金木犀の雨」lulu&tonys ライブバージョン

2020年10月20日 (火)

母植え置きしツワブキの黄こそ

此の庭に

アララギ、ホトトギス咲けど

母植え置きし

ツワブキの黄こそ

(2020.10.19.永洋)

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2020年9月30日 (水)

~口和~君田(はらみちを美術館)~布野(中村憲吉記念文芸館)~作木~高宮~

2020年9月26日(土)

少し遅れた彼岸参り。一年ぶりの弟夫婦と。

昼過ぎに分かれて、私一人で西中国山地の山すそをドライブしながらの帰路。

ふと、思いついて、母校(高校)の大先輩の歌人中村憲吉。

その記念文芸館が生誕の地布野にある。生家を手直しして地元の人が顕彰している。

二階から、ぼっと、寒村の初秋の風景を眺めながら。ああ、46歳で結核で逝ったのかなどと。

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2020年9月25日 (金)

黄灯は標となって秋雨哉

黄灯は

標となって

秋雨哉

(永洋 yongyang.2020.9.24)

2020年9月12日 (土)

八幡高原の初秋。快晴の蕎麦畑とか。

初秋の八幡高原(西中国山地、広島県)へ車で出かけました。ほぼ一年ぶり。

今年はCovid-19の為に中止となってしまった「八幡高原聖湖マラソン大会」の10キロコースを、スロージョギングしました。

秋晴れの下、マツムシソウやナナカマド、女郎花など、秋の風情はいつもと変わらす。済んだ空気と共に満喫しました。

写真は、まだ満開前の蕎麦畑。(2020.9.8.火曜日)

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2020年8月24日 (月)

出雲行。(2020年8月21日)

父の命日が22日だからというわけでもないのだが、もうずいぶん訪れていない出雲方面へ。

朝9時50分、一人で自宅出発。

加計SIから中国自動車道、三次東JCから松江自動車道、山陰自動車道から松江市内、中海経由、美保関神社へほぼ4時間余り。美保関灯台、引き返して、境水道大橋、平田方面へ。

一畑薬師参詣、出雲大社(先に鷺浦、鵜峠、それから出雲大社参詣)、日御碕灯台まで。夕日が素晴らしい。

帰路は、出雲ICから山陰道自動車道、松江自動車道、中国自動車道~広島北ICを出て、帰宅は午後10時40分。走行距離554キロ。久しぶりによく走った!

猛暑だったが、一人ドライブを満喫。

2020年8月15日 (土)

75回目の敗戦記念日。

父もまた志願兵として戦争に駆り出された。

その父も今は亡き。

75年は遠く、そしてまだほんの隣りに。

黙祷。と、怒りを。

2020年8月 9日 (日)

長崎原爆忌の朝を待ちながら。「あの海の向こうに」~静かな反戦歌として~

日付が変わる頃、階下の同居人が私を呼ぶ声に・・・・

疲れは取れない。ここ何年かの精神と肉体の疲れが蓄積して、悲鳴を上げてる。

それでも起き上がり、階段を下りて行く。

辛い。辛い。

今日も酷暑と介護の一日が待ち受けている。

「あの海の向こうに」(lulu&tonys)


YouTube: 「あの海の向こうに(レゲエ版:reggae version)」lulu&tonys

2020年8月 7日 (金)

大阪市平野区自治会役員強要、障がい者自殺の件を大阪の友人から知らされて。

ネットで検索すると朝日、産経、関テレなどの項目が容易に検索できるが、私の住んでる広島など地方ではそうしたニュース項目は私の知る限りで新聞などには見当たらなかった。NHKなどメインニュースでとりあげられたのかどうか。

自治会組織は、時に権力組織と化す。言いたくても言えない雰囲気がある。ボス的な存在が意見を封じ込めることもあるし。(実は、私の両親は町内会と折り合わず、以来数十年、両親亡き後も町内会に加入していない)。

今の日本にも依然蔓延している同調圧力。それは戦前から基本的には変わっていないように思う。自治会、町内会などは、時として、国家権力の統治或いは監視システムに組み込まれ、そこでは「個」のあれこれは、抹殺されてしまう。「個」のあれこれにこそ、人は目を配り、お互いに助け合わなければならないのではなかろうか。そう思うのだけれど、それは現在、現代、うまくは機能しないし、心の有り様も変わってしまったのだろうか。あまりにも悲しいし、情けない。

うがった見方をすれば、それは、現国家権力に庶民はからめ捕られ、いいように振り回され、犠牲者を生み出しているのかもしれない。(大阪に限れば、ポピュリズムの極みとも私には思われる政党が地方自治を牛耳っているように思え、そこに絶望的なほどの庶民の妄信も貼りついているようだし、いわゆる弱者には、そしておそらく私にも生きずらい。)

彼の自殺は、他人事ではないのだ。

2020年8月 6日 (木)

死と生と。8月6日の朝に。~「赤い折鶴」(lulu&tonys)~

気が付けばもう8月6日。

この日は原爆忌。同時に先代ルルの命日。

改めて生と死についていろいろ思いを巡らしています。

朝からセミが哭き、風は微風。

今日も30度軽くオーバーしそうな。気配。

階下では同居人の寝息。ああお昼。苦めのコーヒーも飲み干した。

さて。


YouTube: 「赤い折鶴(AKAIORIZURU)」(試作)lulu&tonys