よそもの、よそもん、よそおうもん

広島市内、都心部に巨大な高層アパート群がある。

その中心部に、商店街がある。

ある。という表現は的を得ていないかもしれない。

なぜなら、恐らく百戸を遥かに超えているだろうその商店街の殆どは、

既にシャッターを下ろしているのだから。

というものの、数十戸程度は営業しているらしい。

客は、見当たらないのだが。

迷路のように交差する通路を寒風が吹きぬける。

角に、福祉関係の事務所が入っている。

〇〇マーケットの看板に惹かれてそのうちの一つに入ってみる。

かつて複数の店が軒を並べる市場だったらしく、

薄暗い空間が、行く手に広がっている。

雑貨屋がただ一軒だけ、その市場の真ん中にへたり込んでいる。

私がその薄暗がりの向こうへ抜け出ようと歩いていくと、

「なに?おたく、なんですか!」

老婦人が、私を追って来る。そして背後から声を掛ける。

「そこは、行き止まりよ!」

「そう。わたし、不審者になっちゃったみたいだね」

老婦人は、その雑貨屋の店主だったのだが。

私は、干鱈を一袋買って、

「ここは、よそもんが来るところじゃないんだね」

「お宅、見かけない人だったから」

「やっぱり、よそもんは来るべきところじゃないみたい」

私の言葉に無言で老婦人が、つり銭をくれる。

言いようのない不快な気分が、沈んだり浮かび上がったり。

マーケットから出たのだが。

見られている。

初めて、私は、そこで意識したのです。

殆ど無人に近い商店街の真ん中で、

私は、息を潜めて、見られている。

やはり、ここは、来るべきところではないのか。

まあ、そんなたいそうなことでもないのだが。

昨日の日暮れ時のことでした。

付け加えるならば、

この高層アパート群は、

日本人、韓国人、中国人、そしてまた多くのよそものが暮し続けて、

出来上がっている、場所でもあるのですが。

よそものがよそものでなくなるには、何が必要なのか。

「時」だけではないような気がする。

(ほんとうは、わたし、分かっていますよ、その答え)

考えてみれば、私が永く住む郊外のあの団地の中でさえも、

単身者の私は、依然、いっちょまえの、よそもん、なのだから。

「翡翠のペンダント」更新

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