灯浮標50(2022.5.31)パーキンソン病と病的賭博。そして、日をまた跨いで。

なんだかんだでSの家を出るのが11時を過ぎることは度々で、

高速道のPAのコンビニでカップ麺を買ってそこでお湯を注いで、

コンビニの外に在るテーブルに陣取って、

カップめんを啜る頃には日付がかわる。

そんな日常が、まだほんの十年前のこと。

酷い時には1日おきにSの家に通った。

半ば放置されたSの飼い犬2匹の暗く狭い部屋の、

おしっこシートを片付け、新しくしてやる。

二匹のリードを持って散歩してやる。

おとなしく、賢く、私にもよく慣れていて、愛しい。

だから余計にその部屋や、家の惨状が見るに辛かった。

待っても帰らないSを探してその街のパチンコ屋を片っ端に捜し歩いて、

運よく見つかれば、そこで、帰ろう、あと少し諍い。

パチンコ屋で、勝手に私が大声を出して、胸ぐらを掴む。

それでもSは閉店まで粘ろうとする。

連れ帰ったら連れ帰ったで、Sの家であれやこれやと・・・・

早く帰れたとしても、高速道を運転中にSから金が足らないからと、せがむ連絡。

根負けして、高速道を途中のIC経由でユーターンも一度や二度ではない。

パチンコでぼろ負けして、路上で動けなくなり、救急病院に担ぎ込まれたり、

他都市まで遠征して帰れなくなり、代わりに飼い犬たちにエサをやりに私が車を走らせたり。

Sが免許証を返納したのは、小さな自損事故が続いて、その危うさの自覚からだが、

直接的には、別に用意していた車検費用までギャンブルに使い込んだこと。

家は荒れ、心は荒み、私との関係性も破たんし、

絶望の先には絶望しかなく。それでもそれを実感していたのはたぶん私の方で、

それが病的賭博の底深い闇の世界。

ほんの十年前の事だ。あれから程なくSは破産的状態になり

私の家に犬たちとSを引き取って。

それから、私の街でのパチンコ通いは、コロナ禍前の、

ほんの数年前まで続く。

絶望は何処まで行っても絶望。

時化の海にかろうじて見え隠れしている、消えることのない灯浮標。

その灯り一つに導かれて、生きて行こうとしては見るのだが。

私は老いた。

Sも私とは異なるスピードで老いていく。

ちょっと話は脱線するが、

Sは昔、sの街で、パーキンソン病患者たちの互助組織のような集まりの世話役をしていて、

数か月毎に、その街の福祉会館のようなところで、お互いの近況報告や、

テーマを決めて、講師を呼んで、お話を聞いたりしていて、

そのお手伝いを私がしていたこともあり。

ある時、講師の先生が、その会の参加者に、

もしパーキンソン病が治ったら何がしたいですかと尋ねられた。

するとその場にいた患者それぞれに、果たせないでいる旅行や趣味など夢を語っていったのだが、

そこに誰一人、休むことなく介護している妻や、或いは夫、家族をひと時解放してやるとか、共に旅に出るとかは、無かった。

心が辛くてしょうがなかったあのときの私の何とも言えない感情を、

あれから十年以上たった今でも忘れられない。

パーキンソン病患者の決して全てではないのだが、

その先生がおっしゃるには、「我欲」とか、ほんの僅かでも捨てられたら、

もう少しは心持ちが楽になるのだろうに・・・と。

現状、パーキンソン病は、その多くは神経内科で診察を受ける。

だが、精神科との連携も必要ではないかと・・・私は思う。

昨日は、Sをかかりつけ医に連れて行った。

少し処方薬が減った。

国の特定難病指定による、様々な補助や免除で、かろうじて生活は続くのだ。

例えひと時穏やかになろうとも、容易に灯りは見えない海が目の前に横たわっている。

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