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2022年2月28日 (月)

灯浮標8(2022.2.28)パーキンソン病とテストステロンのことなど。

今朝も団地の坂道を救急車が駆け上がって行く。この団地は造成して入居が始まりすでに50年前後ではなかろうか。高齢化率が高い。まさに頻繁にという表現がふさわしいくらいに、救急車の音を聞く。

(メモ)

朝食事、テレビで男性の更年期障害について特集をしていた。

そこで耳にしたのが「テストステロン」。これは私の記憶にあった言葉だ。

確か、パーキンソン病となんらかの関連性がなかったのではなかろうか、と。

ネットで検索してみると、やはり多くの関連サイトが見つかる。

例えば「パーキンソン病を有する男性におけるテストステロン療法」、「テストステロン欠乏症によるパーキンソン病を有する男性患者における難治性非モーター症状」等々。

鬱症状であるとか、怒りっぽくなるとか、気分が頻繁に変わるとか、極度の倦怠感であるとか、様々な症状がみられる所謂更年期障害は、既に私にも多くあてはまるわけで、他人事ではないのだが、イライラはパーキンソン病であるSの介護にも負うところもあり、また自律神経失調性的症状もみられ、加齢と共に、複合しているのだろう。

ただ、sのパーキンソン病特有の症状が、テストステロン物質の欠乏にも拠ることもまた重要なファクターの一つなのだろう。

などとテレビを見ながらふと思った。

だからどうこうというわけではないのだが。

さて、私の横でSは、何時ものこととはいえ、食事をしながら既に意識が覚醒せず、食べ物をこぼしつつ・・・。ここ半年、いや1年、よくみられる傾向。覚醒状態と非覚醒状態のその変わり目もよく分からない。

今朝私が階段を下りて行った(夜2時過ぎ、5時過ぎにはいびきが聴こえ、よく眠って居たようだが。)6時過ぎ。(階下の部屋で一人眠っている)Sは既に衣服を自分で脱ぎ、シャワーを浴びていた。本当は、一人で早朝にそういった動作はやって欲しくは無いのだが。浴室で万が一の転倒など、怖い。

それから着衣を手伝う。おむつは今日は嫌がり、パンツを穿く。

午後1時からリハビリテーション病院で言語療法リハビリがある。これは月曜と金曜日の週2回。言語療法士と相性がいいのか、先ず先ず積極的である。それもあって、自分から用意をしているのだが、昨夜は血圧の薬を飲み忘れている。これは私の確認ミス。

昨日あたりから昼は気温も10度台まで上昇し、春めく。

(以下次回)

昨日2月27日の、新型コロナ広島県内の陽性者は837人。ここ数週間ずっと高止まりだ。

ただあまり数字にばかり一喜一憂すべきではないのでは。とも思う。

ウクライナ情勢に関するマスコミ報道は少なくともテレビではあまりにも少ない。

結局ネットに頼るが、それもネットによる。何が真実か、事実か。

いずれにせよ、ロシアやアメリカの大国の論理の犠牲になるのは何時も市民であるという事。

先ず、プーチンのロシアは撤退すべきだ。

2022年2月25日 (金)

灯浮標6(2022.2.25)パーキンソン病とギャンブル依存症。序の序の・・・

灯浮標5の最後に警察、弁護士等々に触れたが、結局のところ、SはSの職場にも迷惑が掛かるという事を利用にして、告発、或いは告訴までは踏み切れなかった。

ただ、お金を無心したのは彼らだけではなく。

Sが発病して数年後だったと思うが、兵庫県にある県立のリハビリセンターのうわさを聞いて、藁にも縋る気持ちで一ヶ月のリハビリ入院をする。が、そこのリハビリを私が見舞いがてら訪ねて、この目で見た限り、療法士はいかにも経験の薄そうな若者たちで、パーキンソン病に精通しているとは思えず、果たして、Sの体の状況は全く好転はしなかったのだ。却って状況は悪くなり、おまけに脊椎間狭窄症も病名までつけられ、入院から一か月後、コルセットを装着しての退院となった。そこで知り合ったギャンブルにはまってしまっていた男性からお金の無心を何度も受けることになり、断れず、融通するのである。(これは私が電話口ではっきりと断って終わるが。)

ネットで知り合った人物たちとは、なかなか関係が絶ち切れず、Sが負債を抱えてからも数年は続き、時にその中の一人には、私が厳しく進言するも耳を貸さず、さらに金銭を数回にわたって渡している。そうするうちに、ギャンブル依存症の傾向は強くなり、それは馬券へ、パチンコへと急加速していくのだった。枯渇するドーパミンを求めて・・・

(以下次回)

2月16日夕方からの雪は、結局24日の朝も止まず。こんなに厳しい冬は数年ぶりだ。


YouTube: 「雪の朝」lulu&tonys(完全版)

この詞が最初、頭に浮かんだのは、膿胸で入院していたsが退院間近だった12月末のこと。あれから年明け直ぐ、covid-19が猛威を振るい、パチンコどころではなくなるわけだが。今に続く、新型コロナウィルスが無かったら、果たしてSはギャンブルをやめていただろうか。悲観的になるのだ。退院してからも数回はパチンコに通っている現実を見れば!

<2月24日。ロシア軍がウクライナ侵攻。プーチンによる侵略戦争を許してはならない。>

2022年2月21日 (月)

殿敷侃「夢岬プロジェクト」(1991.5、川尻岬)から。「夢岬賛歌」のこと。

最新曲「夢岬賛歌」は、殿敷侃が彼の死の前年、1991年5月に山口県長門の川尻岬で行った「夢岬プロジェクト」へのリスペクトの意味も込めています。

実は、この詞を書いた時点で川尻岬へは行ったことがなく、その岬のイメージは想像であったわけで、その後ふと思い立ってネット検索。川尻岬は本州最西北端の岬で、しかもちゃんと灯台もありました。歌の世界観とは合っているようでありました。

そして、また、この曲の詞が浮かんだのは、朝方の布団の中。うとうと夢の中でした。

「夢岬賛歌」Lulu&tonys

作詞:Azmi h Eijima 作曲:Kamal

灯台の光とどくところ遥かに

明日を指し示し

夢を約束してくれる。

黄昏の風に吹かれて

朝焼けを纏う。

波の音は激しく

心騒ぐ。

1)

草原は 岬の端先へ

朝の光が 背中を押して

夢の岬へ 歩き始める

行く手で蝶が 舞い遊ぶから

悲しい気持ちは 捨てました

寄せては返す 想い出や

はじけて消えた 希望でも

きっと輝く 岬の空で

ああ ああ 夢よ飛べ!

明日を信じて 夢よ飛べ!

2)

灯台の 光を追いかけて

舟を漕ぎだす 夢を見ていた

黄昏どきは 朝焼けの色

羽を休める 岬の蝶に

悲しい気持ちも 拾います

寄せては返す とまどいや

一度は消えた 希望でも

きっと耀く 星の標よ

ああ ああ 夢よ飛べ!

明日を信じて 夢よ飛べ!

ああ ああ 夢よ飛べ!

明日を信じて 夢よ飛べ!

(2022.1.24)

今年の春ごろにでも、時間を見つけて、ぜひ、川尻岬を実際に尋ねてみたい。と思うわけで。


YouTube: 「夢岬賛歌」(ゆめみさきさんか)(試作)


YouTube: 夢岬賛歌(試作、アカペラ)

2022年1月29日 (土)

もう忘れてしまっていた筈の昔の職場の人々が夢に現れたのです。私の「冬かたみ」

果てしなく介護の日々。今夜も二度目のコール。

結局階下へ。

それから、またうとうと。体力が萎えて行く。

少し夢を見た。昔の職場の人たちが現れる。

もう既に不確かな記憶・・・。

23歳。

印刷会社で2年余り。アパートが火事になり全てを失う。

帰省。

喫茶店でアルバイト2年余り。

田舎で、地元メーカーの孫請け工場1年。金型研磨の非正規。

(不良品をよく出していた。検品作業の思い出ばかり。)

また街へ出る。

デパートの紳士服売り場で4年余りの非正規。

それから広告会社の企画で1年。

別の広告会社で企画、営業2年。

フリーの広告コピー&企画、実質専属契約で約4年+完全なフリーで20数年・・・。

後半は両親の介護。特別な友人の介護・・・

気がつけばこんな歳になっていた。


YouTube: 「冬かたみ(FUYUKATAMI)」lulu&tonys(試作)

2021年10月 9日 (土)

25年ぶりの長門の海。ハマオモトの咲く浜へ。

中秋から晩秋へ。

25年ぶりの長門の海。

1996年9月10日の日付がプリントされた数枚の写真が出てきました。

あれから25年余。2021年9月19日(日)。

その同じ海まで車を走らせました。

長門市日置町二位ノ浜。

(平家物語ゆかりの地名。安徳天皇と共に入水した二位局(にいのつぼね)が打ち上げられたのがこの浜とか。)

美祢インターチェンジを下りてからの道のりは不確かで、途中なんどか道を迷いながらも、朝6時前に家を出てから3時間半。

時折雲が空を覆いながらもほぼ快晴。以前とほとんど変わらない小さな入り江に台風が去った後の波が打ち寄せていました。

サーファーたちが十数人波に乗ったり浮かんだり。

打ち寄せられた漂流物が浜を汚していましたが、波はそれなりに澄んでいました。

ただ、前回はまだ咲き乱れていたハマオモト(ハマユウ)の花は今回、時期が少し遅かったのか、殆ど散り果て、数輪、その名残が確認できるのみでした。

(メモ)

トノシキタダシ(殿敷侃)のこと。

1942(S17)年1月22日、広島市大手町で誕生。

1945(S20)年8月、母の背中で二次被爆。

1970(S45)年、朝日ジャーナル(12月6日号)表紙に「は(2)」(油彩)掲載。

1972(S47)年2月、国鉄退職。山口県長門市東深川に転居。

1975(S50)年、「自画像の風景」(油彩)

1977(S52 )年「ドームのレンガ」(銅版)

1977(S52)年、「釋寛量信士(鉄かぶと)」(油彩)

1978(S53)年、「釋寛量信士(父のつめ)」(油彩)

1978(S53 )年、「釋妙昭信女A(じゅばん)」(油彩)

1981(S56)年、「ケロイド(1)」(シルクスクリーン)

1987(S62)年、45歳

3月15日(日)、山口県大津郡日置町二位ノ浜、

インスタレーション「山口ー日本海ー二位ノ浜、お好み焼き」

7月18日、広島平和公園、インスタレーション「赤くぬられてヒロシマがみえた。」

1989年(H2)、インスタレーション「タイヤの生る木[plan.5]」

1991(H4)年、山口県油谷町川尻岬、インスタレーション、夢岬プロジェクト「夢装置」

1992(H5)年2月5日、絶筆「僕は 夜明けを 信じた」

1992年2月12日死去、50歳

*2021(R3)年5月13日付中国新聞記事に「殿敷侃 長門のアトリエ近く取り壊し 周縁で世界見つめる 来年没後30年 原爆原点に創作」。

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2021年9月17日 (金)

路傍の歌(lulu&tonys)試作

「路傍の歌」

作詞:Azmi H Eijima 作曲:Kamal

届け 届け 君に 君に

届け 届け 僕の 気持ち

歩け 歩け 君に 君に

歩け 歩け 僕の 気持ち

伝えたいから

歌え 歌え 涙 拭い

笑い ながら 僕の 気持ち

伝えたいから

ラララ ラララ ラララ ラララ

ラララ ラララ ラララ ラララ

歩け 歩け 君に 君に

歩け 歩け 僕の 気持ち

伝えたいから

(2021.8.2)


YouTube: 「路傍の歌」lulu&tonys (練習中、試作)

2021年5月15日 (土)

「或いはH君のこと」(永洋)、最終稿UP!(「私」を巡る三部作)

「或いはH君のこと」最終稿、先日2021年5月11日UPしました。

これは、2006年12月30日に初稿UPしながら、長く放置していた400字詰40枚ほどの短編小説です。

題名も初稿時とは変わっています。

そしてこれは、昨年秋から続けているやりかけ作品決着活動?の一つで、「或いはH君のこと」「蛙」(2016年7月6日初稿UP、2020年12月15日最終稿UP)「キリエ~京橋川の泥に塗れて~」(2017年10月31日初稿UP、2020年10月17日決定稿UP)を合わせて、便宜上名付ければ<「私」を巡る三部作>の一応の完成形となります。

記録としてブログに記しました。

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2021年1月10日 (日)

命日を過ぎれば更に雪深し

命日を過ぎれば更に雪深し

背中で母は居眠りの夢

(永洋 2021.1.10)

この1月6日夕方から断続的に降り始めた雪は、8日9日さらに激しく。家も街も底冷え。凍結した中、新型コロナウィルスCovid-19だけが猛威をふるっている。

もし、こんな時代に両親が生きていれば、どうするだろう。どう言うだろう。

それでも、母も、父も、生きていて欲しかった。いまさらに。母は昨日が12回忌。

更に新雪が積もった10日の未明に、眼が冴えて。

2021年1月 1日 (金)

雪の朝。2021年1月1日。

2020年末12月30日から断続的に降り続く雪で、家もその周りも雪の毛布に覆われています。

2021年1月1日朝3時半。窓灯り越しに、白い路が街灯にぼわっと照らされています。

通る車も無く粉雪が降り続いています。このぶんだと、夜明けの道は酷い凍結のなか、街へ下って行く車は難渋するだろうなあなどと・・・

さて、改めて、何を思う訳でもなく、それでも、大変な日々が待ち構えているような。

介護で目覚めて眠れそうもない、雪の朝です。


YouTube: 「雪の朝」lulu&tonys(完全版)

2020年12月19日 (土)

朱自清迷!

ここ数か月、私のブログに多くのアクセスをいただいています。

その多くは中国の作家、朱自清に関するブログ記事です。

朱自清は、日本ではまだ多く知られていず、私のような朱自清迷(朱自清フリーク)を自認するものとしては、嬉しい限りです。特に、彼のエッセー「背影」には、連日本当に多くアクセスがあります。翻訳した私としては、ただただ恐縮です!!!

ありがとうございます。

これからも、私のブログ、いや朱自清をどうぞお心にお留め置きいただければ幸いです。

お礼かたがた。

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